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第73話 束の間の平穏

 大気津が土に溶けてから一週間ほどが過ぎた。  蛇々を裁きの炎で焼きつくしてしまったので、大蛇の一族から非難がくるかと思いきや、それはなかった。  代わりに、土ノ神不在となり側仕解任の報せに対しての返事が黒曜に届いた。  次の土ノ神の伺いと、新しい瑞穂ノ神への謁見希望だ。  一も二もなく淤加美が却下した。  それ以降、大蛇の八俣は沈黙を守っていた。  不気味ではあるが敢えて触れずに、次の寄合で大蛇の一族への対応を話し合う予定だ。  期待されていた蒼愛の裁きの炎と暴く目は、能力が安定しないので具体的な作戦が立てられないと、現時点では保留となった。  恐らく八俣は、瑞穂ノ神である紅優と蒼愛に接触する機会を狙っている。  命を取る算段か、取り入る腹づもりかは、わからないが、間違いなく手を出してくる。というのが、神々の満場一致の意見だ。  危険であるには違いないので、天上から下りないよう、黒曜と淤加美からきつく言い含められていた。  蒼愛と紅優は瑞穂ノ宮に移築した紅優の屋敷に住んでいる。  今の大蛇の一族には、神々と直に接触する手段がない。故に、天上にも昇れない。  つまり、自分の家にいる分には安全、という訳だ。  御披露目が終わり、色彩の宝石の祭祀も済んで、蒼愛と紅優には久々に穏やかな日常が戻ってきた。  蒼愛は自室で着替えを済ますと、ワクワクした気持ちで紅優の所に駆け出した。 (僕はとっても嬉しかったけど、紅優も喜ぶかな。なんていうかな)  考えると顔がニヤニヤしてしまう。  この時間ならきっと、食事処で昼餉の準備をしてくれているはずだ。  蒼愛は繋がっている隣の間から、食事処を覗き込んだ。 「紅優、いる?」  紅優の姿がない。代わりに、子狐が食事の支度をしていた。 「紅優、どこにいるか、わかる?」  子狐に問い掛ける。  鼻をヒクヒクさせて、顔を上げた。 (妖力を固めただけの術だから、話はできないって言っていたけど。紅優の一部だから、声を掛ければ届くかな) 「蒼愛、呼んだ?」  後ろから紅優の声がして、蒼愛は振り返った。 「紅優! やっぱり聞こえた? あのね、これ見て! 日美子様と月詠見様がくれたプレゼントね、キツネの着ぐるみだったんだよ! 可愛いでしょ?」  現世がクリスマスだった頃、日美子と月詠見が蒼愛にケーキとプレゼントをくれた。  色々と忙しくて、ゆっくり確認する暇もなかった。  やっと開けてみて、蒼愛は目を輝かせたのだった。  紅優の前でくるっと回って見せる。 「後ろに尻尾も付いててね、頭に大きな耳もあるんだよ。白いから、紅優とお揃いだよ」  蒼愛の姿を眺める紅優が呆然としている。  驚いているような顔だ。喜んでいる感じには見えない。 「あ、でも今の紅優には耳も尻尾もないから、お揃いじゃないのか」  神様になった紅優は人の形になった。それに伴い、耳と尻尾がなくなってしまった。  フワフワの耳も尻尾も好きだったので、蒼愛としてはちょっとだけ残念だ。  紅優が突然、膝から崩れ落ちてその場に蹲った。  驚いて駆け寄る。 「どうしたの? もしかして、どこか痛かったり辛かったりしたの?」 「違う、違うよ、蒼愛……」  紅優が俯いたまま震える声を絞り出す。 「蒼愛が可愛すぎて辛い! これじゃ、蒼愛がぬいぐるみみたい! 可愛いしかない!」  光の速さですり寄って、紅優が蒼愛を抱きしめる。 「モコモコの蒼愛、可愛い、いい匂い、温かい」  スリスリと頬擦りしながら、紅優が何かを噛み締める顔をしている。 