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第53話 風貍の利荔

 志那津の案内で更に宮の奥に進む。  奥に進むにつれ、本や物が増えてきた。部屋の感じも変わってきた。  広い廊下に沿って狭い部屋がいくつも連なる。  その奥の方にやけに大きな部屋あった。  入り口には、部屋に入りきらないのか、詰み上げられた本や布などが無造作に置かれていた。 「アイツ、また散らかし放題に散らかして……」  志那津が舌打ちしながら愚痴をこぼした。 「俺は人間と馬鹿が嫌いだけど、整理整頓ができない妖怪も嫌いなんだよ」  聞く度に志那津の嫌いなものが増えていく。  志那津が嫌いなものを教えてくれている、と言った方が良いのかもしれない。  眉間に皺を寄せた志那津が、散らかった部屋に不機嫌な足取りで入っていった。 「おい、利荔(りれい)! 執筆するなら実験の後片付けをしてから! 実験するなら執筆で使った紙と筆と資料を片付けてからと注意しただろ!」  志那津が部屋の中に怒鳴り込んでいった。  その姿を、紅優が可笑しそうに眺めていた。 「どうやら、会わせてもらえそうだね」  呟いた紅優を見上げる。   「風ノ宮はね、別称が智慧ノ宮と呼ばれていて、志那津様は勿論、この宮に仕える者のほとんどが学者や文筆家や何かの専門家なんだ。瑞穂国の知恵の総てが風ノ宮に詰まっていると言われているんだよ」  蒼愛は只々感心していた。  今まで回ってきた宮とは、明らかに雰囲気から違うと思った。 「志那津様が入っていった部屋の利荔って妖怪は、志那津様の側仕なんだけどね。文筆家であり郷土史や自然学の学者でもあってね。瑞穂国に利荔さんより賢い妖怪はないって言われるくらい何でも知っている妖怪なんだけど。瑞穂国創世記を書いた妖怪でもあるんだよ」 「えぇ⁉」  前のめりになる蒼愛を紅優が嬉しそうに眺める。 「書いた本人にならきっと面白い話が聞けるだろうし、会えたら蒼愛は嬉しいかなって思ったんだ」 「嬉しい! 書いた本人に会えるなんて、思わなかった!」  現世でだって、作者に会える機会なんか滅多にない。  しかもこの国の神話を書いた本人に会えるなど、そうあるケースじゃない。 「掃除ができないなら、清掃班に即座に部屋を掃除させる。自分でやるか、他者に大事なものまで捨てられたいか、好きな方を選べ!」  志那津の怒鳴り声が部屋の外まで聞こえる。   「ちょっと志那津様、あんまり大声を出すと反応しちゃうよ。この水は、声に反応して威力を増す仕掛けなんだから……、あ!」  男性の声が聞こえたかと思ったら、部屋の中から小さな爆発音がした。  黒い煙が部屋の中から溢れ出る。  志那津が、大男の襟首を掴んで部屋から飛び出した。 「一体、何の実験をしてたんだ、この馬鹿猫!」 「何って、だから水だよ。声の大きさに比例して爆破規模が大きくなる水でね、風の妖術を応用してるから作り放題なんだけどね。まだ改良の余地ありだなぁ」  志那津に襟首を掴まれたまま、男が笑っている。  志那津より背丈の大きい、大人の風貌に見えた。  男の目が蒼愛に向いた。 「あれ? もしかしてお客人? 志那津様が変わり者以外を招き入れるなんて、珍しいねぇ」  男が蒼愛をまじまじと眺める。 「それはそれで変わり者だ。淤加美様の頼みで仕方なく受け入れた、均衡を保つ妖狐の番だよ」  男が紅優を眺める。  紅優が軽く会釈すると、男がニコリと笑んだ。 「なるほど、君が紅優の番の、確か蒼玉の人間で、色彩の宝石まで作れちゃう。名前が……蒼愛だね」 「僕を知っているんですか?」  志那津の側仕なら、知っていても不思議ではないのかもしれないが。  何となく、俗世には興味がなさそうというか、疎そうなタイプに思えた。 「そりゃぁ、知ってるよ。