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25 秘境温泉、ミュラッカ!【2】

 服を着てロビーに戻ると、ジェードが部屋の鍵を持って待っていた。  その手にある部屋番号札が付いた鍵が、言いようのないノスタルジーを感じさせてくれてウキウキする。  川沿いの斜面に立つこの旅館そのものも年季の入った木造で(おもむ)きがあるし、ミュラッカ……日本人向けのエモさがある街だな。誰か留学してたと言ったら信じる。  その鍵ははなれ(・・・)の鍵だった。露天風呂付き一棟貸し……。一体いくら……いや、考えるのは止めよう。  部屋に入ってからも驚いた。  湯の川が流れる渓谷を一望できる大窓の絶景もそうだが、この内装……(たたみ)がある。  畳……いや、似てるだけでまったく同じではないな。なんだか柔らかいし、フカフカしている。この……爪や肉球がひっかかったり痛まないように工夫されてる感じ、魔族向けのそれだ。  他にも、大木の輪切りみたいな大きなローテーブルに座椅子がある。  さらに横には浴衣のような部屋着が入ったカゴがあった。  掛け軸がかかってるあのスペースはなんだ? 床の間か?  日本に帰ってきた? ……と、勘違いしたいところだが、そっくりに見えてどれも少しずつ違いがある。  何より、すべてが縦に長い。高身長の魔族向けだ。障子といえば女性が膝を突いた状態で開けられるよう取っ手が低い位置にあるが、ここのは俺が立ってちょうど良い位置だ。ローテーブルもあんまりローじゃない。 「端切れのような寝巻きだな……。ハヤトキは着るか?」  ジェードは浴衣(のようなもの)が見慣れないのか、一枚を身体に巻いて着る構造を珍しがっていた。普段は布量が強さみたいな服着てるもんな。 「せっかくだからジェードも着ようよ」  風呂も終えているし、夕食の前に着替えた。  断られるつもりで声をかけたが、なんと着てくれた。  彼のような男は何を着ても似合うのだなぁ。  二人で浴衣に身を包み、テーブルを挟んで座椅子に座れば本当に温泉宿に泊まっている感がある。すごい。楽しい。  これでビールがあったらいいのにな。  玄関の扉がノックされた。  ジェードが返事をすると、旅館のスタッフが部屋に入ってくる。夕食を運んでくれたらしい。  品数が多く、玄関先のワゴンとを一人で往復するのが大変そうだった。手伝っても良いか声をかけたら感謝してくれた。これくらいお安いご用だ。  テーブルの上に並べられたご馳走は圧巻だった。和食でもなんでもない異国の料理たちではあったが、どれも美味しそうだ。  ジェードも俺も普段は花か草しか食べてないのにこんなの胃に入るのか? 入れたら入れたで、胃がビックリするんじゃないだろうか。 「魔族向けのものだ。腹を壊すから食べすぎるな。特に肉は食わないほうがいい」 「で、でもこれを残すなんて……」 「無駄にはならんから安心しろ」  そういうものなのか? 残飯がどこに行くのか謎な話だが、なんにせよ食べ切ることは不可能な量だ。初めから完食は諦める。  ……アッ、食器はスプーンとフォークだ。何から何まで和テイストだったのに、ここにきて違和感がすごい。  文句を言っても仕方がないことではある。黙って手を合わせた。いただきます。  どれから手をつけようか。なんだこれ。湯葉みたいなやつと蒸した根菜かな? 小鉢を手に取り、液体に浸る柔らかい塊にフォークを刺す。 「う、うまい……!!」  見た目の個性ほど香りは強くなく、口に入れると豊かな風味がある。未知の味だ。  温度も食感も食欲を増進させる絶妙な加減で、素材の良さだけではなく料理人の腕を感じた。 (この味付けめちゃくちゃ美味い。どんな調味料を使ってるんだろう)  前を見ると、向かいでフォークを動かすジェードも同じ皿を空けていた。  彼もこういう味が好きなのかな。  ──そりゃそうか。魔族向けの旅館が魔族向けの味付けを極めていないわけがない。  俺はいつの間にか、一口一口に集中して飯を食べていた。  複雑な味を舌で楽しみ楽しみつつ、やる気に燃えて。 (この食卓から、魔族向けの料理のコツをつかみたい!)  せっせとフォークを動かしながらも、肉のように見えるものはジェードの忠告に従って避けた。  彼は市場でも肉屋の前を通るのを避けていた。屋敷で肉が提供されたこともない。……彼がみなまで言わない《魔族向けの肉》の意味を、俺はなるべく考えないようにしている。  水分が欲しくなって卓上を見ると、水の入ったグラスの他にとっくりとおちょこがあった。こ……これは……!! 「ジェ……ジェード……!」  ソワソワしながらおちょこをジェードに差し出した(目上に注いでからしか飲めないのは社畜の習性である)  おちょこを受け取ってもらえたので、とっくりに片手を添えながら中身を注いだ。  透き通る液体が小さな器に溜まっていく。やはりこれは……酒!  自分のおちょこにも注ぎ、口元に近づける。まったりとした良い香りがする。米麹系の酒に思えるがどうだろう。  そっと唇を濡らす。 「……う、う、う、うま! この酒うまいよ!」 「口に合うか。良かったな」  ますますご飯が進む。  うーん、この世界のこと好きになれそう。  屋敷でのときと同じように、ジェードは飽きもせず食事する俺を見ていた。

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