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第20話
それでもすっと手に手をとられて口元に持っていかれたとき、いよいよ始まるのだというおののきが襲って、ぼくは逃げ出したくなった。
ぼくは臆病者だった。不安でいっぱいだった。
タカハシはぼくの片手をとり、目を伏せながら、指にそして指の股に、執拗に舌を這わせ始めた。始めぎょっとしたけれど、繰り返されるうちに異様な、もぞもぞした、ぞわぞわとした、やがて強烈な痺れとなった蠢きが全身に――とくに腰のあたりに――立ちのぼってくるのを感じて、ぼくは猛烈に困惑した。
薄く閉じられた流麗な瞳を間近にし、整った唇からときおり漏れる吐息を指先に感じて、裏に表に、巧みにぼくの指を責める舌が呼び覚ます惑乱した感覚に、ぼくはそれだけで感じ、息を乱し、激しく勃起した。
「…嫌――」
そんなふうにしないで。ヘンになってしまう――。そう手を引っ込めようとした、それをまるで感知したかのようにタカハシの舌がぼくの手を解放する。
火照った肌に甘い痺れが残った。もっとしてというみたいに、ぼくはかえって手を動かしがたくなった。
(やっぱり二桁もダテじゃないんだな――)
それにしたってただ手を責められただけで勃起してしまう自分が情けなかった。
「本当にいいの? しちゃって」
いつになく暗い、陰影のある声だった。
ぼくは負けが決まった勝負のためにステージに上がるようなものだった。そう分かりつつ頷いた。理性はとうに麻痺していた。
耳朶 を噛まれる。じっと耐えていると痛みが強くなってきて、ぼくは小さな悲鳴をあげた。それでふっと解放される。続けざまに、首筋や鎖骨のあたりを食い付くようなキスやざらざらした舌先が責めたてる。
息が乱れ、胸で喘ぎ、心臓が暴れだした。
タカハシは慣れた手つきでぼくのシャツのボタンを外し、あらわになった肌をひとしきり撫でる。
「細いな」
「細いのは嫌?」
確かにこんなガラみたいのじゃ抱く気にならないかしら。
「壊れそうで怖い」
「壊れないから。ちゃんと抱いて。お願い」
「ちゃんと?」
「壊れ物みたいにして、手を抜かれたら嫌だよ」
「それはしない」
笑って答える。
脇腹に添えられていた掌が胸へと移動する。固い指先が別の生き物のようになって胸の突起を抓み、戯れた。
「ん…っ」
体の中心に痺れが走った。腰に再び、重い蠢きがわきたってくる。
喘ぎながら不思議に思った。
どうして、なんのためにこんなことをするのだろう。
気持ちよくさせるため? 乱れる相手を眺めて、愉しむため? それとも、ただのいたずら目的なのだろうか――? ああ、くらだない。なんて、いらない思考なんだろう。ぼくは、いつも。
「――ふ、」
乳輪ごと口に吸われて、強く噛まれた。舌で執拗に絡まれて、甘苦しさに身を捩る。
背中が痛んだけれども、すぐにそれすらも忘れてしまえるほど、快感の高ぶりに抗うことができない。腰に甘い痺れが興り重く纏いついた。
普段はその存在すら忘れているような恥所を責められ、初めて経験する快楽の昂りに繰り返し押し寄せられて、ぼくのペニスは短パンを押しあげるほどいきり勃ち、先走った液が漏れ出ていた。それを察したみたいに、タカハシが服の上から手を添える。そのまま包み込まれた。
「…ッ」
悲鳴を唇で吸いとられる。
タカハシの乱れ入る舌に強く導かれ、強く吸い込まれて、ぼくの舌が彼の口内にずるっと入る。その厚みを確かめるみたいに、何度も噛まれた。
ぼくは嗚咽の声を洩らした。
堪忍して、堪忍して…と。キスで犯されているみたいだった。
体を掬いあげられて、ベッドへと導かれる。彼に覆われながら横になった途端、背中に衝撃が走った。
「ウウッ!」
「なんだ…? どうした?」
タカハシが驚いて上体を起こす。ぼくは、懸命に首を振った。
「なんでもない。ごめん…」
本当は目に星が散るほどの激痛だった。けれど、この痛みに耐えなくては抱かれることなどままならない。
まもなくタカハシの手が肩に入ってきてシャツを脱がそうとしたので、ぼくは静かに抗った。
「シャツは、このままがいい」
切れ長の瞳に、怪訝そうな影がさす。
「脱がないのか?」
「うん」
「なぜ?」
「背中にひどい火傷の痕があるから、見られたくない。だから、お願い。このままにして」
タカハシは返事をしなかった。不審に顔を曇らせるタカハシの腕を、ぼくはぐっと掴んだ。
「見ないで。絶対にだよ――?」
念を押す。あれ。これってなんとなく夕鶴みたいだ。
『ですから与ひょうさま、このふすまをけして開けないでくださいまし。一目でも見られてしまったら、つうは、もう僅かもここにおられませぬ。』
――もし見られでもしたら、ぼくもここにはいられないんだよ、タカハシ。
「分かった…」
釈然としかねる顔でタカハシが答える。
「そんなことより、続きしてよ。あんたの、すごく、気持ちいい――」
