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30 ローズガーデン男子会、そして

 庭園に出ると、柔らかな薔薇の香りに包まれる。  彼らはベンチで待ってくれていた。  屋根付きの席に移動して、丸テーブルを三人で囲む。  人間の足形態のロコは珍しく服を着ていて、バウからは石鹸の匂いがする。 「今日はなんかいつもと違うな」 「二本足で屋敷に入るときは服を着ろって、ジェードから言われてるんだ~」 「俺もノミ撒いたら殺すって言われてるから」 「あ~……」  二人は俺と合流する前に、キッチンからティーセットを持ってきていた。  案外ジェードに遠慮がない。付き合いが長いことを思えば、この屋敷のことをよく知っていてもなんらおかしくはない。 「よし」  ぱん、とロコが手と手を合わせた。バウがこくりと頷き、同じように両手を見える位置に掲げた。  なぜか二人とも、両手にかわいいミトンをつけている。 「なにそれ」 「何があってもハヤトキに爪立てないようにな。なんなら猿轡ももってきたけど?」 「やめろやめろ。変なプレイみたいになる」  ミトンはとってもらった。  バウが小さなカゴをテーブルに置く。  そこには小ぶりな石みたいなものがいくつか入っていた。 「ちゃんと食えてるか? ジェードは食欲がインポだから、どうせ飯の用意も適当だろ。モコニュンペ持ってきたぜ」 「なにて?」 「果物だよ」  石のようなものは実際は果物らしく、割るとみずみずしい果肉が現れた。バウはそれを一口で食べ、果汁のついた唇をぺろりと舐める。 「おいしいから鳥が先に食べちゃうんだよね。集めるのけっこう大変なんだけど、バウがお肉のお礼にって」 「いい肉だった。ありがとな」  差し入れた肉はちゃんと二人で食べてくれたらしい。  モコなんとかを一粒取り、二人の真似をして割って口に運ぶ。 「……! うまい!」 「ねー。ボクもこれすきなんだぁ」 「ジェードのぶんも残しておいていいか?」  金を払ったのは彼だし、二人が感謝していたことを伝えてあげたかった。  ところが、バウたちはきょとんとしている。  俺そんなに変なこと言ったか? 「ジェードは食べないぜ。薔薇の精気を吸うとこしか見たことねぇ」 「あ……と。たぶん、食べるんじゃないかな? 一粒くらいなら……夕飯に出せば……」  俺は、また彼に食事をふるまうつもりだった。旅館で食べた魔族向けの味付けをなるべく再現して反応を見てみたくて。  そこでこの実をデザートにするのはアリだろう。 「夕飯に出す?」 「一緒にご飯食べてるの? あのジェードが?」  二人は顔を見合わせて首を傾げていた。 「まあ……ハヤトキがそうしたいなら。痛みやすいから早めに食べてくれよな」 「うん、鮮度管理には気を付けるよ」  紅茶は、果実のもったりとした甘さをリセットしてくれる爽やかな味だった。  おいしくてごくごく飲んでいると、ロコが楽しそうに()ぎ足してくれる。 「で、お屋敷暮らしはどうなんだ?」  バウにそう聞かれて、俺は深く考えず正直に答える。 「ジェードがよくしてくれてるから、不自由ないよ。魔王城にも行ったけどなんとかなったし」  二人が勢い良くお茶を吹き出した。 「げほっ。ハヤトキ、魔王様に会ったの?」 「え、うん。俺を紹介したいからって」 「紹介……!? 魔王に……!?」  あっ、二人は俺を人間だと知らないから、わざわざ紹介する理由がわからないんだ。あらぬ誤解を生んでないかな。大丈夫かな……。 「そ、そんなことよりさ、俺も二人に聞きたいことがあったんだ。ジェードのこと教えてよ」 「ジェードのことぉ? 薔薇の手入ればっかしててー、普段は何してるかわかんないおじさん」  ロコの年齢からすると、ジェードって年寄りなんだ……。盆栽老人みたいな言われようだな。 「ハヤトキはあいつのどんなことが知りたいんだ?」 「うーん……ジェードって、からかってはくるけど優しくて……こんなに面倒見てくれてるし、恩返しがしたいんだ。けど、身体を気遣ってくれてるのか血も吸ってくれないし、どうしたらいいか……」 「…………」 「…………」 「バウ? ロコ?」  二人が顔を近付けあって、小声でごにょごにょと話していた。 「ねえ、今のほんとにジェードの話?」 「他にいないだろ。魔王に紹介するくらいだし……恋もすりゃ人は変わるってことか……」  恋? なんかちょっと勘違いされてるな、これ。  ジェードは別に、俺を特別扱いしてるわけじゃないと思う。バウやロコたちにも同じ態度だろ?  二人はまだ小声で話をしている。  めちゃくちゃ聞こえてくるけど。 「まあでも、ボクらも彼には世話になったし……確かにそういう一面はあるよ」 「世話にはなったが、俺はストレスで毛がハゲまくったぞ。あいつ気難しすぎるし、何考えてるか教えてくれねえし」 「それはそう」  バウが仕切り直すように咳払いした。 「……ハヤトキ。ジェードのことをそう言うヤツは初めてだぜ。来客者はすぐ迷惑がるし、仏頂面でユーモアもなくて、誰にでも冷たくて、わざと嫌われようとしてるのかと思うくらい性格悪いし、すぐ鞭を振り回すし」  ロコがすごい勢いでうなずいている。  俺の知ってるジェードとなんか違うな。 「昔はこの辺にも村があったけど、領主があんな感じだからみんな街に流れたんだよね」 「ジェードを尊敬してる魔族と、悪く言う魔族で分かれてるのって……そういうこと?」 「うん。戦争から帰ってきてからがね、評判良くないね。──生きるのどうでも良くなっちゃったのかなって、ボク思ってた。薔薇の精気だけで生きていけるわけないもん」  昔を思い出して胃が痛くなったかのように、バウが長いため息を吐いた。 