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第43話 春まであと少し 完
寒い!
前が見えない!
風がうるさい!
冷たい!
これを脳内で延々ループしていた。これ以外を考えることが出来なくて。
高いところにいるという感覚もなくなっており、結構危険な状態だった。今思えば。
伸一郎さんが何度か声をかけてくれたが「伸一郎さんが何か言ってる」としか反応できなくて、カチンコチンになってくる。呼吸するたびに鼻の奥や肺が凍りそうで。脳みそも冷えていく。
雪かき開始してから一時間後には室内に放り込まれた。
朝ちゃんが淹れてくれたお茶を飲んで復活。伸一郎さんの元に戻ろうとしたけど、朝食作るの手伝ってと言われる。
悩んだが、飯づくりを手伝うことにした。お世話になってるし、朝ちゃんの手伝いをしに来たんだし。別に伸一郎さんにご飯作ってあげたいとかじゃ……あるけど。
ブルドーザー(伸一郎さん)のおかげか玄関の白壁が消えて道に道が出来ていた。
雪の階段を上がって雪の上に出る。
「頑張ったね」
「毎年のことだしな」
家で朝食食べる? と聞いたがまだやると言うので手渡す。
「ウメェ」
野菜を巻いた肉を詰めたおむすびを歩きながら齧る。昨日、俺のおむすびを食べたそうにしていたからね。
近所の雪かきも手伝いに行くようなのでついていく。
「はー。早くこれ、毎日食えるようにならねぇかなー」
雪が止んでないので、米と一緒に雪も食べているが熊は気にしないらしい。
「……う、うん。毎日作ってあげるよ」
「じゃあ俺は餃子作ってやるよ」
「餃子⁉ 作れるんだ」
「具材包む作業がやりたくてなー。具を作る作業とか焼くのはめんどくさい」
なんとなく気持ちは分かるかも。
強風が吹くたびに俺の腕を掴んでくれる。おむすび食べてシャベルも持ってるのに。
「伸一郎さんを掴んでおくから大丈夫だよ。倒れたりしないって」
「なにが?」
「……」
無意識、か。そうですか。
(最近幸せで怖いな)
どこの雪国だよと思うほど雪と風の世界なのに。俺の心はぽっかぽかだ。
しかしこういう時に限って、何か起こるものである。
🐻
屋根の雪はボイラーの熱で溶かせるのだが、降る雪の量が圧倒的で間に合ってない。
朝から雪が視界を塞ぐほど降り、道の端に身長を超える白壁が築かれる。
気を抜けば足がつるんと滑り、尻か身体の前面を地面にぶつけることとなる。過去二回尻餅をついたので、雪の日は尻に座布団を巻きつけることにした。不格好だが温かくていい。尻座布団を馬鹿にした兄が転び、次の日に尻座布団をつけていたのを見て、「あーあ」という気持ちになる。
雪が多い隠し、道路の横を流れる水路どこだっけ? 状態となっているのが危険だ。外に出るのも危険だが雪かきしなくては。一階が雪で埋まっているし、雪の重さで家がぺしゃこんになりそうなのだ。
「前見えねー。ボケが~」
防寒具を身につけていても耳が千切れそうな寒さの中、兄と一緒に屋根の雪をスコップで下へと落とす。
周囲を見回せば霞む視界の中、屋根の上で作業している人影っぽいのが動いている。近所の人も雪かきで忙しそうだ。
「おい、ちー。足元気をつけろよ。落ちても助けねぇぞ!」
ざくっとスコップを突き刺す。
「うっせーよ。兄貴」
名前が千景(ちかげ)なので「ちー」とか「ちーちゃん」とか三歳児みたいなあだ名で呼ばれる。可愛いもの好きだから、いいけどね。
兄の服にもどんどん雪が付着していく。白に染まり、風景に溶け込みそうだ。黒い服を着ているというのに。
俺は赤い服。白い服を着たら事故った際、発見できなくて生存率が下がるぞと言われているので、白い服を着ている人がいたら余所者だとすぐに分かる。小さな、集落なんでな。
「昼までに終わるかコレ……」
元々雪の多い地域ではあるが、今までに経験したことのない大雪だ。でも母さんが言うには十年に一回はあるらしいので、そこまで珍しくもない、のか。
家の中では母さんがおしるこを作ってくれている、終わればそれにありつけると思うと手に力が入る。母さんの餅入りおしるこは俺ら兄弟の好物……
「あ」
気合いが入り過ぎたのかも知れない。雪を投げた反動で、身体が前に倒れたのだ。
視界が上下逆さまになると、俺の身体は屋根からぽーんと放り出されていた。
(嘘っ⁉)
下は雪とはいえ、頭から落ちている。やばい死んだ‼
遠くで、兄貴の声が聞こえた気がした。
――ぼすっ
「…………ッ」
きつく歯を食いしばり、目を閉ざしていたが、思ったより痛くなかった。
それどころか、雪に埋まっている気がしない。
「え?」
「大丈夫か? オイ」
目を開けると、驚くほど端正な顔が自分を見下ろしている。
「え? え?」
あちこち顔を動かし、自分がどうなっているのか確認する。地面に手足がついていない。
どうやらこの人が受け止めてくれたようだ。
「……」
ポケッとしていると兄貴が梯子から降りてくる。
「ちー。生きてるか?」
「うわ! 降ろせよ!」
こんなところを見られたくない。抱えられているのが恥ずかしくて腕を振るってしまう。俺の腕は受け止めてくれた人の顔に当たるが、そっと降ろしてくれた。
「はっ。元気そうだな」
腕が当たった頬を撫でる男。かなりでかい。二メートルはある。雪の日に遠目から見たら熊と間違えてしまいそうだ。
高身長と体格にビビり、思わず後退ってしまう。
「な、なんだよ……」
「馬鹿ちーお前! 油断すんンッ⁉」
こちらに走ってきた兄がつるりと足を滑らせ、俺に頭からタックルしてきた。
「ほぎゃっ」
唐突な兄ロケットに気持ち良く俺の靴底が滑ってしまう。兄弟で絡み合ったまま、積み上がった雪に突っ込んだ。
ずぼすっ!
