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第10話 ニコとあやとり

 風呂の一件から三日ほど、蒼には自由な時間が出来た。 『芯に聞いたんだ。風呂で蒼に嫌なコト言っちゃったって。しばらくは芯を愛してあげるから、添い寝はまた今度ね』  安心と同時にどうしようもなく不安になった。  また芯が紅の妖術に深く犯されれば、元の芯に戻れなくなる。 『でも蒼も、一日一回は俺とキスね。その時に約束したお願いの話を聞かせてね』  紅の妖術は蒼にはあまり効果が出ていないようだった。  むしろ一日一回のキスは霊力を放出するために必要らしい。 (本心で愛してほしいって言われたし、妖術で心を操ったりする気はないのかな)  いっそ芯と同じように、妖術で操ってくれたら楽だと思った。  今の心境で、本心から紅を愛せる自信がない。  芯の変化を目の当たりにしてから、紅への漠然とした恐怖が消えない。  それが紅自身に対してなのか、紅の妖術に対してなのかは、わからない。 (芯にとって一番良い方法って、何なのかな)  喰われる現実を回避できないのなら、きっと今のままがいい。  幸せな気持ちで死ねる方がいい。  けれどもし、生きるという選択肢があるのなら、今の芯の状態は幸せではない。 (怖いけど、思い切って紅様に相談してみようかな。芯の分まで僕の霊力を食べてもらえれば、逃がしてもらえるかもしれない)  芯が言う通り、蒼の霊力が普通の人間三人分程度あるのなら、蒼が一人いれば紅が餓死する危惧はない。 (お金出して買ってる人間だし、やっぱり無理かな)  人間の相場がいくらなのか知らないが、きっと安くないだろう。  高い金を出して買った人間を只で逃がすとも思えない。 (紅様は優しい妖怪だけど……。そうだった、紅様は、妖怪なんだよな)  どんなタイミングで、何をきっかけに妖怪の本性が出るかわからない。  考えれば考えるほど、ドツボにハマって、蒼は頭を抱えた。 「蒼、大丈夫? 頭が痛いの?」  鞠で遊んでいたニコが蒼に寄ってきた。 「ん、大丈夫。ニコはもう、鞠はいいの?」  縁側に座る蒼の隣に、ニコがちょこんと座った。  ニコは十三歳らしい。背も小さいし幼く見えるから、着物姿が女の子に見える。   「蒼が寂しそうだから、ニコが隣にいてあげる」 「そっか、ありがと」  ニコの頭を撫でる。  大きな耳がくりくり動いて可愛い。  ニコの姿はすっかり子供の妖狐だ。 「色がいなくなっちゃって、寂しくない?」  |双子《自分》の片割れが、どうしていなくなったのか、この様子だと気が付いていないんだろう。  ニコが首を傾げた。 「色って、誰? 蒼の知り合い?」  ニコが不思議そうに問う。  蒼は息を飲んだ。 (そうか。芯が保輔を忘れたように、ニコも忘れてるんだ。ここでもずっと一緒に暮らしていたはずなのに。それでも、忘れちゃうんだ)  もしかしたら、本人にとって大事な相手ほど、忘れてしまうのかもしれない。  覚えていたら辛くて苦しい相手だから、忘れるのかもしれない。 (痛くも、辛くも、苦しくも、ない。覚えていたら、辛い。だけど、忘れるのは、幸せなのかな)  きっと今の蒼の思考自体が、余裕のある人間の考えなんだろうと思った。  飢えずに食えて、屋根のある場所で眠れて、最低限の生活が保障されている。少しの幸せと愛がもらえる。  この状況だからこそ浮かぶ考えなのだ。 (余裕がなかった頃の僕は、こんな風になんて、考えもしなかった)  楽に死ぬ方法ばかり、考えていた。  他人のために頭を使う余裕もなかった。 (僕が無意識に欲しかったもの全部、くれたのは、紅様だ) けれど、紅が蒼にほしいモノをくれる理由は餌を美味しくするためだ。 喰うために買った人間なのだから、当然だ。  今なら保輔の気持ちがわかる気がした。  彼が鼓舞した「諦めるな」という言葉が、今になって蒼の中に響いた。 「ニコは今、幸せ?」  ニコの頬を指で撫でる。  まるで紅のような仕草になってしまった。 「幸せだよ。紅様が愛してくれるもん」  ニコが満面の笑みを向ける。 「ここに来る前、どこで何してたか、覚えてる?」  きっと覚えてはいないんだろうが、試しに聞いてみた。 「集魂会(しゅうこんえ)にいた。死にそうだったけど、半妖を見てくれる病院なくって。辛くなくしてくれるトコ、行きなさいって、ここに来たの」  意外とはっきり覚えていて驚いた。 (集魂会か、知ってる。理研がblunderやbugの受け皿にしてた擁護団体だ。妖怪も請け負ってたのは知ってたけど。ニコと色は半妖だったんだ)  集魂会には主に戸籍のある被験体や、売り物や呪術の実験体に出来ない個体が預けられていた。  被験体以外にも、霊元移植や霊能開発のために理研が狩った妖怪を払い下げたりしていた。  理研の下部組織ながら、理研よりは血の通った集団だと噂に聞いた。  売られもせず、呪術の実験に使われもせず、集魂会に行けるなら幸運、というのが理研の子供たちの共通認識だった。   「誰に言われたんだっけ。