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第9章:運命 1
目が覚めてまだ眠っている由利が腕の中にいるのを見ると、最近見ている悪夢が現実ではないことにホッとする。
「はぁ……睡眠薬とか、効果あんのかな……」
藍の腕の中で眠っている由利の頬を撫でながらため息をつく。最近の悪夢というのは、鈴香衣都と出会ってから始まったことだ。出会った瞬間にオメガの彼が発情し、藍の意思とは裏腹に衣都のフェロモンで発情してしまった自分が憎い。素性を全然知らないオメガから腕を掴まれ運命の番だと叫ばれ、普通に考えるといい気はしないだろう。
そして、その場にいたアルファの由利と麗も強烈なフェロモンに発情してしまい、二人とも苦しんでいる姿を横目に見ていた。どちらかというと自分が迫られたからと言うよりも、由利が衣都のフェロモンで発情したことに対して怒りが最高潮になり、あの場で由利は自分のものだと叫びそうになったのをなんとか堪えていたものだ。
藍はアルファなのに運命の番のフェロモンが強すぎたのか、それから数日間オメガのヒート期間のような状態になり由利にも迷惑をかけたのだが、その頃からずっと悪夢を見る。
自分の頭の中に鈴香衣都が存在していて、無意識に彼のことを思い出す自分がいるのだ。だからなのか最近は毎日、衣都と番になる夢を見ては悲鳴を上げて起きそうになる。自分の相手が由利ではないこと自体耐え難いことなのに、あのオメガとの間に子供までいたので本当に悪夢だ。
毎朝全身にびっしょりと汗をかいて目が覚めて、由利を起こさないようにシャワーを浴びてまた彼を抱きしめて眠る日々を過ごしている。
藍のラット状態が落ち着いてから念のため病院に行ったのだが、運命の番というのは強く惹かれ合うらしい。出会ってしまったが故に衣都は今分別のつかない状態になっていて、とにかく運命のアルファと番になろうと必死になっているのだろうと。
藍も本心は違えど本能がオメガの衣都を求めるのは仕方がないと言われ、どうやったら頭の中から衣都を追い出せるのか、そればかり考えている毎日だ。
「ん…らん……?」
「起こした?」
「いや…だいじょうぶ……」
シャワーを浴びて再びベッドに戻ってくると、藍が潜り込んできた反動で由利が目覚めてしまった。とろんとしている目元を撫でると藍の指にすり寄ってくる彼のことが愛おしくて、額にそっと口付ける。心は由利を求めているのに本能は衣都を求めているなんて認めたくなくて、ぎゅうっと強く由利を抱きしめた。
「……シャワー浴びた?」
「え?」
「なんか、ボディソープの匂いするから……」
「あぁ、うん…寝汗かいたからササッとね」
「そうなんだ」
由利に悪夢のことを打ち明けてもいいのだけれど、本能では衣都を求めているなんて知られたくない。結局アルファ同士は上手くいかないとか、アルファの相手はオメガだと決まっているとか、そんなことを由利から言われたらこの我慢した8年間を無駄にすることになる。
どうにかこうにか由利がちゃんと自分を見てくれる男になりたくて、いつか由利と出会えるように同じ業界に入ったと言うのに。そうまでしてしっかり準備をして会いに行き、ようやく彼から同じ気持ちを返してもらったのに見知らぬオメガのせいで台無しにしたくない。
どうしてこうも人生は上手くいかないのかと嘆きたいが、これこそまさに神様からの罰なのだろう。
でも、それを受け入れるかどうかは自分次第だ。
神様が与えた運命の通りになんて歩んでやるもんか。
「ゆうり、今夜ちょっと出かけてくるね」
「どこ行くの?」
「師匠と久しぶりに食事に行ってくる。店は後から住所送るよ」
「え!速水紫先生と?」
「……なんでそんなに興味津々なの?」
「だってさぁ、やっぱりモデルなら一度撮って欲しいカメラマンだもん。またファッション業界に戻ってこないかなぁ……」
「絶対帰ってこないように釘刺しておく、今日」
「なんでそんな意地悪すんのー!」
由利が他の男に興味があるのが許せない。自分の狭すぎる心に苦笑してしまうが、彼が自分以外の人に意識が集中するのが本当に嫌なのだ。それがたとえ尊敬している師匠が相手でも、藍の意見は変わらないのである。
「いいじゃん、僕は師匠とほとんど同じなんだから」
「いや、弟子だと言っても違うでしょ。俺は速水先生に撮って欲しいの!」
「だめ。由利のことは僕が一番綺麗に撮れるんだよ。父さんもそう言ってたし」
「え、それ本当?」
「うん。この前帰った時に、僕が一番由利の良さを引き出してるってCamellia見ながら言ってたよ」
「えぇ、そうなんだ……」
「……僕じゃ不満?」
少し拗ねたような顔をして由利を覗き込めば、彼は「うっ」と言いながら気まずそうな顔をする。8年避けていた反動もあるのか、藍がこういう風に拗ねてみせると由利は意外とすぐ慌ててしまうのだ。可哀想だけれどそうやって彼を追い込めば、正直な気持ちを最近はきちんと話してくれるようになった。
「不満じゃない、けど……」
「けど?」
「カメラ越しに藍から見られると、ドキドキする……」
そう言いながら顔を真っ赤にする由利はぷいっと顔を逸らす。顔だけではなく首や耳、うなじまで真っ赤に染めている彼を見てごくりと唾を飲み込んだ。どく、どく、と心臓が脈打って、由利のうなじが美味しそうに見えてたまらない。
アルファ のための体に作り替わるように今すぐそこに噛みついて、彼をオメガにさせたい――
由利と番になれたら、この悪夢も終わるだろうか。
でも、自分が楽になるために由利を利用するのは好ましくない。藍は純粋な思いで由利をオメガにさせたいし、番になりたいと思っているのだ。今の複雑な状況で彼にオメガになってほしい、とは口が裂けても言えなかった。
「僕に見られてるとドキドキするの?仕事なのに」
「だ、だって、さぁ……」
「うん?」
「舐めるように見てるのが分かるんだもん、藍のバカ……」
「あはは、可愛い。でもバレちゃってたんだ、僕が由利のことをやらしい目で見てるの」
「んん……っ」
耳元で囁くと小さく震える由利。アルファなのに藍と肌を重ねている、愛おしい年上の人。彼の気持ちがしっかり追いつくまで、無理やりうなじを噛んでビッチングさせるような乱暴なことはしないけれど、この悪夢だけは早く終わりを告げてほしいと願った。
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