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第21話 静かな時間

 藤行もスマホでヒマワリを撮影する。青空に見せてやらなきゃ。 「……そういや、さっき。俺の顔撮っただろ? 消せよ?」  振り向いてじろっと睨むも、写真も撮らず冷凍ミカンの皮を剥いている伸一郎。本当に腹が減っていたようだ。  ミカン食べている。なんだか、可愛いな……。 「ミカンいいな~」 「ほれ」  一粒を当然のように差し出してくる。嬉しくなり手のひらを上に向けるが、なかなか置いてくれない。 「?」 「口開けろ。あーん」 「……あーん」  周りを見ると全員ヒマワリに夢中。藤行はしぶしぶ口を開けた。  押し込まれるキンキンに冷えたミカン。 「つめたっ。……酸っぱ!」  口が*の形になる。彼はケラケラと笑う。 「ババアがジャムにするといいぞって言ってたミカンだからな。そりゃ酸いわな」 「~~~ッ。なに平然と食ってんだ! ……ジャム、作れるの?」 「作ろうとして鍋ふたつ駄目にした」  料理下手とかいう問題じゃあないな。 「作ろうか? 今度」 「頼むわ」  ぽいっとミカン半分をまとめて口に放り込んでいる。口でっけえな。  伸一郎は自分の親指を舐める。 「藤行お前、迎え舌なんだな」 「……え? あっ、これって行儀悪いんだっけ?」 「いや? 視覚的になんの問題もない」 「よーし。今日中に直すぞ。兄としてしっかりしないとな」  直さなくていいって、と横から苦情が出たが無視した。  やがてバスは土産物店と食堂がくっついたようなお店の駐車場に入る。 「ここでステーキ食べられるんだな」 「藤行」 「ん?」 「一回イっておかなくて平気か?」 「飯食い終わるまで話しかけんじゃねぇ」  バスガイドに案内され、指定席にそれぞれ着く。  服が汚れないように紙エプロンを装着すると、じゅうじゅうと鉄板に乗った肉が運ばれてくる。 「伸一郎さん。エプロンしないの? 服、まだら模様になるよ?」 「破けた」  紙屑と化したエプロンだったものが。 「……身体大きいもんね」  ポッケからハンカチを取り出す。 「俺のハンカチ、首元に引っ掛けておけばいいよ」  受け取ると、伸一郎はハンカチをぴらっと広げる。  柄を見るなり悩むように額を押さえている。 「……どうしたん?」 「誰だっけこれ。ミカンちゃんだっけ?」 「アロエちゃんだよ。二度と間違えるな」 「いいのか? 使っちまって。汚れるぞ」 「大丈夫。アロエちゃんは人を助けるヒーローだから。肉汁から守ってくれるよ」  片目を閉じてぐっと親指を立てた。 「…………」 「言いたいことあるなら言えよ」 「ありがとな」  彼の口から感謝の言葉が出たことにぎょっとして口を引き結ぶ。  襟にうまいこと引っ掛けていると、母親の膝に座っていた女児が声を上げた。 「あ! アロエたん!」  ぴっと伸一郎を指差し、身を乗り出そうとするのを母親が必死に押さえている。  熊男がアニメ柄のハンカチをエプロン代わりにしている絵面に、周りがくすくすと笑う。  藤行はむっとしたが、伸一郎はハンカチを摘むと女児に見せびらかせるようにひらひらと振った。  ドヤ顔で。 「うらやましいだろ」  女児は目を輝かせる。 「うん! すっごくかっこいい。アロエたん、大好き」 「す、すいません……」  母親が平謝りするが、元気な女の子の声に場がほほ笑ましい空気で満ちる。  パチパチパチパチと、隣で高速拍手しているオタクがうるさい。 「アロエちゃんの良さが分かるなんて。あの子、将来有望だな」 「……ソウダネ」  ステーキを食べ始める。 「サラダとスープ。ご飯はおかわり自由となっております。たくさん食べてください」  バスガイドの声に、さっそく伸一郎が立ち上がる。  藤行もついて行く。 「スープめっちゃおいしい」  伸一郎は大型の炊飯器を開ける。 「この米すべて食ってもいいんだよな?」 