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第66話 祭祀の始まり

 瑞穂ノ宮、移動の間の円の中に、蒼愛と紅優は立っていた。  側仕の妖怪たちは各々配置に付いた。  へこんでいた紅優の気持ちも落ち着いたらしい。  円の外側には、黒曜がスタンバイしている。 「淤加美様から報せが来たら、真下の瑞穂ノ社に降りる。降りたらもう、止まれねぇ」  黒曜の顔が緊張していた。 「大丈夫、僕の隣には、紅優がいるから」 「蒼愛は俺が、守るからね」  言葉を交わし合い、頷き合う。  黒曜の肩に、小さな竜が止まり、飛沫になって弾けた。   「二人とも、絶対に無事に帰って来いよ」  黒曜の手から流れ込んだ妖力で、足下の円が光を放つ。  大きく頷いて、蒼愛と紅優は目を瞑った。  瞼を持ち上げた蒼愛が最初に目にしたのは、背の高い大樹だった。  大きな葉を茂らせ、天にまで届きそうに枝葉を空に伸ばしたその木が、朴木(ほうのき)だと、何故かわかった。 (朴木なんて、見たことも聞いたこともないのに、どうして僕はわかったんだろう)  力強く、真下の社を守るように聳え立つ大樹を見上げていると、少しだけ切ない気持ちになった。 「紅優、蒼愛。よく来てくれたね」  振り向くと、淤加美が蒼愛と紅優に笑いかけていた。  朴木の真下にある小さな社の反対側には、境内が広がる。  (くぬぎ)の鳥居のこちら側が神域なのだと肌で感じた。  蒼愛と紅優は社の前に降り立ったらしい。  境内には神々が横並びに揃っている。  姿は見えないが、社の境内を囲むように側仕たちが護りを固めているのが気配でわかった。 「準備は、いいかい?」  雰囲気が物々しくて、流石に緊張する。  蒼愛は、ぎこちなく頷いた。  紅優も緊張している顔だ。 「祭祀が終わったら、私は紅優を様付けで呼ぶからね。覚悟しておくんだよ」  淤加美の言葉に紅優が顔を引き攣らせた。 「ゆっくり少しずつ慣らしながらでお願いします」  紅優の言葉がカタカタしている。  ちょっとおかしくて、笑ってしまった。  そんな蒼愛と紅優を眺めて、淤加美が笑んだ。 「では、これより色彩の宝石を奉る神事を執り行う」  淤加美の号令で、社全体を覆う結界が強まった。  祭祀が始まるのだと思った。  白木の三宝に乗せた色彩の宝石を持って、淤加美が前に出る。  社の扉が開いた。  小さな社の中には、余計なものが何もない。  ただ、紅優の赤い目が宙に浮いていた。 (もっと仰々しいのかと思ってた。かなりシンプルだ)  理研で読んだ本に書いてあった神社の中のように、鏡や酒などが一緒に祀られているものだと思っていた。  淤加美を先頭に、蒼愛と紅優が続く。  社の中に足を踏み入れる。  宙に浮いた赤い目が光を増した。 (足元に、何か、来る)  自分たちの足元の、奥の方から何かの気配が近付いてくるのを感じた。 (濃い瘴気を纏った神力。きっと大気津様だ。けど、入って来られないんだ)  瑞穂ノ社は四方を日暗の強固な結界で囲っている。  臍も一時的に閉じている状態だ。  この社の中には入れない。 (淤加美様たちが話していた通りだ。作戦が当たったんだ)  紅優の目と色彩の宝石を入れ替える瞬間を狙って、大気津が蒼愛と紅優、或いはどちらかを殺し(喰い)に来る。  それが淤加美たちの読みだった。  大蛇の襲撃は側仕の妖怪たちが、須勢理の動きは神々が警戒している。 (僕らを喰えないなら、紅優の目と色彩の宝石を、壊しに来る)  淤加美が紅優に目を向けた。  合図に気付いた紅優が左目に手を伸ばした。  瞬間、紅い目が弾けた。 「……え?」  砕け散った紅い目が、蒼愛たちの目の前でハラハラと光になって消えた。  後ろに控える神々に緊張が走った。 「一体、どうし……!」  社の床板の隙間から、黒い瘴気が立ち上る。  突然、地鳴りがして、地響きが少しずつ大きくなる。  立っていられない程の揺れに、体を支えていられない。 「蒼愛!」  紅優が伸ばしてくれる手を握ろうと、手を伸ばす。  