「……」
「「……」」
四本の足だけ出して雪に消えた兄弟。熊男が無言で引っこ抜いてくれた。
「ふへぇ」
「ごっほぼほ!」
俺の横で雪を食ってしまったらしい兄貴が雪を吐き出している。
「大丈夫ですか?」
誰かが、雪に慣れてなさそうなのたのたした足取りで駆け寄ってくる。聞き慣れない声なのでまた余所者かよと思い顔を上げた。
「怪我は無いですか?」
今度は平均的な身長の男だった。ヘルメットを被って、中途半端な長さの黒髪を後ろで無理矢理結んでいる。
歳が近そうなのでぶっきらぼうに返事をした。
「平気だわ」
「伸一郎さん。ナイスキャッチ」
熊男に向かって親指を立てている。……ふーん。しんいちろうって言うのか。
立ち上がって雪を払う。
「助かった。ありがとう」
「おう」
「ちー! びっくりしたぞ」
兄貴の声を聞くなりムカッとした。
「てめえ! クソ兄貴! 雪の上を走るな低能が‼」
雪合戦のようにぼこぼこと兄貴に雪玉を投げつける。
「いてえいてえ」
「ちょ、ちょっと喧嘩は……」
ヘルメット野郎が割って入ってこようとしたが怒りは収まらない。
――てめえのせいで。人前で醜態晒しただろ!
固い氷の塊を投げてやろうと振り上げた手を、後ろから掴まれた。
「邪魔すん――ンンっ⁉」
振り返ると熊男だった。鋭い目つきに怒りと勢いがしぼむ。
「やめろ」
「……」
嫌悪が混じった低い声に、さあっと血の気が引いた。
二メートル男は頭を抱えて蹲っている兄貴と、兄貴に積もった雪を払っている男に目をやった。
「勿体ねぇ。あんなおっとり系の身内がいるってのに。大事にしないなんてな」
「は、はあ?」
良いように言うな! 兄貴はアホなだけだ! つーか、いつまで腕掴んでるんだよ。
振り払いたいのだが怖くて身体が動かない。
後ろから俺の耳に唇を近づけ、囁く。
「俺好みだな、お前。藤行と出会う前だったら、身内を大事にすると誓うまで犯してやれたんだが……残念だ」
「は? え? は。な、何?」
背中に氷が滑り落ちたような心地だった。言われた言葉の意味は一ミリも理解できないのに、なんだか身の危険は感じる。すごく。
兄貴を支えていた男がキッと睨んでくる。
「危ないだろうが! 雪を投げるな」
「う、うるせえなぁ。他人が口出しすんなよ」
反射的に言い返したが、ヘルメット男は何故かほわっと顔を緩ませた。
「えへへ……。兄弟喧嘩ってこんな感じかな? あんましやったことないからすごい新鮮で、いいね」
だっ誰がお前の兄弟だよ。なんだこいつら。変な奴しかいないのか。
「あ、ごめん。つい」
俺の顔色を見て変な発言だと悟ったのか、ヘルメットが頭を下げてくる。いや謝られても……
「ほら。兄弟喧嘩ならベッドの中でヤれよ」
「はあ? どういう――ほわっ!」
言葉の途中で俺を兄貴に向かって放り投げた。熊男の発言は一ミクロンも理解できないし軽く突き飛ばした程度だったのだろうが……
「ちー! あっ!」
俺をキャッチした兄貴ごと後ろにひっくり返った。
ぼっすん!