「腹破裂しない?」 「しない」  お椀にせっせと白米タワーを築いていく。  漫画でしか見ない光景に、見ているだけで腹いっぱいになってくる。 「他の人の分も残しておきなよ」 「へいへい」    バスに戻ると眠気に襲われる。  プールの後に国語やっている時のような。二十歳超えた藤行には懐かしい感覚。  横を見ると伸一郎がすでに爆睡していた。関取みたいに食べていたもんな。  眠る人が多いのか、バスガイドがバスの照明を落としてくれる。  藤行は結局眠らなかった。  ぼんやり景色を眺めていると、本日お世話になる宿の看板が見えてくる。  乗客を起こすためにバスガイドはマイクを取り、照明をつけた。 「はい。皆さま。起きておられますか? そろそろ宿に到着いたします」 「伸一郎さん。着いたよ」  反則なほど端正な寝顔。ちょっと勿体なかったが揺すって起こす。 「……ん?」 「宿。着いたって」 「……あっそ」  欠伸を噛み殺し、伸一郎は大きく腕を伸ばす。 「はあ。藤行は? 寝てたのか?」 「ううん。起きてた」  にこっと微笑むと、額にキスされた。 「だーかーらー。人前では」 「いいだろ。このくらい」  へっと笑われ、頭痛でも覚えたように頭を押さえる。  そこそこ大きな宿。ロビーは旅館のように広々しており、ソファーと一人用テーブルがたくさん並んでいる。  バスガイドの話を聞き、今日は解散となった。  鍵を受け取り、部屋へ向かう。 「テンション上がるよねー。こういう場所って」 「ま、非日常感はあるよな」  鍵を開け、扉を開ける。  部屋は和室だった。  畳に長方形の低い机。座椅子にティーポットに湯呑。  障子を開ければ広縁があり、二人分の椅子が置いてある。  伸一郎の家で見たことのある小型冷蔵庫もあった。  どすんと旅行鞄を置き、肩を揉む。 「あー。座って飯食ってただけなのに疲れたー」 「温泉行くか?」 「うーん……」  藤行は座椅子にすっと座り込んでしまう。 「?」  宿の浴衣を眺めていた伸一郎は隣に腰を下ろす。机に頬杖をつき、顔を覗き込んでくる。 「どうした?」 (伸一郎さん。なにかあるとすぐに近くに来てくれる……)  こんなことで。こんなことが嬉しいなんて。俺はどうしてしまったのだろうか。  そっと彼に目をやる。 「なんか……。殴られたところが熱くて。温泉、入れないかも……」 「はあ」  それで? みたいな表情だった。 「だから。伸一郎さん一人で行ってきて。俺は部屋の、備え付けのシャワー浴びておくから」  伸一郎は首を振った。 「やめとけ。シャワーも明日にした方が良い。明らかに顔腫れてるし。今日はもう大人しくしてろ」  伸一郎は立ち上がるとばさばさと服を脱いでいく。 「え? え? どうしたの?」  浴衣を手に取るとさっさと着替えてしまう。裸体もだが正直、和装の彼も時間が止まったと思うくらいかっこよく、とても似合っていた。 「……」  ぽーっと頬が赤くなるが、ぶんぶんと頭を振る。 「温泉。行かないの?」 「はあ? お前がいない温泉に行ってどうすんだよ。お前の裸体を眺めて眼福眼福言いながら入るから価値があるんだよ」  手慣れた様子で帯を結び、湯呑に茶を淹れていく。  藤行は焦った。せっかくの旅行なのに。 「伸一郎さん! アホ言ってないで温泉行ってこいよ。疲れ取れるって」 「疲れてねぇ。さっき寝たし」 「お、おん」  回復が早すぎる。  二つの湯呑にお茶を淹れ、片方を藤行の前に置く。 「ありが……」 「……」  藤行はわざわざ机を回り込むと伸一郎に口づけする。  もちろん頬に、だ。 「唇にしろって。舌入れてもいいぞ」 「だまらっしゃい」  そのまま隣の座椅子にすとんと座る。 「土産物屋さんや、外を散歩でも行ってきなよ」 「なんで?」  藤行は腕を伸ばして湯呑を取り、ふうふうと息を吹きかける。 「勿体ないって。俺に気を遣わなくていいから……」 「お前。なんか勘違いしてないか?」  低い声で遮られる。