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9 異端の勇者と辺境伯【1】
ゲストルームをはじめ、屋敷にあるものは好きにして良いと言われて驚いてしまう。
気を許してくれているというよりかは、俺に大したことはできないと思っているだけかも。
彼が部屋から去ったあと、ひと眠りしたが体力が回復しきっていない。
ベッドでだらだらと休憩するうち、窓の外はすっかり日が傾いていた。
ようやく気持ちが落ち着いてきて、空腹を思い出す。
朝も食べられなかったからなぁ。
ベッドから起き上がり、部屋から出る。
すると、廊下のすぐそこにジェードが立っていた。
二メートル超えの黒影が音もなく佇 んでいるのを見てビクッとしてしまう。
「おまえが動くと気配でわかる。腹が減っただろうと迎えにきただけだ。ずっとここに立っていたわけじゃない」
「そ、そうなんですね」
黒い霧の移動術があるから、彼は屋敷の中を歩く必要がほとんどないらしい。
俺を案内する時だけ、二本の足で歩いてくれているようだ。
「大抵の者は食事が毎日必要なことを忘れていた。昨晩は気が回らなくて悪かった」
「そんな。ごちそうしてもらえるなんて感謝しかないです」
俺自身も、仕事で食事し忘れることに慣れていて気にしていなかった。とはいえ、やっぱり腹が空きすぎると胃腸が気持ちが悪い。何か口に入れられるのは助かる。
食事をする場所──食堂には、何人も席に着けそうな長テーブルがあった。蝋燭 に火が灯され、食事の用意が済んでいる。
魔族の食べ物はなにかと身構えたが、自分の知るものによく似た果物や野菜、魚が大皿にドンと乗っていて安心した。料理というか素材そのままだが、正体がわかりやすいぶんかえってありがたい。
あえてなのか、肉らしいものはなかった。
指示された席に座ると、ジェードも少し離れた席に座る。
「私は一般的な食事をしないから、何が良いのかわからなくてな。食べられるものを食べるといい」
「はい。いただきます」
トマトに似た赤い果実のようなものを取り、皿の上で切り分けてみる。フォークで口へ運ぶ。……うん、だいたいトマトだ。いける。
菜っ葉などもいくつか大皿から摘んで、手元の皿でサラダのようにして食べた。
空腹は最高の調味料というが、それは真だ。みずみずしい味がとびきりおいしく感じた。
水差しの水は赤かった。
血だったらどうしようかと思ったが、ワインだ。グラスに注ぐと芳醇なアルコールの香りがする。
「お酒をふるまってくれてるんですか?」
「生水を飲めるのか?」
どういう質問なんだ。
そうたずねようとしたとき、ジェードは扉のほうを見やった。何かの気配に気付くように立ち上がる。
そのあとに、玄関扉の開く音がした。
「ジェード! また勇者が侵入したぞ!」
エントランスから響いてきたのはバウの声だった。
「おまえはここにいろ」
そう言い残して、ジェードの姿が黒い霧と共に消える。
(勇者……?)
また新しいワードだ。
どうしても気になって、椅子からそっと立ち上がった。
食堂の扉を少しだけ開けると、すぐそこのエントランスで会話がされていることがわかる。静かすぎる屋敷の中だからこそ、ギリギリ聞こえてくるのだ。集中して耳を澄ませた。
「またあいつだ。騎竜に乗って上陸したのが見えた。どうして毎回、魔障壁をすり抜けられる?」
「当代の勇者の能力は謎が多い。私が気配を察知できないこともな。──においで追えるな、バウ」
「おう、もう覚えてる」
出かけるのだろうか。
扉の隙間をすり抜けて廊下に出る。ここは二階だから、吹き抜けから一階エントランスにいる二人を見下ろす。
ふとこちらを見上げたバウと目が合った。
ロコに襲われているとき、ジェードを呼んでもらってきりだ。お互い気まずい顔になる。──「ありがとう」と口の動きで伝えると、ホッとしたような顔をして爽やかな微笑みが返ってきた。
ジェードも俺のほうを見上げる。
「食事を済ませたら部屋にいなさい。私が戻るまで、勝手にうろちょろするなよ」
手すりから身を乗り出し、こくこくと頷いて返す。
邪魔にならないよう努めます。
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