社の床を、何かが突き破った。 「なっ! どうして、木の根が!」  朴木の太い根が何本も伸びてきて、紅優の体を攫って行った。 「紅優! ……ぁっ!」  突然、左目に痛みが走って、蒼愛は後ろに尻もちをついた。  何とか目を開けて紅優を確認する。  紅優の体には木の根が何本も纏わりついて、拘束している。  大樹の木肌に紅優の体を押し付けて根が這う姿は、まるで封印でもしているかのようだった。 「紅優……、紅優!」  叫んでも返事がない。  さっきまで抗っていた手は力なく落ちて、目を閉じたまま俯いている。 (気を失ってる? 紅優に、瘴気がこびりついて……)  紅優の体に黒い瘴気が纏わりついて見える。  その瘴気を木の根が吸い上げているように感じた。 (紅優を瘴気から守ってくれてるの?)  瘴気を吸い上げ、紅優に向かう黒い瘴気を木の根が払い除ける。  これ以上、紅優が瘴気に犯されないように包んでくれているように見える。 「ちぃっ、強ぇ木の根だな。紅優、目ぇ開けろ! 今、出してやるから!」  駆け寄った火産霊が木の根を燃やして救い出そうとしているのが、ぼんやり見えた。 (もしかして、瘴気に気が付いてない? 紅優が気を失っているのは瘴気のせいで、木の拘束のせいじゃないのに) 「紅優、おい、紅優、しっかりしろ。目ぇ覚ませ!」  火産霊が太い腕で木の根をバリバリと剥がして払い除けている。  また目の奥が痛んで蒼愛は強く目を瞑った。 「蒼愛! どうした、どこが痛む?」  淤加美が懸命に蒼愛に声を掛けた。   「左の、目、が……」  脳天に突き刺さるような痛みが響いて、目を開けていられない。   「月詠見、結界は?」 「今、補強してるよ。破られた形跡はない」 「こっちは心配ないから、淤加美は蒼愛を診てやんな」  月詠見と日美子の声が逼迫している。 「志那津! 木の根を風切で根こそぎ切れ!」 「やってるっ。切っても切っても再生して絡まるんだよ!」  火産霊と志那津の声が聞こえる。  淤加美が癒しの水を蒼愛の左目に当てて、治療してくれている。 「ダメ、淤加美様……、須勢理様、が……」  今の状態だと須勢理がフリーだ。  逃げてしまったら、助けられない。 「大丈夫、須勢理は確保した。側仕たちが抑えてくれている。これ以上は、何もできないよ」  淤加美の声を聴いて、蒼愛は何とか目を開けた。  五人の側仕が須勢理を拘束して囲んでいる。  手足を縛られて、地面に転がる須勢理の姿が見えた。 「ちが……、須勢理様は……、須勢理様の、せいじゃ……」 「木の根を操る術は土の神力だ。結界の中で、蒼愛と紅優に手を出せたのは須勢理しかいない」  淤加美の言葉に、蒼愛は必死に首を横に振った。 「須勢理様を、殺さないで。傷付けないで。境内から、出さないで。須勢理様は、紅優を守って……、ぅっ」 「守る? どういう意味だい、蒼愛」  淤加美が蒼愛の目にあてた癒しの力を強めた。  しかし痛みは、全く引かない。   「紅優を、根から、出さないで。そのままに、して」  必死に訴える蒼愛に、淤加美が迷っている空気が伝わった。  全く見えない中、手を彷徨わせて淤加美を探す。  掴んでくれた手を、強く握った。  淤加美が息を飲んだのが、気配でわかった。 「火産霊、志那津、紅優の安全だけを確保しろ。根から出さなくていい」  火産霊と志那津の神力が尖っているのを感じる。 「蒼愛が、それでいいと言っている。須勢理が守っているのだと。須勢理を確保しても傷付けるな」  側仕にも淤加美が指示を飛ばした。 (良かった、淤加美様、僕を信じてくれた) 「馬鹿じゃないの? 僕が妖狐如きを守る訳ないだろ。殺してやろうと思ったんだ。妖狐の眼を壊して、色彩の宝石を壊して、皆、死んじゃえばいい。こんな国、壊れちゃえばいいんだ!」  須勢理が大声で笑う。  まるで泣いているように聞こえた。 「結界から、出ないで。側仕の皆の側に、いて、ください。須勢理様を、死なせない」  社の床からま、まだ黒くて濃い瘴気が昇ってくる。  紅優と須勢理を狙っているのだとわかった。  