「流石、日美子様と月詠見様はわかってる……」  いつも以上に、ぎゅっと強く抱きしめられた。  想像以上に喜んでくれたようだ。 「紅優が妖狐だった時に着てみれば良かったね。お揃い、できたのに」    紅優のサラサラの髪を撫でる。 「変化の術で変われるよ? お揃いしようか?」  ぽんと小さく煙が舞って、元の紅優の姿になった。  ちゃんと耳と尻尾が生えている。 「え! 元の姿にもなれるの? もしかして、前みたいに大きな妖狐にもなれる?」 「なれるよ。姿は蒼愛と同じ人間の形になったけど、俺が元妖狐なのは、変わらないからね」  感動してワクワクが止まらない。  目がキラキラしているのが自分でもわかった。 「紅優、凄い、格好良い。神様にも、妖狐にもなれちゃうんだ」 「そんなに喜んでくれるなら、普段はこの格好でいようか?」 「うん! あ、でも、神様の姿にも慣れないといけないかな」  どちらの紅優も大好きだが、やっぱり見慣れている妖狐の紅優が安心する。   「そのうちに慣れるよ。どっちも見慣れるくらい長い時間を、これから俺たちは一緒に生きるんだから」  頬に甘く口付けられる。  くすぐったくて、嬉しい。 「そうだね。これからずっと一緒だね」  自然に溶ける瞬間まで、繋がった命で共に生きる。  気が遠くなるような時間も、紅優といたら、あっという間な気がした。 「あのね、プレゼント、他にも入っててね。本とジグソーパズルだったんだ」  着ぐるみの手で持ち上げて、紅優の目に出す。  その仕草を紅優がほっこりした笑顔で眺めていた。 「本は、まだ難しくて一人じゃ読めそうにないから、一緒に読んでほしいんだ」  硬い表紙の大きな本は『童話集』と書いてある。  捲ると字が細かくて、知らない漢字が多かった。  紅優が蒼愛の手に手を添えて本を覗いた。 「へぇ、世界の童話をランダムに色々載せているんだ。珍しい本だね。大人向けの童話集だから、漢字が多くて勉強になりそうだね。蒼愛はグリム童話とかって読んだことある?」 「ぐりむどうわ?」  繰り返して、首を傾げた。 「白雪姫とかラプンツェルとか、お菓子の家とか?」 「知ってる! 絵本で読んだよ」  理研に子供向けの絵本があった。簡単な漢字で書いてあったし、カナが振ってあったから、読みやすかった。 「蒼愛は本が好きだけど、理研ではどんな本を読んでたの?」  蒼愛は思い出しながら首を捻った。 「んーとね……。百科事典とか図鑑とか絵本とか、世界の神話シリーズとか、日本の神様とか妖怪の本とか、日本の御伽噺シリーズとか、絵本かな。全部、子供向けだったと思う。あと、保輔が書いた本」  理研に置いてあった本はどれも古びてヨレヨレで、新しい本なんかなかった。  だから保輔は、新しい物語を自分で書いて置いていたのだろう。 「いっぱいはなかったから、何回も繰り返して同じ本を読んでたんだ」 「百科事典や図鑑も?」 「うん。三回以上は読んだと思う」  どの本も最低三回は読んでいる。  好きな本はきっと十回以上読んでいるだろうが、数えていないので、わからない。 「なるほどね、だから蒼愛は他の子が知らないような知識があったりするんだね」 「そうなの?」  意外過ぎて、驚いてしまった。 「学校では教えないような知識を、蒼愛は時々よく知っているよね。物語をたくさん読んでいるせいか、感受性も高いし他人の気持ちにも敏感だね。蒼愛は自分で色々、学んできたんだ」  学んできた、という意識は蒼愛の中にはない。  あの時の蒼愛にとっての読書は、辛い現実を忘れるため、他人と接しないための逃げ場だった。 