御披露目から帰ってきた志那津様がとっても楽しそうに話していたからねぇ。よっぽど気に入ったんだなぁって思ってたんだ」  蒼愛は思いっきり首を傾げた。  志那津には気に入られた覚えがない。本人に今しがた、嫌いだとはっきり断言されたばかりだ。 「気に入ってなんかいない! 俺は人間も馬鹿も阿呆も嫌いだ! 知っているだろ!」  志那津が顔を真っ赤にして抗議している。 「えー、だって名前、憶えて帰ってきたじゃない。須勢理様に一発かましたのはスカッとしたとか、大好きな淤加美様の側仕でも、ちょっとは許せるとか、言ってたよねぇ」 「言ってない!」  間髪入れずに志那津が否定している。  そんな志那津を愉快そうに眺めて、男が蒼愛に向き直った。 「初めまして、小さな英雄さん。俺は風貍(ふうり)利荔(りれい)。風の妖怪で志那津様の側仕だよ。志那津様はツンデレで素直じゃないけど可愛い神様だから、仲良くしてあげてね。あんな感じだから友達、少なくてさぁ」  利荔が蒼愛の手を握ってフリフリする。  そんな利荔と志那津を見比べた。 「僕も、志那津様とお友達に……、いや、あの。仲良くなれたら、嬉しいなって思います」  ちょっと恥ずかしくて、顔が俯く。  利荔が屈んで、蒼愛に目線を合わせた。 「そう言ってくれると嬉しいなぁ。我が主は、あんなだけど情に厚くて優しい神様だから、オススメだよ。それはそうと、お近づきの印に、ちょっとだけ霊力を喰わせてくれない?」  遠くで抗議する志那津を完全に無視して、利荔が紅優を見上げた。 「口付けじゃなくて、首元から吸い上げる感じなら、いい?」 「蒼愛が良いなら、百歩譲って許します。利荔さんにはお願い事もありますし」 「お願い事? 俺に?」  紅優の目が志那津に向いた。 「そこの阿呆に瑞穂国創世記について教えてやってよ。記載されている内容だけじゃなく、この国の歴史も含めてね。淤加美様からの頼まれ事だから、ちゃんとやれよ」  志那津が、ふん、と鼻を鳴らしてそっぽを向いた。  利荔が訳知り顔で頷いた。 「なるほど、そういう事か。色彩の宝石を本物の英雄にしたいわけだ。いいよ、それが導きであるならば、神の御心のままに」  利荔が蒼愛の首筋をなぞると、首元に唇を寄せた。  ちゅっと強く吸い上げる。いつも以上に霊力が吸い上げられているのが分かった。 「ぁ……、ん、ぁ……、これ、ダメ……」  口付けで吸い上げられる以上に体中に快楽が走って、疼く。  蕩けた目で、手を伸ばす。  紅優より早く、志那津が蒼愛に駆け寄った。 「おい、大丈夫か? 利荔、吸い過ぎだ!」  唇を離さない利荔を志那津が突き飛ばした。  ぐったりと力が入らない蒼愛の体を志那津が受け止めた。 「蒼愛! 具合が悪いのか? 霊力を喰われ過ぎたのか?」  志那津が、かなり心配している。  初めて見る顔だと思った。 (初めて名前、呼ばれた、かも)  抱えてくれる志那津に抱き付く。  志那津の体がビクリと震えた。 「いっぱい、気持ち善く、なっちゃう……。志那津、さま……」  持て余した快楽をどうしていいかわからずに、志那津に縋り付いた。  震える蒼愛の背中を紅優が摩ってくれた。 「ありがとうございます、志那津様。やはり志那津様は、お優しいですね」 「そういうんじゃない。たまたま、近くに居ただけ。利荔の不始末は俺の責任だから、それだけだよ」  いつもの不機嫌な顔に戻ってしまったのが悲しくて、蒼愛は志那津に手を伸ばした。 「名前、呼んでくれて、嬉しい、です。僕、もっと志那津様と仲良しに、なりたい。笑った顔、観たいです」  自分から志那津に唇を重ねて、霊力を流し込んだ。  流れ込んだ霊力に反応して、志那津の腕が震えながら蒼愛を強く掴んだ。  顔を離すと、驚いた表情の志那津が蒼愛を見詰めていた。 「僕の霊力、美味しい?」  