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おもくてあまくてにがいもの(了)
親父がヤクザから金を借りていたと知った日から数週間が経とうとしていた。
つまり俺がタツさんの物になって数週間経ったということだ。
あれから俺はほぼ毎日と言って良い程タツさんに抱かれている。初めて抱かれた日、目を覚まして最初に見たのは嫌みたいに整っているタツさんの寝顔だった。当然驚いたし夢じゃないと分かって絶望もしたけど、それからすぐに目を覚ましたタツさんがあんまりにも嬉しそうに笑うから俺はどうしようもない気持ちになって、そのままめちゃくちゃ泣いた。
いつの間にか俺の両腕はタツさんの背中に回っていて、この人にこんな風に縋るのは間違っているって分かっているのに人肌があまりにも心地良くて止められなかった。
タツさんは何も言わなかった。男のくせにずっと泣いている俺に嫌な顔一つせず、たまに出る弱音に相槌を打ってくれるだけ。散々泣いて落ち着いた頃に軽々と抱き上げられて綺麗でデカい風呂に入れられて、これでもかってくらい全身を洗われた。
そしたらそのまま風呂でまた抱かれたんだけど、その時は気絶することはなかった。でも当然疲れはする訳でソファに沈んでいた時隣に座ったタツさんが言ったんだ。
「お前の借金、いやお前の親父の借金か。それは今わしが立て替えとる。…そんな顔すんなって言っても無理よなぁ。まあ借りた先が組じゃなくてわしになったってだけじゃしな」
一気に顔色を失くした俺に苦笑して、タツさんの大きな手が乾いたばかりの髪の毛を撫でる。
「ほんまならなんも気にすんなって言いたいけど、そうもいかんのよなぁ。わしにもメンツってもんがあるけえ。とりあえず組じゃない分利息は付かんけど」
俺の思考には漠然とした「どうしよう」という言葉しか浮かんで来なかった。
5000万なんて大金を返済する術を俺は持っていなし、これから先も持てる気がしない。無利子だとしてもそれがなんだというのだろう。急に冷たい現実に引き戻され絶望に口を閉ざしていると、そんな俺を抱き上げて膝に乗せたタツさんが不安そうな顔で笑っていた。
「…不安にさせてすまんな。本当はこんな手荒い真似しとうなかったんじゃが、お前の親父が飛んだけどうしようもなかった。…わしが昨日のタイミングでいかんかったら他のやつが行っとった。わし以外がユウキ君に触るんがどうしても耐えられんかったんじゃ」
膝の上に乗せられた分俺の方が視線が高くてタツさんを見下ろす形になる。
いつも店で見るときは薄い色付きのサングラスを掛けていたし、昨日はタツさんの顔をちゃんと見るような余裕なんてなかった。
だから今きちんと見ることの出来たその人の顔はどうしてヤクザなんてやっているんだろうと思うほど整っていて、男なのに綺麗だと思ってしまう。
気の強さを表すような眉も今は下がっていて、どこか伺うような目で俺を見ていた。
いつまでも何も言わない俺にタツさんはイラつくようなことも無く、寧ろ悲しげに眉間に皺を寄せて俺の胸元に顔を埋めるみたいに抱き着いてきた。
俺はもうその接触に怖いなんて思わなくなっていた。
「どうしてもユウキ君が欲しかった。どうやったらわしのモンになってくれるんじゃろって考えたけど、触ったらもう無理じゃった。止められんかった。怖い思いさせてすまん。…本当にごめん」
タツさんの長い腕が俺を縛るみたいに抱き締める。
顔を埋めているせいで声は曇っているし、息が肌に掛かってくすぐったい。
「……どうしてタツさんが謝るんですか?」
喫茶店で見るタツさんと、昨日のタツさん、そして今俺を抱き締めるタツさん、全てが違う人のように思えるけどたった一つだけ同じものがある。
喘ぎ過ぎて枯れた声で問いかけると少しだけタツさんの顔が上がった。
そうして体の拘束も緩んで、大きな手が俺の顔を撫でる。
その手つきの優しさだけは変わらない。
「…ユウキ君に嫌われとうないけえ、じゃな」
「…なんで」
「あんだけ言うたのにまだ信じとらんのん。愛しとるって言ったじゃろ」