「勉強するつもりじゃなかったけど、役に立っているなら、良かったって思う。今は純粋に、本を読むのが好きだし、勉強もしたいよ」  辛かった頃の蒼愛を救ってくれた本で得た知識が、今でも蒼愛を助けてくれているのは不思議な気持ちになるが、嬉しいと思えた。  この国で、紅優や大好きな皆と本を読んだり勉強したりできるのは、とても楽しみだ。  まるで辛かった思い出を塗り替えているような気分だった。 「それでね、ジグソーパズルがね、ピースが細かくって数が多いんだ」  パズルの大きな箱を開ける。  着ぐるみの手だとうまく開かない。手間取っていたら、紅優が開けるのを手伝ってくれた。 「蒼愛の仕草、全部可愛いいから今日はそのままでいて欲しい」 「紅優が気に入ってくれたなら、今日はキツネのままでいるね」  紅優が独り言のように呟いたので、普通に返事した。  いつになく嬉しそうな顔で紅優が笑んでいる。  開いた箱の中のピースを摘まんで紅優に見せた。 「ピースが小さくて数も多くて、とっても大変そうなんだ!」  ワクワクした気持ちで紅優を見上げる。  紅優が意外そうな顔をした。 「蒼愛はジグソーパズル、やったことあるの? 理研にはなさそうだけど」 「んーとね、ちゃんとしたのはなかったよ。ピースの形が潰れてたり、ピース自体がなかったりしたのが、何種類かあっただけ」  皆が繰り返し遊ぶので、ピースの角が丸くなってハマらなくなっていたり、ピースそのものがなくなっているようなパズルがいくつかあった。  皆、完成した絵柄を覚えてしまっているので、それでも作れてしまうのだ。 「そうなんだね。蒼愛はパズルとか好きそうだね。けど、このパズルは難しそうだね」 「うん、そうなんだ」  二千ピースの大型パズルだ。  数も多いし、一個一個のピースも小さい。  何より難しいのは、完成形の絵柄がわからない点だ。パズルの箱には何の絵も描かれておらず、真っ黒だ。しかしピースはカラフルで、何かの絵が描いてあるのは明らかだった。  紅優が箱を手に取って眺めたり匂いを嗅いだりしている。 「月詠見様辺りが細工しているっぽい気配がするね。完成したらサプライズがありそう」 「さぷらいず?」  首を傾げると、紅優が楽しそうに笑った。 「完成おめでとうのビックリドッキリな嬉しいお祝いメッセージとか、出てくるかもね」  紅優の説明に、ずっとワクワクしている蒼愛のワクワクが加速した。   「あのね、このパズル、志那津様と一緒に作りたいんだけど、風ノ宮に行ってもいい?」 「え? 俺とじゃないの?」  紅優が本気でがっかりしている姿に、蒼愛は慌てた。 「紅優ともやるよ! 三人でやりたいなって思ったんだ。こういうの、志那津様は得意そうだし好きそうだけど。紅優は、その、あんまり好きじゃないかもって、思ったんだけど、違った?」  蒼愛は正直、パズルが好きだ。  熱中すると寝食を忘れる。  だが、こういう細かい作業は、紅優はあまり好まないのではないかと思った。 「確かに俺は、こういう根気がいる作業って尻尾がムズムズしてくるタイプだけど」  小さなピースを手に取って、紅優が息を吐いた。 「志那津様は得意そうだし、蒼愛に誘われたら喜びそうだね。反対しないけど、風ノ宮に行くなら、俺も行くよ」  紅優から許可が出て、蒼愛はその首に抱き付いた。 「うん! 一緒だよ。どこに行く時も、僕と紅優は一緒だよ!」 「もう……。今日の蒼愛はいつも以上に可愛いから、許す」  モフモフの蒼愛を抱きしめて、紅優が満足そうに漏らした。

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