ぼくはタカハシの首に両腕をまわして引き寄せ、いったん盛りさがってしまった欲望の溝を埋めるみたいに、覚えたてのキスをねだった。
背中の痛みなど、どうでもいい。
タカハシに抱かれているうちに肺に肋骨が刺さって死ねるなら、本望だ。
タカハシの舌が胸やら腹やらを這い始める。ぼくの「いいところ」をすぐに見つけて特に念入りに苛める。その度に感じるぼくは、嬌声をあげて体を打ち振った。
短パンも難なく脱がされてしまった。
熱のある、固くたくましい手のひらがぼくのペニスを包み、指がゆっくりと這い――ぼくの先走った液を先端に塗りたくる。いやらしく、ちょうどいい強さで…。括れにまで、ぬるぬると。
ぼくは息もたえだえになって、快楽の嵐の中で身を揉んだ。
「ん、だめ――」
ひくついてとまらない腰は、途方もない快感に焙られていまにも蕩けそうだった。
「イッちゃうよ…」
タカハシが軽く笑う。
「まだだろ」
「あ…! ね…ぼく、あんたと一緒にイキたい。この間の、あいつみたいに。できる?」
疼く腰を大きくうねらせながら、ぼくはせがんだ。
「ああ、できると思う」
顔色ひとつ変えやしない。憎らしいくらいのポーカーフェイス。
「じゃあ、そろそろ繋がろうか」
「ん」
頷くと、ゆっくりと体をひっくり返された。
「背中、見ないでよ」
もう一度、念を押した。
「分かってる」
ぼくは習慣的に四つ這いになった。自分でも情けなるほどに慣れている姿勢。こんなぼくを見て、タカハシはなにを心中に感じるだろう。
尻を大きな手のひらで包まれた。油は塗ってこなかった。どんなに痛くてもタカハシをそのまま感じたくて…。
「あっ?」
突然、そこに思いがけない感触がして、体が竦んだ。…舌。舌が、あそこを舐めてる。
「んぁ…? ダメ、ダメだよ? そんなの、ダメ――!」
タカハシがぼくの尻の谷間に顔を埋めている図なんて、とんでもないよ。
「いや、いやぁ…!」
這いずろうとしても腿をしっかりと捕まれて動けない。襞の一つ一つまでを丹念に舐めたかと思うと、窄まりの内側まで入り込んできそうなくらいに深く、鋭く、くじられる。
「ああっ! やめて――あんっ、ぁあっ、」
膝がわななく。またビンビンに勃起する。しばらくして舌の感触がやみ、かわりにぬるりとしたものが触れた。
タカハシは、ゼリーを使ってぼくの孔をほぐしていた。やがて、少しずつ指を増されながら内側までも柔らかくされる。なされるまま、ぼくはじっとしていた。いつも突然ぶち込まれるだけのぼくには、こんな手順など分からない。
やがて固いものがあてがわれる。
その時を予感して歯を食いしばった。
孔が押し広げられる。異物が侵入する。
「んぁ――おっきい…!」
どんだけの淫乱だよ、と思われそうな言葉を口走ってしまったことを、言ってから後悔する。
そのまま少しずつ挿し込まれる。悟さんみたいに乱暴にじゃない。ほぐされたからか、進入もありがたいほどつらくない。
「あ…」
肩で息をつくと、耳の後ろでタカハシがそっと呟く。
「すんなり入ったな」
静かにピストンを始める。少しずつ、様子を覗うみたいに。
一方でぼくは胸に不快な靄 がわいた。
(どういう意味だよ、それって――)
確かに、どちらかといえば簡単に入った方だろう。指でほぐすのだって、もしかしたら他のやつより楽だったのかもしれない。
だってぼくはやられ慣れてるのだもの。いやいやだって毎日やられていたらお尻はガバガバになる。バージン や久しぶりのやつなら、それこそもっともっと入りにくくてつらいだろうけれど――と思った途端、心臓が激しく抉られた。頭の上から冷や水を浴びたみたいに、全身が冷たくなった。
(――ああ。なんだ。そっか…)
ぼくは苦々しく片頬を歪めた。これか、タカハシの言いたいのは。
タカハシは当然、気付いていたんだろう。もう、きっととっくに。たぶん、ぼくをこの部屋に入れたときから。
そうだよな。タカハシなら気付いたはずだ。
なにをって、昨日もぼくが「ステディ」とセックスしたってことを、だ。
別れるつもりだなんだと言いながら、ひょこひょことヤられたばかりのケツでここにやって来て、自分を誘ったってことをさ。
まったくぼくはバカだ。
タカハシは、ぼくをとんでもなく嘘つきな尻軽野郎だと思っていることだろう。これじゃ軽蔑されたってしかたない。申し開けることもない。
(ならば、いい。それでいい)
泣きたくなる気持ちを抑えた。
ぼくはいま、タカハシに抱かれて彼のものを咥えている。自分で望んだとおりに、だ。それでいいじゃないか。それだけが現実だろう?
ぼくのこのくだらない思考や頼りない感覚よりも確かなもの。ただ、彼と繋がっている、その事実だけがいまのぼくのすべて。それだけがいまのぼくを生かしている。だからいくら軽蔑されたっていい。いくら誤解されたってかまわない。
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