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失ったものと得られたもの 7
それが飛鳥の全て、か。
その言葉に動揺し、半ばヤケクソでまだ熱さが残るコーヒーを俺は一気に飲み干していった。
喉が焼けるような熱さと、どことなく感じる胃痛。それらを全てなかったことにし、液体もなくなったマグカップをぼんやりと眺めていく。
俺は、何も知らない。
知らないけれど、知っていることがある。
白石飛鳥が俺に与える影響力は半端なく、脳が痺れるような錯覚を生む……と、いうこと。
晒け出すって、何をどうすればいいのだろう。偽っているわけではないのに、心の中に残った飛鳥の言葉は重いままだけれど。
「それが飛鳥の全てなのなら、弟さんの話はどうなるんだ」
おそらく、この男が俺を繋ぎ止める理由はあの日の頼みごとのはずだ。そう思いを声に乗せた俺に、飛鳥は満足そうな顔をした。
「へぇー、隼の方から尋ねてくれるとは嬉しい限りだ。しかもこの話の流れでぶっ込んでくる感じ、やっぱお前はすげぇ面白い」
「面白さとか、今はどうでもいいです。飛鳥の本題は、こっちの話でしょう……そうでなきゃ、こんな俺を二度も抱くなんて真似はしないはずです」
サッカースクールのコーチ。
それが飛鳥にとっては必要で、その為に俺は都合良く利用されているにすぎない。でなければ、このような事態にはなっていないであろう。
これを偶然と呼ぶのか。
それとも必然と捉えるのか。
俺と飛鳥の出会いをどちらの言葉で彩るのか、俺はこの先、何度も同じ問題に挑まなくてはならなくなりそうなのに。
「当たらずとも遠からずってとこか。そんな不満そうな顔しちゃって、まぁ、昨日も文句言ってたから無理もねぇとは思うけど」
「文句の一つくらい、誰だって言うでしょう。特に、飛鳥のような掴めない人間には」
落ち着き放つ飛鳥が気に食わなくて、俺はどうしてもこの男の前ではムキになってしまうらしい。
気が動揺すると、飲み物を一気に体内へと流し込む癖を直したい……が、それもなかなか上手くいかない。握り締めたマグカップをもう一度、口へ運ぼうとして漏れたのは溜め息だ。
これ以上、ストレスを感じたくない。
そう思っているのは事実なのに、飛鳥がまだ俺と向き合ってくれていることに安堵感を覚えてしまう。
そんな俺の気持ちを見抜いているとでも言いたげに、俺から視線を逸らした飛鳥はゆったりとタバコを咥えている。
当たり前のように、人の部屋でタバコを吸っている他人。こんな人間を自宅に招き入れたことを後悔しても後の祭りだが、後悔せずにはいられない。
けれど。
もう今更、飛鳥に注意を促すことはできそうになくて……というより、諦めに近い気持ちが強くて俺は漂う紫煙を見つめた。
「弟には、来月中に話す予定でいる。ただ、決めるのはアイツだ……夢を追うのも、手放すのも、あのクソガキが自分自身で判断することだからな」
言っていることはごもっともだが、飛鳥の発言は何故こうも素直に頷けないものばかりなのだろうか。
「あのっ、僕にもそうですけど。飛鳥は、相手の予定を考慮して動くとかできないんですか。僕も飛鳥のこと知りませんよ、知りませんけどッ、さすがに自分勝手過ぎやしないでしょうか?」
「だから言ってんだろ、これが俺だって。合わないなら無理に合わせる必要はねぇの、それはお前だって同じだ。本心から俺に会いたくなきゃ、会わなきゃいいだけの話」
嫌で仕方ない。
こんな人間、嫌いだ。
それなのに。
心の隙間を埋めて満ちるこの感覚を、俺はなんと呼べばいいのだろう。
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