「あいつ真面目だから、辺境伯としての役目を放棄しきれないんだ。でも本当は……死にたかったんだろ。特別頑丈な種族で平和の中じゃ餓死くらいしかできねぇのに。年々顔色が悪くなってさ、死神そのものみたいになって」  確かにこの屋敷のさみしさは、いつでも終われるように人生を片付けた後のようだった。  かつてはいた使用人が今は一人もいないのも、そういう理由なのだろうか。  でもどうして、そんな望みを抱くんだ。  ジェードにとって……魔族にとっては 大義がある戦いだったはずなのに、どうしてそんなにも胸を張らないんだろう。  ──(かぞく)を守るために出征した。  ── 一方で、手にかけた人間たちが、誰かにとっての家族だったことも理解している。  彼は。  キヴァバイパの民が焼き払われ、兄弟同然の魔王が苦しむ姿を見せられて、どれだけ怒りに震えても、それでも……復讐だとか、守るための犠牲だとか、そういう言葉で、自分がやったことに納得できないんだ。  どれだけ周囲が彼の行為を正しいと褒めたたえても、この大陸の誰も彼を責めてなくても、《同じことをやり返した》って事実とずっと向き合ってる。  今も……。  彼は、優しすぎる。  ジェードがいる屋敷のほうを見つめていたら、バウたちが俺をニコニコと見ていることに気付いた。 「飯を食うなら、やっぱりあいつは変わったよ。ハヤトキと会ってさ」 「ありがとねぇ、ハヤトキ。ジェードが楽しそうにしてるとね、嬉しいんだ。彼はボクたちに居場所を与えてくれたから」  二人は本当に安心した様子で紅茶を味わい、思い出話に花を咲かせ始める。  俺はおとなしくそれを聞いていた。 「ボクがこの森に来たときねぇ、湖の魚ほとんど食べちゃって、それはもうバチボコにされたんだよね。泣いても許してくれないし、ほんと怖かったぁ」 「でも、稚魚と子持ちは食わないって約束したらほっといてくれるようになったろ? あいつはそういうヤツなんだよ」  話の中のジェードは、冷たくて、無関心で、厳しくて、それでいて彼らを尊重しているように思える。  だから、彼らもこんなに楽しそうに思い出話ができるんだ。  ……散々言うけれど、二人は本当にジェードのことが大好きなんだな。  ジェードも二人をよく気にかけていた。そういう態度をしていなくても、言葉の節々からわかる。  彼らはこの森で助け合う家族なのだろう。 「え、バウ。ジェードのあれって……そういうことだったの? こどもとおとなの区別くらいつくのに、なんでいちいち説明してくるんだこのおじさん、って思ってた。魚もカバー対象の稚児趣味だから手を出すなって圧かけられてるんだと、てっきり」 「おまえマジかよ」 「だってハヤトキだって、こどもっぽ」 「しぃっ!」  ん? なんか話の流れがおかしいな。  気のせいかな。  ……それはそれとして。  バウは俺の影響でジェードが変わったというが、本当かな。  ただのエサだと思われてるなら、そんな影響力があるはずない。  家畜。エサ。携帯食。カロリーメイト。  ……もし、もう一歩進んだ存在になっているというのなら、もっと必要としてくれてもいいのにな。    ■  二人を森へ見送った後、俺はキッチンに立った。  料理するのは自分の腹を満たすためだが、せっかくならジェードにも食事を楽しんでもらいたい。  とりあえずの、今夜の目標。  温泉街の思い出を語らうための食卓を作る。  そして、バウたちが持ってきてくれた果物を一緒に食べる。  バウたちとの会話から──いや、温泉から帰るあたりから、俺は《彼が俺をどう思っているのか》ばかり考えてしまう。  でもそれは、答えの出ない問いだ。少なくとも、俺の中からは。  だから、考え方を変えることにした。  《俺が、彼にどう思って欲しいのか》  ……俺はどうして欲しいんだろう。  考え始めたはいいが、はっきりしなかった。  ぼんやりと言えるのは、もう少し必要とされたいということ。  彼の口を潤す存在として居候を許されたわりに、喉が渇いても手を伸ばされないことに困惑している。  なのに出て行けとも言われない。  好きに居座れと言う。  いてもいなくても気にならないから、ってこと?  それではいないのと同じ。感謝も伝えられないじゃないか。  だから、できることをアピールして、多少なりとも俺を認めてもらいたい。  いまのところ、俺から彼にできることって言ったら、料理くらいだ。  当初の役割も踏まえれば、料理に血を入れるのが最短の正答な気もする。  が、そのためには自分で自分を切らなければならないわけで。俺は自分を傷付ける勇気がない。  そもそも血が加熱しても美味いのかわからないので保留。  積極的に生き血を捧げるのも、体力的にも精神的にもキツいから保留。  ひとまず普通の料理で、やってみるぞ。    ■ ■ ■  ──というわけで、作るだけ作って呼んだら、彼は食卓に座ってくれた。  言葉少なではあるが雑談にも付き合ってくれて、作り上げた料理も全部食べてくれた。  もらった果物も分かち合った。  それで、その後は、彼は当たり前のように書斎へ帰っていった。 「うーん?」  俺は一人でじゃぶじゃぶと皿を洗い、ふきんで水気を拭き、いつの間にかかさぶたが取れてつるりとした首筋を撫でる。  ──こちらの味付けを覚えたのだな。馴染みのない調味料だろうに、美味かった。  彼は褒めてくれたけど……。  これで終わり?  なんだこの、この。  納得がいかない感情。

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