自分の手に浄化の球を展開し、弾けさせる。  金色の浄化の雨を瘴気に向かって投げつけた。 「はぁ、はぁ……、ぅっ!」  力を使ったら、左目の奥の痛みが増した。  蹲った蒼愛の背中を淤加美が撫でながら、癒しの水を流した。 「何してんの? 僕はお前たちを殺そうとしてるのに。なんで助けようとするんだよ!」  痛みで目が開かない。  蒼愛は気配を探して須勢理の方に体を向けた。 「須勢理様が、何で、嘘、ついてるのか、わからないけど。皆で、助かったら、ちゃんと、話を、しましょう」  頑張って、蒼愛は笑いかけた。 「話なんか、そんなの……、無駄だろ。今更、お前たちの誰一人、僕を信じてないくせに!」  須勢理の声が響いた。  蒼愛は声と気配に手を伸ばした。 「須勢理様は、ずっと、大気津様の声を、聴いてきた、ただ一人の、神様、でしょ。僕は、須勢理様と、話がしたい。本当の言葉が、聞きたい、です。僕は貴方を、この瑞穂国に、必要ない存在だとは、思わない、から……っ!」  声を発したら痛みが突き抜けて、蒼愛はその場に転がった。 「蒼愛!」  淤加美が蒼愛の体を支えた。  手を付いて、何とか起き上がる。 「今の僕には、何が間違いで何が正しいのか、まだわからない。けど、須勢理様は今、紅優を守ってくれてる。貴方を信じる理由は、それだけで十分、です」  痛みで、腕が震える。  力が入らなくて、その場に蹲る。 「……馬鹿だね、本当に馬鹿。お前も、僕も、大馬鹿だ」  須勢理の小さな声が聞こえた。  突然、頭の上に柔らかい何かが降ってきた。 (何、この感触……、紅優の寝所にあった、柔らかいクッションみたいな)  モフモフのクッションのような何かが、蒼愛の顔に覆い被さった。 「何だ、野椎か?」  淤加美の呟きで、蒼愛は理研で読んだ妖怪の本を思い出していた。 (野椎って確か、野の精霊とか、そんな妖怪だったような)  顔に引っ付いた野椎の中から、何かの力を感じた。  強くて温かい、神力が籠った力には、覚えがあった。 (色彩の宝石……? 僕が作った宝石じゃない。もしかして、宝石の人間が作った、盗まれた宝石……?)  目の奥の痛みが引いていく。  同じ場所が徐々に熱くなって、強い力を感じ始めた。 (この神力は、紅優の。大好きな優しい力だ)  いつも流してもらっている妖力と同じ気配がする。  気持ちが自然と安堵して、体を神力に預けた。  浮き上がるように体が持ち上がる。  神力の光が瞼から漏れ流れているのを感じた。  ゆっくりと目を開く。  紅優の左目が、同じように光っているのが見えた。 (ああ、そっか。紅優の左目は僕の中に入ってたんだ。大蛇の瘴気が混ざって、痛かったんだ)  余分な毒を、野椎の中の色彩の宝石が消し去ってくれた。 「紅優、もう、目を開けていいよ」  木の根に絡まれた紅優が、ゆっくりと目を開く。  同時に、紅優を封印するように包んでいた木の根が解けた。  紅優の体が降りてくる。  蒼愛だけを見詰めて手を伸ばす紅優の左目は、青かった。 「紅優の左目、ちゃんと僕に混ざったよ。紅優にも、僕が混ざった?」  紅優の指が、蒼愛の左目をなぞった。 「蒼愛の左目も、ちゃんと俺の紅になったね。俺の中にも、蒼愛が混ざったよ。もう離れないように、しっかり結んで溶かそうね」  蒼愛を抱きくるめた紅優と唇を重ねる。  互いの神力を流し合って飲み込み合った。  二人の体が金色に包まれる。 (これでやっと二人が溶ける。本当に番になれる)  長い口付けを解いて、目を開く。  大好きな紅優が蒼愛を見詰めていた。 「……紅優、耳が、なくなってる」  頭の上の白い耳がない。  髪も前より長いし、感じる力は妖力じゃなくて神力だ。 「体が少し、変わったみたいだ。俺にも、蒼愛と同じ声が聞こえたよ。やっと蒼愛と同じになれた。番になれたね」  握った蒼愛の両手を、自分の頬に当てて紅優が微笑んだ。  その微笑はまるで、神様のようだった。

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