「、だから、それがなんで…っ」
続けようとした言葉はタツさんの唇に塞がれて、微かなリップ音と一緒に唇が離れたあとは少し間が開いた。
「…人を好きになるのに理由なんてないじゃろ。ユウキ君に至ってはわしみたいなのに好かれて心底運が悪いと思うけど、もう離しちゃれんわ。少なくとも5000万返してもらうまでは絶対に手放さん。いや、5000万もし返せたとしても手放さんけどな。もうユウキ君わしのじゃし、わしのになるって言ったし」
不安そうだった顔が今は子供みたいな拗ねた顔になって、顔に触れている手が俺の頬を軽く抓る。痛みを伴わないじゃれあいみたいな触れ合いに混乱していないと言ったら嘘になる。
声だって上手く出せないし、きっと表情はずっと強張っている。体もガチガチに緊張したままだ。だけど、それなのに。
「…じゃけ、せめて5000万分は愛させて。返せなんて言わん。わしと一緒におって」
好きになって。
そう甘い声で囁かれてまた唇を塞がれた。
ありえない状況なのに、もっときちんと考えないといけないのに、タツさんから囁かれる愛の言葉に俺は確かな嬉しさを感じていた。
「愛しとるよ」
深くなる口付けの合間に囁かれた言葉は雪みたいに俺の中で降り積もる。
気が付けば俺は自分からタツさんに抱き着いて与えられる快感と甘い言葉を受け入れていた。
そんな風にタツさんに抱かれて、甘やかされて、ぐずぐずにされて、一歩もタツさんの家から出ることを許されないまま数週間が経った。
バイトのこととか、家のこととか、気になる事は山のようにあるけど、口にするとタツさんが拗ねるからあまり言わないようにしていた。
ただただ愛されて甘やかされるだけの日々が続く。
どうやらタツさんは俺が寝ている間に外に出ているようで、抱き潰されて気絶して、そして目を覚ましたらスーツ姿だったとかっていうのがよくある。「俺にばっか構ってていいの」って聞いたら「ユウキ君以上に優先するもんなんぞない」って言われて蕩けそうになるくらい深いキスをされる。
きっと世間ではこれをアイジンというんだろう。
でも俺が何かしていないと不安になるのをわかっているらしくて、俺はこの家の家政夫みたいなことをしている。家事は一通り出来るし、食材とかはタツさんの弟分みたいな人が家の前に置いていってくれている。
もちろん俺はそれすら取りにいけない訳だけど、おかげで冷蔵庫の中は結構充実していて、タツさんは家事をしている俺の後ろをよく雛鳥みたいに追いかけて来る。
最初は混乱したし薄気味悪かったけど慣れるもんで、一週間もすればそれが普通になった。
スマホはいつの間にか解約されてた。どうやったのかなんて疑問を持つことも俺はもうしなくなっていて、数少ない俺の思い出とか交友関係も無くなってちょっと凹んだけど写真だけはタツさんがP Cに残してくれていた。
その時にどうしても店長にだけは連絡したいってお願いしたらタツさんは渋い顔でしばらく黙ったあと「しゃーない」そう承諾してくれた。その日も抱かれたけど、いつもより結構しつこかった気がする。
そんなこんなで俺はただタツさんに愛される為に生きている訳なんだけど、今日はいつもと状況が違った。
昨夜もぐずぐずになるまで溶かされて気絶するみたいに寝て、起きたら家の中に人の気配がしなかった。
昼だろうか、それに近い朝だろうか。スマホも持たず壁掛けの時計もないこの家で時間を知るにはテレビをつけるしかないのだが、俺はそれもしなかった。
タツさんがいない。
そのことに感じたことのない不安が足の裏から一気に全身を駆け回る。
風呂場、トイレ、クローゼットや人が入れそうな場所を全部開けて、ベランダも見た。そこにも、見える景色の範囲にもタツさんがいない。
「タツさん、タツさん…っ」
心臓が壊れそうなくらい脈打っている。呼吸を乱しながら玄関にまで行っても当然タツさんの靴はなくて、でも俺はその前にある扉を開けることも、ドアノブに手を掛けることすら出来ない。
探しに行かなきゃ。でもどこに?
外に行けばもしかしたら見つかるかも。普段あの人がどこにいるのかも知らないのに?
