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第42話 春まであと少し⑥

     湯船に並んで浸かる。  ざぱぁとお湯が流れ出た。 「いやー。ついに根元まで吞み込めるようになったな。お前の穴」 「沈め」  極楽極楽とタオルを頭に乗せている伸一郎にもたれる。 「ああ?」 「座っていられる元気ない。俺が沈みそう。支えろ」 「いいぜ」  上機嫌な声。浴槽の壁にもたれると、俺を膝に座らせた。腕を回してシートベルトしてくれる。 「疲れた……。全部入っちゃうと、あんな感じなんだな……」 「どうだった? 感想言ってくれ」 「雪に埋まってろ」  伸一郎さんの指が顎下をくすぐる。  反射的に湯面を叩いてしまい、バシャンと飛沫が跳ねた。 「ひゃん! 何?」 「何怒ってんだ? 怒りたいのは煽り散らかされた俺だ」  それについては反論しないけど、 「もうちょっと、優しくしてほしかったなぁって。雑に扱われるのも、その。そりゃ嫌じゃないけど。せっかく、伸一郎さんが抱いてくれてるのに。あれじゃあんまり、その……」 「その?」 「……うぐぐ……」 「言えよ」 「恥ずかしいから言わない」  ふんっと口を尖らす。 「よし。第二ラウンドか。口割るまで奥突いてやるよ」 「ああああああ! 朝ちゃん助けてェー!」  もう恥も外聞もなく助けを呼ぶ。 「俺が持ってきた野菜でもう一品作るって言ってたから来ねぇぞ? 俺が大食いだから。張り切ってた」 「手伝ってくるぅ‼」  平成が残る台所で朝ちゃんが立っていた。俺たちを見てにっこり微笑む。 「お風呂どうだった? しっかりあったまったかい?」 「おう。最高だった」  肩からタオルをかけた伸一郎さんの後ろで、俺は魂が抜けていた。持ってきた寝間着に身を包み、サッパリしているのだが腰が死んでる。  朝ちゃんが小鍋を指差す。 「これね? あと十分煮込めば出来上がるから。見ててくれるかい? その間に私はお風呂に行ってくるね?」 「ああ」  のこのこと風呂場へ消えていく。小さな歩幅で歩く姿が可愛い。 「……俺の魂の叫び、聞こえてなかったのかな?」 「耳遠いしな。耳元でドラ鳴らしても気付かない時がある。だから朝ジジイはよく一方的に喋ってる時あるぞ」 「ドラのせいで耳悪くなってない? それ」  蓋閉まっている小鍋を見守る仕事。やる気はあるのだが、 「……ごめん。座ってていい?」 「どうした? 腰痛いのか?」 「自分がやった所業を思い出せナスビ」 「はーやれやれ」  抱き上げられると、囲炉裏の前のクッションの上に置かれた。 「ありがと」  唇にキスする。  彼はフッと笑うと、台所に戻っていく。 「ふう」  生還できたという気持ちが強い。ようやく脱出できたのに。 (おかしいな……。あんなにヤったのに。まだ物足りないと思うなんて)  俺はどっかおかしいのだろうか。それとも、世間の恋人たちもこんな風に、どれだけ触れ合っても物足りなさを感じるのか。友達がごくわずかなせいで分からない。  悶々と考え込むが、腰が痛いので横になった。 🐻 「嘘だ‼」  そのまま爆睡したらしい。気がつけば畳の部屋で、布団の中だった。朝日が差し込み、ぼすっざくっと、雪かきでもしているような音がする。 「朝ちゃんのご飯が。楽しみにしてたのに……」  ぐずぐず泣きながら布団に潜る。この布団、めっちゃあったかい。上に毛布が乗ってるせいかな? 「……藤行?」  隣から声がする。  顔の上半分だけ出すと、目を擦りながら伸一郎さんが起き上がった。 「おはよう」 「おお。おはよー」  寝起きだからか、伸一郎さんの声にハリがない。可愛いな。  今何時だと時計に手を伸ばす。布団の外の冷気は別世界のように体温を奪う。  ぺたぺた。  何もない畳を叩く。  枕元には何も置いていない。アロエちゃん時計は⁉ と探しかけたが、ここ、自分家じゃないんだった。  ぼふっと枕に顔を埋める。 「俺、寝ちゃったの?」 「はあ? ……。……ああ。寝てたな」  彼は起きるなり着替え始める。  俺も! 「いででででっ」  自分の腰を摩る。 「どうした? 寝違えたか?」 「風呂場での出来事を思い出せ今すぐ」 「鮮明に思い出せるぞ。お前がエロくて最高だった。またヤろうな?」 「忘れろ早く」  亀の速度で鞄から着替えを引っ張り出し、袖を通す。 「もう! 雪かき頑張ろうと思ってるのに。腰にダメージ与えやがって!」 「は? 煽ったの誰だよ?」 「……俺です」  しゅんとなる俺を抱き締めてくる。「え、嬉しい」と思い、即座に俺からもしがみつく。 「ふえ。好き。