一人じゃなかった気もするけど、誰がいたんだっけ」  ニコが、ぼんやりと遠くを眺める。 「ニコ、あやとりしよ。それともケンダマする?」  蒼は慌ててニコの気を逸らした。  何かを思い出させてはいけない気がした。 (ニコには多分もう、紅様の餌になる未来しかない。変に何かを思い出す方が、きっと辛い)  ニコが半妖なら現世に生きる場所はない。  それでなくても集魂会は最後の砦みたいな場所だ。治療できる術者も妖怪もいたはずだ。  集魂会が「死にそうだったから送り出した」というなら、きっともう手段がない。 「あやとりする。蒼、一緒にしよ」 「うん、しよう。僕、あんまり上手じゃないから、教えて」 「いいよ。最初はこうしてねぇ」  ニコがあやとりに夢中になってくれて、ほっとした。 「ねぇ、蒼が男の子で良かったね。紅様に買ってもらえた」  唐突にニコに振られて、蒼は首を傾げた。 「この幽世では、女は人間でも喰っちゃいけないんだって。そのかわり、幽閉されるらしいよ。怖いね」  物騒な言葉が飛び出して、蒼は目を見開いた。 「幽閉? なんで?」 「女は子を孕むから。国単位で管理されるらしいよ。子を孕むから喰っちゃダメだし、子を孕むから自由にしないんだって。だから個人で買うのもダメなんだって、紅様が話してたよ」  理屈は納得だが、相変わらず人権度外視だ。  瑞穂国では、人間は愛玩動物か餌程度の価値なんだと改めて思った。   「紅様は、本当はどっちが好きなのかな」  素朴な疑問が零れた。 (買えないから買わないだけで、本当は女が好きだったら、ちょっとへこむかも)  自分の考えに、自分で疑問が湧いた。 (え? なんでへこむの? 紅様が女が好きだろうと男が好きだろうと、僕には関係ない……、わけじゃないけど、でも)  どっちが好きでも構わない気がする。 蒼がどれだけ紅を好きになろうと、最終的には喰われるのだから。 「紅様はね、男の子が好きなんだって。ショタ好きだけど引かないでねって、前に言われたよ」  蒼は絶句した。  言われてみれば、ニコは十三歳で、蒼は十五歳で、芯は十六歳だ。  更に言うなら、全員、年齢より幼く見える。 「ショタ、ね……。紅様って、何歳なのかな」 「何歳だろうねぇ。純血の妖狐だし、千歳くらいにはなりそうだねぇ」  ニコが可笑しそうに笑っている。 「あの時ね、ニコもこう見えて二百歳だから大丈夫だよって教えてあげたんだ。紅様相手じゃ、誰が来てもショタだよねぇ」  同じようにカラカラ笑うニコを凝視する。 「は? え? ニコは十三歳だよね?」 「うん、人間の年齢はそうだよ。でも、座敷ボッコとしては二百歳くらいだよ」  訳が分からなくて、言葉が出なかった。  人間の年齢と妖怪の年齢の違いは何だろうと思った。 「そうなんだね。人間と妖怪の年齢、違うんだね」  何をどう聞いていいかもわからなくて、とりあえず蒼は納得した振りをした。   「座敷ボッコは不幸を招くから、嫌われるんだ。でも紅様は愛してくれたから、ニコも紅様が大好きなんだ。蒼も紅様、好きだよね」 「え? うん、好きだよ……」  多分、好きだ。  優しくしてくれて、良い生活を与えてくれた妖怪としてなら、好きだ。  それ以上は、よくわからない。 (髪に触れられたり、頬ずりされたり、抱き締めて寝てもらうのは、好きだけど。よく、わからない)  蒼はニコの胸を見詰めた。  気にしていなかったが、よく観察すればニコの妖力は、ほとんど枯れている。   だから紅の妖術も効果があるのだろう。   (死にかけっていうのは、妖力切れかな。だったら人間の病院じゃ、どうにもできないもんな)  蒼は自分の手を眺めた。  有り余る霊力を、何かの術に転嫁できたとしたら、自分は何に使うだろうか。 (うまくイメージできないけど、誰も辛い思いをしないですむ力って、なんだろう)  今の所、蒼の霊力は紅に喰われる以外に使い道がない。 (もっと何かできるようになったら、紅様は喜んでくれるかな)  そう考えて、狼狽えた。 (だから何で、紅様を喜ばすとか……。妖術、かかってないはずなのに、紅様ばかり浮かんでくる)  本当は紅の妖術で操られているんじゃないかと疑う。  だったらもっとがっつり操作してくれたらいいのにと思う。 (そうしたら余計な考えなんか浮かばないのに。紅様を喜ばせたって、僕に得なんか……) 捻くれて過ぎった発想に、思考を止めた。 (いや、待てよ。紅様が望むように力を使えるようになったら、芯のこと、交渉できるかもしれない)  前に紅が、そんなような話をしていた気がする。   『蒼が、俺が望むように力を使えるようになったら、蒼の望みを叶えるよ』  とかそんなような言葉を言っていたような気がしなくもない。  ニコが蒼の手を引いた。  振り返ると、いつものニコの顔で微笑まれた。 「蒼はきっと、ニコにはできなかった愛し方が出来るよ。だから、頑張ってね」  蒼の掌に、ニコが口付ける。  その姿を呆然と眺めた。  まるで、祝福でも授けられたような気分だった。

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