それに。
外に出たら嫌われる。
そう思った途端足が凍り付いたみたいにその場から動けなくなった。寒くてしょうがなくて、でもここから動けなくて、俺はその場にしゃがみ込んだ。
混乱してぐちゃぐちゃな頭の中でどこか冷静な、まるで他人みたいな自分が問いかけて来る。
「逃げるチャンスだろ」
その通りだと思った。けれど俺はここから逃げるという気持ちは微塵も無かった。
「店長にも店の人にも迷惑掛けてんだぞ。それに、それにもしかしたら親父だって帰ってるかもしれねえじゃん」
それも何度も思ったことだった。迷惑を掛けているという罪悪感に死にそうになった。もしかしたら親父が、なんて希望も持った。
だけど、と俺は首を横に振った。
「……タツさんに、嫌われたくない」
それを声に出してから頭の中の俺はスッと消えていった。
「…さいていだ…」
膝を抱えてその間に顔を埋め、何度も思った言葉を口に出す。
最低だ、最低なことをしている。人として取ってはいけない行動をしている。取ってはいけない人の手を取ろうとしている。
そんなこと全部わかってる、わかってるけど。
「はやく帰ってきてよ」
もう俺はあの人のぬくもりを手放すことが出来ない。
まだ冬ということもあって酷く寒い。体が震える。だけど俺はその場から離れようとは思わなかった。
だってここで待っていれば一番にタツさんを見つけられる。
そしたらきっと、あの派手な顔で思いの外優しく笑って俺を抱き締めてくれる。「ええ子」って褒めてもらえる。ここにいれば、欲しいものが与えられる。
膝を抱えたままどれくらい待っただろうか。
もう尻の感覚は無いし、寒くて逆に体が熱くなってきた。玄関は外の光が入らないから時間の経過もわからない。このままここで寝てしまおうかと目を閉じたその数秒後、外を歩く音が聞こえた。
どこかのマンションの最上階らしいこの階には他に部屋はなく、瞬時にタツさんが帰ってきたのだと理解して俺は床に手をついた。だけどずっと座り込んでいたせいか、寒さのせいか体が思うように動かず少しまごついてしまう。ロックが外れる音がして、ドアノブが下がる。がちゃりと音がして扉が開いたのと立ち上がれたのはほとんど同時で、俺はそのまま顔も見ずに中に入ってきた人に抱き着いた。
もうすっかり慣れてしまった煙草の香りとタツさんの匂いがして、凍り付いた体に血が巡っていく感覚がした。
「…なん、待っとったん?」
低い色気のある声が楽しそうな声で囁いた。
それに迷わず頷くと笑う気配がして、長い腕が俺の体に回った。
「…どんくらい待っとったん。体冷えとるわ。こりゃ風呂じゃな」
俺の髪に鼻先を埋めたことで温度がわかったのか、少し楽しく無さそうな声で呟いてタツさんはなんてことないみたいに俺を抱き上げる。
「一緒に入るか。ええ子で待ってくれとったユウキ君をあっためんといけんけえな」
始めは嗅ぐだけで恐怖を感じていたこの匂いも今となれば一種の精神安定剤になる。首筋に顔を埋めて抱き着く俺にタツさんは機嫌良さそうに知らない歌を口遊みながら風呂場に入った。
「一回下ろすわ。ちゃあんと目の前におるけえな」
ぽんぽんと子供にするみたいに背中を叩かれて俺は渋々腕の力を緩めて床に足を下ろす。すると大きな手が褒めるみたいに頭を撫でてくれて、それだけで心がふわりと軽くなった気がした。
タツさんはサングラスの奥の目を細め、慣れた手つきで俺の服を脱がせて行く。初めて抱かれたあの日以降、夜した後は必ずタツさんが俺に服を着せてくれている。肌がベタつかないからきっと風呂にも入れてくれていると思うけれど、生憎俺は覚えていない。
思えばここに来てから自分で服を脱ぐことも着ることもしていない気がする。
「…考えごと?」
「…タツさんのこと考えてた」
「ならええ。ずっとわしのこと考えとって」
掠めるみたいにキスされて、今度はタツさんが服を脱いでいく。
鍛えられた体よりも先に目がいくのは腕や胸元、背中を彩る刺青。多分和彫りというやつで、特に背中に彫られている何らかしらの仏像と椿の花はとても綺麗で格好良い。
