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第11話 一個の願望

 紅の屋敷にきて、十日ほどが過ぎた。   この夜、蒼は久しぶりに紅に閨に呼ばれた。 「久し振りに一緒に眠れるね、蒼。こっちにおいで」  手招きした手が伸びてきて、蒼の腕を掴まえた。  目の前に座らされて、向き合う形になった。 「蒼から口付けて。いい?」  頷いて、蒼は膝立ちになった。  紅の肩に手を置いて唇を重ねる。  舌先で唇をチョンと押して割開く。たどたどしくしながらも、舌を絡める。  紅が蒼の舌を強く吸った。  霊力を吸い上げられて、快楽がせり上がる。  同時に強い妖力が流れ込んできて、頭がくらくらした。 「気持ちいいね、蒼」  紅の胸に倒れ込んで、縋り付く。  流れてきた妖力も紅の体温も温かくて、眠気が襲う。  蒼の小さな体を、紅が自分の膝の上に抱いた。 「じゃぁ、今日も一日一個のお願い、聞かせて」  一緒に寝ていなかった数日間も、キスとお願いの話はしていた。  お菓子が食べてみたいとか、入浴剤を入れてみたいとか、そんな話をしていた。  きっと紅からしたら些細なお願いでも、馬鹿にしないで聞いて、叶えてくれた。 (今日のお願いは、話したら、もしかしたら紅様は怒るかもしれない)  それどころか、嫌われるかもしれない。  そうなったら、この場で喰われる可能性もある。  蒼の体に自然と力が入った。 「蒼、緊張してるの? 今日のお願いは、そんなに大変?」  頷いて、蒼は決意した顔を上げた。 「僕に、霊力の使い方を教えてください。霊元の育て方とか、霊力の増やし方とか、放出の仕方とか、霊力が今より美味しくなる方法とかを、教えてほしいんです」  紅が蒼を見詰めている。 「どうして急に、知りたくなったの?」  相変わらず優しい指が、蒼の髪を弄ぶ。 「僕の霊力が増えて、美味しくなったら、紅様の食欲を満たせる。僕が一人で紅様を支えられます。ニコはそろそろ溶けるって、芯が教えてくれました。でも、紅様は追加の子供を買わないんですよね。僕の霊力があれば、足りるからですよね。だったら今よりもっと増やして、美味しくして、そうしたら……」  そこまで一気に捲し立てて、蒼は息を整えた。  その先を話すのが、怖い。 「芯を逃がしてあげられる?」  心臓が痛いくらいに飛び跳ねた。  うっかり口から出たんじゃないかと思った。  そんな蒼の顔を眺めて、紅が困った顔で笑んだ。 「芯に俺の妖術が、急に強く掛かったように見えて、驚いた?」  蒼は小さく頷いた。  自分の体が小刻みに震えているのが分かった。  紅が座り直して、蒼を改めて抱き直した。  体が密着して、さっきより紅の体温を感じた。 「芯が生きたがっているのも逃げたがっているのも、知っていたよ。だから術を深めた。それは確かだよ」  蒼は、ぐっと唇を噛んだ。  やはり紅は芯を逃がす気はなのだ。 「僕が頑張って霊力を増やしても、ダメですか? 紅様の食欲を満たせるくらいの霊力を作れるようになっても、芯を逃がしてあげられないですか?」  紅の指が蒼の顎に掛かった。  くい、と上向かされて、目が合う。  真っ赤な双眼が蒼を見下ろしていた。 「蒼は一生、俺の餌になる覚悟がある? 蒼は永遠に俺のモノでいるつもりがあるの?」  いつもの微笑みを消して、紅が問う。  蒼は息を飲んで頷いた。 「僕は紅様に買われました。この命は紅様のモノです」 「それなら芯も同じだよ」  蒼は言葉に詰まった。  そう言われてしまうと、その通りだ。 「僕なら、一月じゃなくて、もっと長く紅様を満たせます。出来るだけ長く御傍にいられるように、その為に力の使い方を知りたいんです。紅様に僕だけで満たされてほしいです」  見下ろす顔が、赤く染まって見えた。  顔を手で隠して、紅が深い息を吐いた。 「今の台詞が愛の告白だったら、嬉しかったんだけどね」 「え? えっと……、あ」  言われてみれば、愛の告白のようなセリフだ。  気が付いた途端に恥ずかしくなって、蒼は俯いた。 (まるで恋人にしてくれってお願いしてるみたいだ。只の餌なのに。食べてくださいって言ってるだけなのに)  熱くなっていく頬に手を伸ばされる。  顔を上向かされて、唇が重なる。  ただ触れるだけのキスをして、紅が蒼を胸に抱いた。 「蒼が永遠に俺の傍にいられる方法なら、あるよ。けど、今は無理だ。蒼が本気で俺を好きになってくれないと、出来ないから」  少しだけ顔を上げて、紅を見上げる。  どこか照れているように見える。 「僕が紅様を本気で愛したら、紅様は僕だけで満たされてくれるんですか?」  紅の指が蒼の唇をぷにぷにと押す。 「この口は、さっきから、それっぽい言葉を言い過ぎるね」  ちょっと怒っているような照れているような声が、いつもの紅らしくなく聞こえた。 「蒼が俺と繋がって、俺の一部になって、俺も蒼の一部になる。そうすれば、俺は蒼から永遠に霊力を貰い続けられる状態になるから、食事が必要なくなる。そういうの、この国では(つがい)っていうんだ」 「番……、夫婦って意味、ですか?」  突然、火が付いたように顔が熱くなった。 「現世で言う夫婦とは少し違うけどね、似たような関係だよ。一生を共に生きる、命を共有する相手。力の強い妖怪には大概、番がいるけど、強い繋がりが必要だから見付けるのは難しいんだ」 「紅様には、いないんですか?」  