湯呑を持ったままびっくりして彼の顔をまじまじと見つめた。 「え? 勘違いって?」 「俺は温泉に入れなくても、外を散歩できなくても。どうでもいいし勿体ないとも思わない」 「……」 「お前が隣にいれば、それでいい」  頭の中が真っ白になった。  受け止める心構えも、準備もないままに放たれた言葉。 「……、…………っ」  ふるふると震え、爆発的に顔が赤くなる。 「バッ……ばっかじゃねえの! なに言ってんだよ!」  彼は茶化しも笑いもしなかった。 「一人で旅先を満喫するより、お前がこうやって隣にいる時間の方が、俺にとっては価値がある」 「……ッ、ぅ、っ」  さらりと髪を撫でられ、幸せそうに微笑む伸一郎。 「そもそもお前と一緒にいる口実が欲しかっただけだからな。旅行の計画立てたのも」 「~~~ッッッ!」  限界、だった。  顔を隠しながら広縁に走り、ぴしゃんと障子を閉める。  広縁でのたうち回り、言語化できない悲鳴を上げた。 (おああああああっ⁉ なに? 何が起こったんだ今⁉)  なんだこの空気は。あのセリフは何⁉  分からない頭がこんがらがるええええええっ。  ぐぎぇええええええ! 「……」  奇声の数々に流石に心配になったのか、伸一郎はがらっと障子を開ける。 「藤行。人間に戻れ」 「人間だよ!」  がばっと起き上がる。 「伸一郎さん! だ、だっ誰にでもそういうこと言うからセフレでもいいって、とか、言われるんじゃないの?」 「思ったこと言ってるだけだぜ? ま、肌を重ねるのは好きだけどな」  藤行の首根っこを掴み、室内に連れ戻す。 「伸一郎さんがモテるの、なんかわかったかも」 「ふーん」 「……」  机の上のお着きお菓子をもそもそ食べていると落ち着いてきた。 「おいしい。これ」 「藤行。お前も浴衣に着替えろ。俺が見たいから」 「ちょっとは欲望を隠せよ」  おしぼりで手を拭き、浴衣を物色する。夏っぽい黄色、入道雲の白、落ち着いた紺色の三種類があった。 「黄色は派手かなー?」 「似合うと思うぜ?」 「……」  駄目だ。今は何を言われても嬉しく感じてしまう。  彼と同じ色の浴衣を選ぶ。 「白もあるのに、紺色でいいのか?」 「うん。かっこいいし」  浴衣を巻きつけ、帯を巻いて…… 「なんか、変じゃない?」 「死装束になってんぞ」  帯を解き、きちんと着付けしてくれる。 「慣れてるね。伸一郎さん」 「ああ。家ではよく風呂上りとか浴衣着てるからな」  目を見開いた。 「えっ? そうなの? ……あ。帯で手首縛られたような。でも掃除の時、見かけなかったよ? 浴衣」 「あれはジジイのジジイのものだから、別の場所に保管してある」 「そんな大事なもので俺を縛ったんか! もっと大切にしろ!」  結んだ帯をヘソの位置まで下げる。 「ほれ。出来たぞ」  両腕を広げて、自身を見下ろす。 「すげー。やるじゃん。ありが……」  ちゅっ。 「ありがと」 「ははっ。どういたしまして」  満足げに笑い、脱ぎ散らかした服を足で部屋の隅にやる。 「こらこらこら! んなことやってるから汚部屋化するんだよ」  正座し、衣服を畳んでいく。  伸一郎は藤行の隣でしゃがむ。浴衣なのに両足を広げるもんだから、かなりきわどい。そっちに顔を向けられなくなる。 「お前、嫁に来いよ」  一瞬、フリーズした。 「人を家政婦扱いすんな! どんだけ掃除嫌なんだよ。金取るぞ」 「金払えば毎日来てくれんのか?」 「……へ?」  真剣な顔つきの伸一郎に「こいつ相当掃除嫌いなんだな」と悲しくなってくる。  はあ、とため息をつく。 「服の畳み方教えてやるから。覚えろ」 「へえ? どうするんだ?」  ドスンと隣で胡坐をかいて座る。  意外にも乗り気の伸一郎に目が点になった。  しかし。教えるのは嫌いではない。  藤行と伸一郎は静かな時間を過ごすのだった。

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