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サヨナラの前の忘れ物 1

いつもと同じ朝、いつもと同じスマホのアラーム。いつもと同じ時間に目覚めて、いつもと何ひとつ変わらぬ生活が今日も幕を開けていく……と、思っていたのに。 「うわぁっ!?ここ何処、誰、何、なんで……俺、またやったんですね……すみません、失礼致します」 目覚めて早々、そう言った俺の朝はいつもとまるで違っていた。 自室ではない見知らぬベッド、そこにいるのは何故か全裸の自分。いつもと違う妙な違和感を覚えて飛び起きてみれば、これまた見知らぬ男が俺と同様、全裸の姿でベッドの中から顔を覗かせていた。 驚きと、戸惑いと、それから大きな嫌悪感を自分自身に抱き、自分が昨日何をしていたのか必死で頭を回転させて。出てきた一つの答えに俺は深い溜息を零しつつも、腰に感じるどうしようもない痛みに眉を寄せてしまう。 酒に酔って俺は昨晩、この男に抱かれたんだ。 ……でも、どうして。 2LDKのマンションに暮らす、29歳の独身男。 平凡な日常がお似合いの俺、竜崎 隼(りゅうざき じゅん)の朝はスマホで閲覧できるスポーツ記事に目を通すことから始まるはずなのに。 好きだからを理由にし、サッカー関連の職に就いて早いもので7年ほどが経つ。サッカーのコーチとしての仕事にやり甲斐を見い出し、無我夢中で駆け抜けた数年間。その間、様々なことを経験しては挫折を繰り返して。仕事ではそこそこの地位に就けたものの、その見返りとして俺は愛しく思っていた人を失ったけれど。 とりあえず、今はそんなこと全てどうでもよくて。呪文を唱え、腰を庇い、ベッドから抜け出そうとした俺は、そこから伸びてきた男の手に捕まっていた。 「じゅーんちゃん、名刺ちょうだい?」 背後から俺を抱き竦め、そう呟いたのはベッドの中にいたはずのやたらと顔のいい男。思わず吸い込まれそうになるほどの綺麗な瞳が俺に向けられ、その男の柔らかい栗色の髪が俺の頬を撫でていく。 心地よく響く声と、耳に掛かる僅かな吐息。 自分がこの男と同じ性別なことを疑いたくなるほど、色気のある人物の名を思い出そうとしても、途切れた記憶は薄らとしか蘇らなくて。 「あの、貴方は一体誰ですか。一応確認しておきますが、俺は昨晩貴方に抱かれ……っ、ん……ちょっと」 誰かも分からぬ相手に身体を許した昨日の自分、そしてその続きからスタートしたかのような今日の朝。滑らかに動く男の手が俺の股間部分に触れ、俺の言いたいことは名も知らない男によって遮られてしまった。 「見りゃ分かんだろ。それとも、俺ともう1回する?」 ……ええ、確かに見れば分かることですが。 全裸の男が2人で一夜を共にして、今はラブホテルのベッドの上にいるんですものね。そりゃあ、やることやったんでしょうよ……俺、腰痛いから。ついでに、俺が着ていたはずのスーツは脱ぎ散らかしてあるんですもの。あー、俺の下着は一体どこにあるんだろう。 なんて、この言葉を俺は全て呑み込んで。 「しません、離してください。名刺なら差し上げますから、それでご勘弁を……」 見ず知らずの男にそう言って、許しを乞うことになったのが、平凡な振りをして生きている俺の日常を狂わす第一歩となったのだ。
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