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失ったものと得られたもの 8
自分で自分が分からない。
会いたくないのに、求めてしまう。
本心はどちらか、なんて。
どっちも俺自身の感情なのだから、どちらか一方を選ぶことなんてできない。
けれど。
現実は、常に自ら選択をして生きているのだろう……飛鳥に抱かれることを望んでいるのは、俺の方だと。遠回しにそう言われても、このあやふやな気持ちの整理なんてものはつきそうになかった。
思考を停止すれば、気持ち良くなれる。
心を開放すれば、晒け出すことができる。
ただ、そこに理性という名のフィルターがかかることで、俺たち人間は知性と秩序を持って生きていけるのではないかと。それこそが、人間として生きていく上での愛情の育み方なのではないかと。
そんな俺のちっぽけなアイデンティティが、飛鳥によって崩されていくような気がする。
「……それにしても、散々だ」
結局、言いたいことだけ言って気が済んだらしい飛鳥は、俺から新品のくつ下を奪うと満足そうに家から出ていった。
出張用で揃えてある肌着類があったから良かったものの、俺がそれを差し出すことがなかったら、あの男は素足で帰るつもりだったのだろうか。
けれど、そんなことよりも。
俺が飛鳥の足で悶えるほど感じていたなんて、知りたくなかった。
あの飛鳥が人の家の物を勝手に物色し、タオルやら俺の下着やらを取り出して最低限の後始末まで済まされていたことだって、知りたくなかった。
後先考えずにとんでもない行為をする飛鳥の頭は超絶おかしいけれど、その男を誘った張本人の俺も充分同類……だとは、絶対に思いたくないのに。
ゴミ箱に捨てられたあの男のくつ下も、まだ湿り気の残るシーツも、洗濯機に放り投げられた数枚のタオルも、全部。飛鳥との遊戯に溺れた俺の身体が心底悦んでいたことを告げる。
知らぬ間に大きくなっていた心の隙間に、ピタリとはまる飛鳥の存在。与えられる快楽が麻薬のように身体を蝕み、強く残留するタバコと香水の匂いを感じて俺は唇を噛みしめた。
女性の匂いを微かに漂わせるくせに、飛鳥からはとてつもなく良い香りがする。頭がおかしくなりそうな、思わず縋りたくなってしまうような匂い。
飛鳥の好みなのか、他のタバコと違い、ゆっくりと時間をかけて燃えゆるタバコも、あの男の雰囲気に似合い過ぎていて嫌になる。
虚しさを抱えながら、せっかくの休みに汚れたベッドの処理を独りでする俺は、何処から見ても滑稽だろうな……と、そこまで考え、俺は自嘲した。
誰でもいいと思っていた相手が、飛鳥でなければ嫌だと感じる。
ギリギリまで溜め込んだ性欲も、孤独ゆえの寂しさも、あの男なら全てを満たしてくれるのではないかと、淡い期待をしてしまう。
けれども。
それは、一瞬の快楽で、まやかし。
人して、正しく、生きるのか。
貪欲に、間違い、生きるのか。
どちらが、俺を幸せへと導くのだろう。
それを決めるのは、誰でもない俺自身なのに。定まらない想いは、揺らいだまま孤独感だけを教えてくれる。
リビングに残した、水のない水槽。
渇き切ったそこにもう一度、俺が愛を注いでやれる日がくるのなら。
俺が正しいと思っていた彼女との関係は間違いだった、と……そう、自身で認めてやれることができるのなら。
もっと。
自分に正直に、生きていいのなら。
「……って、できるわけないか」
もう一度、飛鳥の腕に抱かれたい。
なんて。
言葉にすることができずに、俺は今日も独りで自分のエゴと向き合い続けるしかなかったんだ。
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