お互いに裸になって、タツさんに腰を抱かれて風呂場に入る。シャワーからお湯を出しながら最初にするのは息が出来なくなるくらいのキス。タツさんはどうやらキスが好きらしくて事あるごとにしたがる。
いつまで経っても慣れなくて腰が抜けそうなところで唇が離れるとぎゅうっと抱き締められる。素肌の方が気持ちがいいんだと気が付いてからは俺は自分からもよくタツさんに抱き着いていた。頭からシャワーを被って、その水分で余計に肌が吸い付くみたいになる。
いつもならここでまた抱かれたりするのだが今日はそうでは無いらしく、タツさんは甲斐甲斐しく俺の髪や体を洗う。それが終わったら今度は俺の番で、案外細くて柔らかいタツさんの髪をやけに良い匂いのするシャンプーで洗って、泡を流したら今度はトリートメントをつける。髪や体を洗っていると「あー」なんて心地良さそうな、けれどおじさんくさい声を出すから思わず笑ってしまうと振り向いたタツさんが片手を伸ばして俺の頬を抓る。
たまにじゃれあいながら体の泡も流して湯船に入ると二人の体重のせいでお湯が勢いよく流れていく。
俺の定位置はタツさんの前。男が二人で入ってもまだ余裕のある浴槽の中で鍛えられた体に背中を預ける。腹にはタツさんの腕が回っていて、お湯と人肌が心地よくて吐息が漏れた。
「…一人にしてすまんかった。もうちょい早く帰れる予定じゃったんじゃが、ちぃと盛り上がってしもうて」
「……仕事?」
「そう、オシゴト」
「…そっか」
「寂しかった?」
濡れた手で顎を掴まれて後ろを向かされる。
そこにはやっぱり楽しそうなタツさんがいて、俺は軽く唇を尖らせながら頷いた。
「はは、そうか。寂しかったか、かわええのぉ」
吹き出すみたいに笑って顎から手が離れた代わりにキツく抱き締められる。
少し苦しいけれど手が届く範囲にタツさんがいることがあまりに心地よくて目を細めた。抱き締める力が緩まると「こっち向き」と囁かれて、背中を預けた体勢から向き合うものに変わる。タツさんの膝の上に座るから視線が高くなって、蛇みたいな目がよく見えるようになった。
「風呂上がったら飯にするか。今日はわしが作るけ、ユウキ君はソファでゆっくりしとき」
「え、でも、」
「今からどの道お前立てんくなるし」
俺がその意味を理解するよりも早く唇が重なって大きな手が俺の尻を揉む。湯の揺れる音とリップ音、時間が経つとそこに俺の聞きたく無いような声と肌のぶつかる音が混ざるようになった。
その間もタツさんはずっと俺に好きだとか愛してるとか伝えてくれる。
全身で俺が好きなんだって伝えてくれるから、俺はいつしかタツさんに抱かれるのが苦じゃなくなっていた。
風呂でしているせいで熱気が篭って暑くて仕方がない。逆上せそうなくらい薄くて濃厚な空気の中でタツさんが囁いてくる。
「っ、気持ちいいなあ、ユウキ君」
ばちゅ、と濡れた肌同士がぶつかって腹の奥の狭いところをごつごつ突かれて、正直気絶しそうなくらい気持ちいい。後ろから抱えるみたいにして何度も中を擦られて俺は喘ぎながら何回も頷く。
浴室の濡れた壁に手をついて、立ったまま後ろから犯される。膝が震えて立っていられないのに体に回ったタツさんの腕が支えてくれているからそのまま揺さぶられ続ける。
ただ中を擦られたり、中の気持ち良いところに当てられているだけでも気が遠くなる程の刺激が襲うのに、タツさんの大きな手のひらが臍の下辺りを圧迫して目の前に星が散る。
夢中に首を横に振り無理だと、嫌だと訴えてもタツさんは手を離さない。外からも圧迫されているせいでタツさんの形がもっとわかって、今どのあたりを突いているのかを嫌でも意識してしまう。
深い、怖い、気持ちいい。
思考ではその単語がループするのに口からは言葉になりきらない喘ぎしか出ない。
もう何度達したのかも、どれくらい時間が経ったかもわからないまま、数回目のタツさんの熱を腹の中に受け止めてセックスは終わりを告げる。その頃には俺はもうほとんど気絶してるみたいなもんで、ぼんやりとした意識の中「やりすぎた」少し焦ったタツさんの声が聞こえた。