せっかく泊りなのに。一緒の布団で寝たかったな。夜中お話ししたりしてさー。伸一郎さんに抱きついて寝たかった」  未練を言いながら頬ずりしていると、ハッと気づく。  ――これ、煽ってる判定になる奴じゃん‼  青くなってそそそっと離れる。 「今の無しで」 「ああ。帰ったら楽しみにしてる」  おあああああ! 誰かタイムマシンを俺に! だってハグされるの嬉しいし好きだし! 甘えたくなるって言うか反射的につい‼  一周回って仏のような笑みが恐ろしい。俺は現実を忘れて二度寝したかった。  伸一郎さんと朝ちゃんは、俺が寝た後、すぐに寝たようだ。  帽子を被ってさらにフードを被る。長靴も履いて完全防備。  ちょーっと雪の様子を見に行くだけなのだが、完全防備でないと外出許可が下りなかった。伸一郎さんは頑なに譲らない。この時、「伸一郎さんは水路にハマったみたいだしな。警戒しているんだろう」と余裕だった。 「朝ちゃんって、どの部屋で寝てるの? 見当たらないんだけど」 「二階の作業部屋。秘密基地みたいだから今度登ってみると良いぞ。面白いし」 「へぇ」  朝ちゃんはまだ眠っているらしい。  楽しみにしながら玄関の扉を開ける。冗談でもなんでもなく、目の前は真っ白な壁だった。しかも扉が三分の一しか開かない。 「嘘だろ?」 「いやー。ここの冬はこんなもんだ」  力を込めるが、逆側から押されているかのように扉はビクともしない。  ムキになって押す。 「んっ。んっ! 動かない。なんで?」 「雪……氷の塊が引っかかってんだろ。無理に開けようとすんな」  肩を掴まれ、後ろに下がらされる。 「出られないじゃん! どうすんの。救助呼ぶ?」 「落ち着け。二階から出られる。ついてこい」  手を握られる。  転びかけた。 「おい。大丈夫か? 頭まだ寝てるのか?」 「急に、手を握ってくるから」 「はあ? お前が嘘だろ? 手を握っただけだぞ? これで照れるのが許されるの中学生までだぞ」  うるさい熊を無視して、彼の手を自分の頬に当てる。あったかい。 「……」 「昨日も思ったんだけど。伸一郎さんとどんだけ触れ合っても満足……っていうか。物足りなくてさ。他のカップルも、こんな感じなのかなって」  彼の指先を、はむっと唇で挟む。  おっきい爪。  咥えたまま、上目遣いで彼を見る。 「伸一郎さんは? そんなことない?」 「この状況でなおも煽ってくるお前に感情が追い付かない」 「話逸らさないでよ」  指を引き抜かれると、キスが落ちてくる。 「俺も。ずっとお前に触れていたい」 「!」  う、嬉しい。  ――伸一郎さんも、同じ気持ちなんだ。  心に朝日が差す。  目を輝かす俺に、伸一郎さんは親指で後ろを指差した。 「だから背中に、縛りつけといてもいいか?」 「駄目ですが?」 「んだよ。何が不満だよ」  いい雰囲気だったのに鎮火させやがって。でも好き。  欠伸しながら歩く彼についていくと梯子(はしご)が現れる。 「こっから二階に上がって、二階の窓から出る」 「梯子かぁ。登ったこと無いな。梯子って一般人でも登れるの?」 「朝ジジイも俺も一般人だわ。先行け。万が一落ちても気にすんな。受け止めてやるから」 「う、うん」  いちいちかっこいいんだから。  手と足をかけ、タンタンと登っていく。意外とすんなり登れた。 「おっけー」  振り返り手を振る。高さに目眩がした。 「うお」  慌てて首を引っ込める。柵も何も無いのだ、危ない…… 「すやー」 「え?」  横を見ると背の低い三段タンスやら机やら道具箱やら。他にも細々した物がたくさん置かれた部屋の真ん中に布団が敷いてあり、埋まるように朝ちゃんが眠っている。  ――こ、こんな狭い! 物が多くて柵もない二階で⁉ 寝てるの?  眠気が完璧に吹き飛ぶ。 「どうした?」  梯子を上がってきた伸一郎さんのために後ろに下がって場所を開ける。 「はが、あ、朝ちゃんが。こんな……。柵もないところで……」 「気にすんな。落ちたって話も聞かねぇし。窓開けるぞ」  寝ている人に気遣うことなく二階の雨戸と窓をスライドさせる。 「うぷ」  ごふうっと冷え切った風が吹き込み、各自の髪をなびかせた。室内に細かな雪が入り込む。 「こっち来い」  物を踏まないように慎重に歩き、彼の横から外を覗き込んだ。 「うわぁ……」  白い。灰色の雲に、白い世界。  色が、二色しかない。 「……」  日常がどれだけ色で溢れかえっているのか思い知った。そして、ここがどれほど寒いのかも。  目線を落とすと、雪の地面が腕を伸ばせばギリ届く高さまで積み上がっている。これは一階から出られないわけだ。 「こ、ここ。