小首を傾げると、志那津の顔が真っ赤になった。 「お、おま、お前……。番の目の前で他の相手に口付けて、しかも自分から霊力を流し込むとか、馬鹿なのか!」  真っ赤な顔のまま、志那津が怒っている。  何故、怒っているのかよくわからない。  隣の紅優が固まっている。 「あららぁ、蒼愛は素直なんだねぇ。俺のお願い、すぐに聞いてくれちゃって」  利荔が蒼愛に近付き、先ほど霊力を吸い上げた首筋を、するりと撫でた。  徐々に体の疼きが消えていって、それと同時に正気が戻ってきた。  途端に自分がとった行動を思い返して、激しい後悔が押し寄せた。 「……え? 僕、なんで……。ご、ごめんなさい。ごめんなさい、志那津様。紅優、ごめんなさい」  泣きそうになりながら謝る蒼愛を、紅優が混乱して眺めている。 (僕、紅優の目の前で、自分から志那津様にキスして、霊力を流し込んで……。なんで、そんなことしちゃったのか、全然わかんない)  悪いことだなんて全く思わずにしてしまった。  利荔が首に触れるまで、何も感じなかった。 (紅優以外の誰かにキスするなんて、絶対にしたくないのに)  自分が取った行動がわからな過ぎて、涙があふれて止まらない。 「利荔、何の実験をしたんだ?」  志那津が静かな怒気を孕ませて利荔を睨みつけた。 「んー? 蒼愛の霊力、とんでもなく美味かったから、志那津様にも味わってほしいなぁって思ってさぁ。志那津様は絶対に自分から蒼愛の霊力を喰わないでしょ。だから蒼愛自身に分けてくれるようにお願いしたの」  志那津が蒼愛の体を紅優に預けて立ち上がると、利荔を殴った。  素直に殴られた利荔の体が軽く吹っ飛んだ。 「喰わなくて当然だ。蒼愛は紅優の番だ。番に失礼だと思わないのか?」 「けど、あの霊力を喰わなかったら、志那津様は蒼愛に風の加護を与えないつもりだったでしょ?」  利荔の言葉に、志那津が言葉を飲んだ。 「蒼愛の霊力、志那津様も美味しいって思ったよね。あれはもう、ただの霊力じゃない。神力に等しい。志那津様も感じたでしょ?」  志那津が黙ったまま、目を逸らした。 「淤加美様が期待をかける色彩の宝石は、確実に育っている。風の加護は絶対に必要だよ。志那津様が加護を与えるのは、流石に許してくれるよね、紅優」  利荔の言葉に、紅優は静かに頷いた。 「風の加護を頂けるのであれば、喜んで。利荔さんの行動は許しかねますが、そういう理由ならば、今回は俺も納得します。何より、俺たち番を気遣って怒ってくださった志那津様のお気持ちが嬉しかったですから」  紅優が志那津に笑いかける。  志那津が息を飲んで目を見張った。 「……ごめん、紅優、ごめんね……」  紅優の腕の中で泣きながらウトウトしている蒼愛を眺めて、志那津が息を吐いた。 「風の加護は与える。ただし、蒼愛が元に戻ってからだ。他に変な術は使ってないだろうな」  志那津が利荔を睨みつける。 「何もしてないよ。というか、できなかった。蒼愛は既に日と暗の加護を受けているね? 人心を惑わす妖術は本来なら効果がない。俺の妖術が効いたのは、蒼愛の中の浄化の力が未発達だから。早めに使い方を学んだ方がいいね」  利荔の言葉に紅優が息を飲んだ。  腕の中の蒼愛を見詰める。 「色彩の宝石、とんでもない逸材だ。力の使い方も知識も、俺が教えてあげたいなぁ。淤加美様にお願いして、長く借りられないかな?」  しれっと話す利荔を志那津が難しい顔で眺めた。 「お前に預けるのは危険だとわかったから、ダメだ。勉強の時は俺と紅優が同席する。蒼愛をどう育てるかは、淤加美様の御指示に従う」  志那津が蒼愛に目を向ける。  紅優の腕の中から見上げる志那津の顔は、いつになく真剣で、少しだけ憐みを帯びて見えた。

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