「ほら、ユウキ君口開けぇ」
バスローブ的なものを羽織っただけでリビングに移動すると途端に冷たい空気が頬を撫でて今はそれが心地良いとすら感じる。雲の中にいるようなふわふわとした心地の中、ぼんやりと聞こえる声に従って口を開けるとまたキスされた。
だけどそれが水を飲ませる為のものだとわかると俺は夢中で喉仏を上下させて水を求める。
「…もっと欲しい?」
「ん、ちょうだい」
「オーケー」
その行為が俺が満足するまで続いて「もういい」と首を振ると残った水は全部タツさんが飲んでいた。それから俺はエアコンを起動させたリビングのソファに寝かせられ、少しだけ見えるタツさんの姿を目で追う。
「チャーハンでええ?」
「タツさんそれしか作れねえじゃん」
掠れた声で茶化すように言えば「ダル」と楽しげな笑い声が返ってきた。
少しすればキッチンから卵の焼ける良い匂いがしてきた。それから醤油とソースの少し焦げた匂い。タツさんの作るチャーハンはいつだって濃い味で、食べてると無性に喉が渇く。
だけど俺はそんなチャーハンが好きだった。
「お、今日は良い出来じゃわ」
湯気の立つ料理を見て胸がほわほわと暖かくなる。自分の為に作られた料理は何度見ても嬉しくて「ありがとう」お礼を言うとタツさんは優しく笑った。
腰が立たないどころか指も満足に動かせない俺が食事をするときは決まってタツさんの膝の上だ。全体的に黒っぽい茶色のチャーハンをスプーンに乗せて、少し息を吹きかけてから俺の口元に運んでくれる。
「ほら、あーん」
始めは困惑していたこの行動も今となれば慣れたし、心地良さすら感じる。
口内に広がるソースの香りと温かな食事に目を細めながら咀嚼して飲み込むとすぐさま次の一口がやってくる。
「美味いか?」
「うん、美味いよ。ありがとうタツさん」
また一口、もう一口と食べ進めると腹は満たされて皿の中も空になる。皿をテーブルに置いてタツさんは俺を両手で抱き締めるとまだ乾ききっていない髪に顔を埋めた。
この流れもいつも通りだが、今日はなんとなくタツさんの機嫌がいつもより良い気がした。どうしてだかはわからない。きっと勘というやつ。
「……なんかいいことあった?」
「…ん?」
少しだけ顔が離れて、低い声が耳元で聞こえる。
振り向くと見えたのは口角を上げて笑っているタツさんの顔で、いつも通りの顔の筈なのに少しだけ怖いと思ってしまった。
──あの日みたいな顔してる。
タツさんにお笑い芸人のチケットを返した時の蛇みたいな、獲物を見るような目。首筋に刃物を突きつけられているような感覚になるその表情は少し苦手だ。
「…そうじゃな、今日はええ仕事が出来たけえそのせいで昂っとるんかもしれんわ。ここ最近で一番やりがいのある仕事じゃったのぉ、思い出しただけでおかしいてしょうがない」
喉で低く笑ったタツさんが俺の頬を優しく撫でる。
タツさんはヤクザだ。だから仕事というのも間違いなくそっち関係で、いい仕事をしたということは、きっと俺みたいなやつからしたら恐怖でしかないことをやってのけて来たのだろう。
外はいつの間にか茜色に染まり始めていた。
日照時間の短い冬だ。この茜空もあと数十分もしないうちに夜になる。
「ユウキ君、愛しとるよ。ずーっと一緒じゃけえな」
頬を撫でていたタツさんの手が後頭部に移動する。
俺も自然と体をタツさんの方に向けて、ゆっくりと目を閉じた。
「…俺も、タツさんがすきだよ」
唇が重なって、さっき食べたチャーハンのソースの匂いに混ざってタツさんの匂いがした。いつもの特別感のある匂いに混ざって庶民的な香りがするのがおかしくて思わず笑うと、タツさんも似たようなことを思っていたのか「ソースの味がする」って笑った。
首に腕を回して、またキスをする。そのままソファに押し倒されて「もう無理だ」って言ってもタツさんは聞く耳を持ってくれなくて、だけど求められるのが嬉しくて、俺はまたタツさんと体を繋げる。
しあわせだって、そう思った。
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