毎回こうなの? 本当に?」 「ああ。二階から出入りするのは普通だな。横断歩道や停止線も消えてるし、横断歩道を渡る際に押すボタンあるだろ? あれが凍って押せなかった時もある」  この国ってこんな氷の国だったっけ?  でも「雪が多く降る都市」の表彰台はこの国が独占してるとか、聞いたことがあるな。 「ここから出るの?」 「俺が先に出るから。そこで待っとけ」  窓を跨いで出ようとするジャケットを握る。 「待ってよ。体格的に、伸一郎さんが何かあったら俺じゃ助けられない。俺が先に出る」  中途半端に跨いだ姿勢のまま振り返る。 「はあ? お前に何かあったら俺が助けてやれるが、俺が埋まったらほっとけ。無理に助けようとすると危ないだろ」  より強く握りしめる。 「恋人以前に雪に埋まった人を放置するアホがいるか! ちょ、ほんとに。一旦戻って? 見るだけだったろ?」  雪を見るだけだったことを思い出したのか、伸一郎さんは素直に戻ってきてくれた。窓を閉めると彼の胸に飛び込む。 「おっと」 「はー……。ちょっと舐めてたかも。雪」  ぐりぐりと彼の胸板に額を擦りつける。手袋に包まれた手が、頭をよしよししてくれた。 「これ、どうするの? 助け呼ぶの?」 「日常の風景だっての。もう一階は無かったことにして、二階から出て屋根の雪を下ろすんだよ。じゃないとどんどん積もってくからな。重さで家がこ……」  家の中にいるのにそれ以上言うと俺が怖がると思ったのだろう。フイッと顔を背けた。 「屋根って三角だけど、勝手に落ちないの?」  一応聞いてみる。 「落ち……ないな。スノーダンプとかで上からこつこつやるしかねぇ」 「スノーダンプ?」 「こっちだ。…………?」  案内しようとしてくれたのに俺がまだ抱きついているせいで、動けずに困惑している。  ぱっと腕を放す。 「あ、ごめん」 「いや。お前がこんなに。俺に触れるようになってきてくれて嬉しい」 「……うん」  甘酸っぱい空気が二階を満たす。朝ちゃんは必死で寝たふりを続けた。  隣の部屋に行くと、シャベルや雨具まで雪かきに必要そうな道具が一通り揃っている。二階にこういった部屋があるという事は、冬は出入りが二階からが当たり前になるのだろう。ようやく実感できた。 「でも俺たちは昨日、普通に一階から入ったよな?」 「あれは朝ジジイが、俺たちが来るからって、近所の人に手伝ってもらって道を作ったらしい」 「そんな頑張ってくれてたんだ……」  隣の部屋を覗く。なんだかさっきより無表情になっている気がするが、ちゃんと寝ている寝顔だ。あの冷気を浴びて起きないとは、寒さに慣れている強者感がすごい。 「で、スノーダンプはこれだ」  伸一郎さんが持ってきた大きな銀色の、巨大ちりとり。  掃除の時間に、見たことがある。 「かっこいい」 「……そうか」  何か言いたそうだったけど彼はそれ以上何も言わなかった。 「俺もこれ使うの?」 「お前はシャベルで慎重にやっとけ。……雪とかどうでもいいから、屋根から落ちないようにだけ気をつけろよ?」  なんだか念が籠ってるなぁ。落ちかけたことあるんだろうか。 「返事は?」 「はい」 「屋根から落ちても死ぬし、屋根の雪が直撃しても人間は死ぬからな?」 「危険すぎる……」  装備を整えていく。 「気合入れろよ? これ終わったら朝食だ」 「うん!」 (危険つってんのに。やることが出来たらイキイキしてやがるな……)  長靴に履き替えていると、かぽっと頭に何か乗せられる。 「?」  取ってみるとヘルメットだった。 「これいるの?」 「ヘッドライトもついてるしな。すぐ雪が付着して光が弱まるが、まあ、無いよりいいだろ」  朝とは言え、雪雲で閉ざされている外は暗い。 「それと、出来るだけ声をかけてくれ。聞こえなくなったなと思ったら助けに行ってやる」 「伸一郎さんもね!」 「俺は助けなくていい」 「だーかーらー!」  まず、窓から伸一郎さんが慎重に外に出る。ずぼっと埋まらないかハラハラして見ていたが、雪は意外と固いようだ。長靴で雪を踏みつけ、俺が下りても平気か確認してくれている。 (駄目だ。彼が何してても嬉しく感じてしまう)  肘をついて眺めていると手招きされる。 「先にシャベル貸せ」 「はい」  シャベルを渡してから窓を跨ぐ。 「気をつけてね」 「あ、朝ちゃんさん」  起きたんですね。急に声をかけられ変な呼び方になってしまった。 「おはようございます。気を付けて行ってきます」 「うん」  雪の世界に飛び出した。

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