芯の話では、紅は高位の妖怪のはずだ。  いないのが不思議に思えた。 「昔、いたよ。もう、何百年も昔だ。番はね、魂を繋げるから、同時に命が尽きる場合が多いんだ。けど時々、片方だけ死んでしまう場合もあってね」  遠い昔に番を失った紅が、何百年もの長い時間を一人で過ごしてきた理由は、何となくわかった気がした。  現世から人間を買って喰わねばならなくなっても一人を選んだのは、また失うのが怖かったからじゃないかと思った。 「紅様は、もしかして、僕と番になりたいって、思ってくれていますか?」  あまりに有り得な過ぎて、言った瞬間に言葉にしたのを後悔した。 「すみません、やっぱり今の、忘れてください。僕は只の餌でした。すみません」  俯こうとする顔を掴まえて、両頬をムニムニと摘ままれた。 「俺の話をちゃんと聞いてた? 出会ってからずっと、好きになってねってお願いしてるよね?」  ちょっと不機嫌な目が蒼を眺めている。  とても信じられなくて、脳が受け入れられない。 「らって、ほんらの、ほふなんふぁ」  頬を摘ままれているので、上手く話せない。 「理研に霊力が多い被験体を売ってくれと頼んだのは、長持ちする餌だから。動機はそれだけだったよ。実際に蒼に会うまではね」  紅が頬から手を離す。  胸の真ん中を、指さした。 「俺はね、蒼の魂の色に惚れたの」 「魂の、色……?」  頬を擦りながら問い返す。 「霊力が多い人間なら現世にも見える術者がいるけど、基本的に人間には視認できない。けどね、言葉より態度より正確に相手の資質や性格を表すんだよ」  頭の片隅の奥の方から、すっかり忘れていた記憶が蘇った。 『お前、絶対ええヤツやん。やって、魂の色が綺麗やもん。死んだら勿体ない、生きなあかんで』  あの時、保輔は蒼に、確かにそう言った。 (masterpiece候補の保輔には霊元があった。保輔には見えてたんだ。僕の魂の色、見えてたんだ)  あの頃の蒼は荒んでいて、後ろ向きで死ぬ方法ばかり考えて、他人なんかどうでもいいと考えるような人間だったのに。  それでも保輔は蒼に、そう言った。 「話をするうちに、蒼の心が溶けてきて、本当の蒼が見えてきた。知れば知るほど、俺は蒼が好きになる。蒼と番になりたいと思ってるよ」  涙が、いつの間にか頬を伝っていた。  紅の言葉を、保輔が後押ししてくれたようだった。 「だから蒼には、餌じゃなくて一緒に生きるために、俺の隣にいてほしいんだよ。蒼にも同じくらい、俺を好きになってほしいんだ」 「生きる、ために……?」  流れる涙を、紅の指が拭う。  紅の目が慈しむように蒼を見詰める。 「……僕、生まれて初めて、もっと生きてみたいって、思いました」  言葉が口から零れ落ちた。  悠久を生きている妖狐の紅が、蒼を求めてくれている。  そんな今の状況が、頭では信じられない。  なのに、心は勝手に喜んでいる。同じくらい、生きたいと思った。 (僕の中に、本当はこんなに、生きたいって気持ちがあったんだ。紅様が僕の価値を見付けてくれた。生きてもいいって、言ってくれた)  自分を喰うはずだった妖狐が、真っ暗だった蒼の未来に光を灯してくれた。 (誰かに求めてもらえるのが、こんなに嬉しいなんて、知らなかった。紅様は、僕が知らない僕をたくさん見付けて、引き出してくれる。僕をちゃんと見てくれる)  蒼の頬を包んで、紅が流れた涙を舐め上げた。  感じる舌の熱い感触が、堪らなく気持ちいい。 (あんなに怖かったはずなのに。どうしよう、嬉しくて、堪らない)  紅が求めてくれるのが、嬉しい。  紅に好きと言われるのが、擽ったい。  胸が甘く締まって、仕舞い込んでいた想いが溢れ出した。 「僕は、紅様の優しいところが、好きです。声も、話し方も好きです。僕の言葉を待ってくれたり、言いにくい言葉を気を遣って先に言ってくれる所も、好きです」  紅が呆けた顔で蒼を見下ろす。 「抱きしめてくれる腕が力強くて安心できて、一緒に寝ると温かくてよく眠れて、触れる指はいつも優しくて、僕が傷付かないように気遣ってくれてるって、わかるから、好きです」  蒼は紅に手を伸ばした。  してくれるのと同じように頬に触れる。  蒼の手は小さくて、包み込んだりは出来ない。 「僕の『好き』が、紅様の望む『好き』かは、わかりません。でも、まだここにきて十日くらいだけど、もうこんなに、紅様への好きがたくさんあるって、気が付きました」  喰われるかもしれない自分が、自分を喰う紅を好きになるのが怖くて見ない振りをしてきた想いなのだと、言葉にして気が付いた。  紅が、まるで少年のように笑んだ。 「充分だよ、蒼。そういう好きをたくさん集めて、大きな好きを一緒に作っていこう。蒼が俺をたくさん好きになってくれたら、嬉しいよ」  紅の大きな手が背中に回って、蒼の小さな体を抱きしめた。 「今はまだ、番になれるほどの繋がりじゃなくてもいい。蒼が俺を受け入れてくれたら、それでいい」 「番になれるか、わからないけど。もっと素直に、紅様と生きてみたいです」  蒼も紅の背中に腕を回した。  広い背中は、蒼の腕では届かなくて、覆いつくせない。  それでもいつか、紅を包み込める自分になりたいと思った。 

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