兄貴を下敷きにして顔から雪に埋まった。
……もう嫌。
「突き飛ばしたら危ないって! 伸一郎さん」
「思ったより飛んだな」
「パワーあるの自覚しよう」
雪に埋まった兄弟を掘り出せたが、雪だるまみたいになっていた。騒ぎを聞きつけたのか家から彼らのお母さんが出て来て、彼らを回収していった。
近所の家の雪かきも手伝い、時刻も九時を回った頃。
「朝ジジイのとこ戻るぞ」
「忘れ物?」
「休ませないとお前はずっとやり続けるだろうが」
「え、で、でも。もうちょっと……」
コツも掴めてノってきたとこだし。
首根っこ掴まれて連行されていく。
「伸一郎さん~、もっとしたいよ~」
「無理しないのも雪かきの鉄則だ」
家に戻ると、朝ちゃんが玄関周りの雪を掘り進めていた。
「おい。一人で作業するなって言っただろ」
「朝ちゃん無理しないでくださいよ」
(お前が言うな)
「おや。おかえり~」
遠かったせいか聞こえてない様子。にこにこと手を振ってくれる。ううん。癒される。
伸一郎さんは朝ちゃんも掻っ攫うと家に入った。
「働き者共が。『きちんと休む』を書いて掛け軸にして飾れ」
「「だって」」
「ハモんな」
雪を払い、上着を没収され囲炉裏前にぽいぽいっと捨てられる。
「あ。お茶淹れるね?」
朝ちゃんは説教から逃げるようにそそくさと台所へ。
座った伸一郎さんの隣にクッションを持っていって座る。
「伸一郎さん。さっきの人に『好み』とか『犯す』とか言ってなかった?」
むすっと半眼になるが、彼は驚いたように瞬きした。
「よく聞こえたな」
「彼氏のそういう言葉は聞こえるものなんだよ」
「……彼氏かぁ」
何か考え込むような素振りに顔を覗き込む。
「何?」
「いや、悪くないが。いつ『夫』と呼んでもらえるのかと」
――オッ‼
結婚とか嫁とかの言葉ではなんとも思わなかったのに、なんだかこの単語には妙に恥ずかしいというか、俺たち本当に結婚するんだというかなんというかああああ。
「旦那様でもいいぜ?」
「うっさいわ! 誤魔化すなよ!」
(顔あっか)
伸一郎さんがじろじろ見てくるので目線だけずらす。
「誤魔化すって? どっちも俺の日常言語だぜ?」
そうでした。こういう男なんだった。
「前後がよく聞こえなくて、その……」
「あの男に心変わりしたと思った、ってか?」
ニヤついているのがムカつく。
「そうだよ」
「安心しろって。他はどうか知らねぇが、俺はな。惚れた女房が見ている前では勃たないんだよ」
「にょっ」
肩を抱き寄せてくる。
「女房ってあのな……。俺らって、もし結婚したらどこで暮らすの? 伸一郎さんのおじいさんのところ?」
「あー。近くに競馬場があるところがいいな」
「おっま……。まだ競馬にやってんのかよ。まあいいよ。一文無しになってもそばにいてあげる」
目を閉じて彼にもたれかかった。金や家がなくなっても、彼が隣にいれば幸せと思える自分がいる。
パチパチと囲炉裏の火が弾ける。
「……」
その日以降。伸一郎さんは競馬場に行かなくなった。
それどころか介護の現場で働き出した。
「伸一郎さん? 無職やめたの?」
平和な色のエプロン姿が一周回って似合う。
彼が仕事に行くなんて。地球の自転が逆走するレベルの衝撃だ。
「まあなー。ジジイや朝ジジイの時みたいにボランティア(こき使われる)呼び出しがあるから、週八で入れねぇけどな」
週八ってなんだよ。働く気満々じゃん……。おじいさんの畑も手伝いつつ、介護もするんでしょ? 体力オバケどころじゃないな。
「へえ。いいね。俺もいるし、そんなにギッチギチに働く必要も無いと思うよ」
介護かぁ。やっぱおじいちゃんっ子なんだろうな。
滅茶苦茶大変って言うけど、伸一郎さんならすげー大丈夫そう。
「エプロンがキツイ」
「もう一回り大きいの貸してもらえば?」
「これが一番大きい」
「……」
エプロンに触れてみる。
確かに深呼吸したらビリっていいそう。背中のマジックテープも届いていない。
「太ったか」
「脂肪以外でね」
エプロンを「ひまわり園」と書かれたスポーツバッグに似た鞄の中に仕舞う。文字だけ見ると保育園っぽいな。
「まあいい。行ってくるわ。一生ここで働いてくれって泣きつかれたしな」
「初日どんだけ頑張ったの?」
靴を履いて玄関の扉を開ける。
「じゃ」
「行ってらっしゃい」
手を振って見送る。
甘い日常に一歩近づいたと思う。
季節は春になろうとしていた。
「なんで急に? 働こうと思ったの?」
「一文無しになってもそばにいるとか言われると働きたくなった」
「なんなの⁉ 天邪鬼か?」
【完】
ここまでお付き合い下さりありがとうございました。
二人の日常は続いていきますが、『クズジャム』はここでおしまいです。
読んでくれたあなたに、ありったけの感謝を。
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