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36 魔王 IN ハヤトキ【2】

 ここは魔王城のバルコニーだ。  リオンがいる。手すりに手を置き、おどろおどろしい荒野を眺めていた。  彼を見るなり俺の身体は体温が上がって、幸せな太陽に照らされたみたいになる。足元がふわりと軽くなる感覚もあった。  これはベクトルドのリオンへの感情だ。あふれ出んばかりの強い親愛。  ……親愛か? これ。他人(ひと)の身体で勘弁してくれ。  歩み寄る俺に気付いたリオンは、驚いた顔をする。 「ハヤトキ? キミ一人なのか?」  肉体としては一人だが、そこに俺とベクトルドの二人分の人格が入っている。  さすがの勇者も、それには気付けないらしい。  俺の身体の主導権はベクトルドにある。いま喋っているのも、もちろん彼だ。 「久しぶり」 「何の用?」 「リオンと話がしたくて」 「……なんで?」  冷たく突き放すように言われて、《俺》は目をぱちくりさせていた。 『なんで!? おぬし、勇者とは普段どんな会話をしているのだ? 我はこんなに無関心な目をされたことないぞ。怖い。泣いてしまう』  頭の中でベクトルドが話しかけてくる。  この展開はなんとなく予想していた。 『俺たちそんなに面識ないんだって。急に話しかけられたらそりゃ警戒するよ。作戦、練り直したほうが良いって。もう帰ろう?』  返事はなかった。諦め悪いな。 「どうして魔王を倒さないの?」  そう言われて、リオンはムッとした顔をした。  ベクトルド……それは言い換えたら「勇者なら仕事しろよ」だ。会話のドッヂボールすぎる。 「前に言っただろう。私は魔王の味方、人間の救済なんかクソくらえだ」  どくんと心臓が跳ねて落ち着かない。  これあれだ、俺の身体を乗っ取ってるベクトルドが喜んでるからだ。  おい、泣くなよ、俺の身体だぞ。 「うぐぅ……。人間のくせに感心なヤツだな……」 「な、なんで泣いてるんだよ。キミはどっちの立場なんだ? 魔族側なのか?」 「ずびっ。俺はその、ジェードの愛餌(ペット)だから。ジェードに食べられるのダイスキ」  おい! 雑な切り返しやめろ!  変なヤツだと思われるだろ! 「人の性癖に口を出すつもりはないけど……自分を大事にしなよ」  優しい言葉のチョイスからとてつもない心の距離を感じる。 「でもさ、放っておいたら魔王は人間国(テラル)を滅ぼしちゃうよ。あなたは人間たちの唯一の希望だろ? それって本音?」  なんだよ、その質問。  好みの食べ物とか好きな宝石を聞きたかったんじゃないのか?  リオンも怪訝(けげん)そうだ。 「……キミは何者なんだ?」 「どうでもいいよ、俺のことは。そんなことより、これを見て」  俺の手が空中で何かをつかんだ。見えない鞘から引き抜くみたいに、神々しい輝きをまとう長剣が現れる。 「……!? それは……!」  リオンはそれがどんな剣なのか理解しているようだった。 「わかるよね。これは歴代の勇者が求めてやまない武器だ」 「……魔王が、自分が乱心したときのために神に打たせた不死身殺しの聖剣。なぜハヤトキが持っている?」 「キミに渡すために持ってきたんだ」 「質問の答えになっていない」  頭の中での会話はリオンに聞こえない。  俺はひやひやしながらベクトルドに話しかける。 『そんなもの渡していいのか?』 『最悪、勝てば良かろうなのだ』 『脳筋』 「いらないなら、これは元の場所に返してくるよ」  受け取りやすいように剣の柄を相手へ向けたまま、反応を見守っている。 『入手するには魔王城地下ダンジョンを攻略する手間がある。我の敵ならこんなチャンスを逃すはずがない』 『こんなやり方で、リオンがスパイかどうか確かめたかったのか?』  ベクトルドが本当に知りたかったのは、好きな食べ物でも宝石でもなかった。いや、それも知りたいのだろうけど。 「これがあれば……魔王が殺せる。──欲しかったんだ」 (えっ!?)  リオンが剣を受け取る。  全身の血の気が引くのがわかる。魔王の動揺が伝わってきて息苦しい。 (俺の感情じゃないのに、胸が張り裂けそうだ。ベクトルドは本当に……勇者のことが……)  リオンはホッとしたような穏やかな表情を浮かべ、マントを脱ぐと剣の刃を隠すように巻きつけ始めた。 「私がこれを隠してしまえば、もう誰も魔王を殺せない。彼を守ることができる」 「……彼を、守る? どうして」  少し考えるそぶりをして、リオンは話してくれた。 「私は知っている。何百年も前から人間は魔族を誘拐し、非道な方法で魔法技術を盗み続けた。土地も荒らして、戦争を引き起こして。負けて。魔族と友好を結べず、《狩り》に怯えるのは自業自得だ」 「前時代の人間の罪は、情報統制されて民のほとんどが知らないはず。……王家の出身なのか?」 「まあね。とにかく、いまの人間の境遇に同情の余地はない。それなのに、。そんなことは間違ってる」  私は魔王の味方だ──改めてそう宣言し、リオンは真っ直ぐに俺を見据える。  でたらめを言っているようには見えない。 (ええっ……!?)  ぼろぼろと両目から温かい涙が出て止まらなかった。  まるで、初めて理解者を得たかのような安堵が胸に満ちている。 『ハヤトキ! こやつは我と同じ、人間を憎んでる! 我と同じ考えだ! ()いなあ!』  大喜びするベクトルドをよそに、俺はなんだか怖くなっていた。  リオンは人間に明らかな怒りを抱いている。  勇者の任に就き、人類の祈りを一身に背負っているんじゃないのか? それらをすべて踏みにじる覚悟が……強い意志があるんだ。 『なんだその執念……。リオンこそ何者なんだ……』  情けない顔で泣く俺の様子を見て、毒気を抜かれたようだった。リオンはあきれ顔で言葉を続ける。 「キミは誰の差金なんだ? 誰にせよ、伝えるといい。魔王は美しくて、気高くて、で、報われるべき存在だ。私はそのために他の候補を打ち倒し、魔王のための勇者になった。……彼をおびやかす者はすべて排除するし、彼の信頼を得るためなら、なんでもする。心得ておけ」  つまり、いまは見逃すが、もし俺が敵対者なら地の果てまで追ってでも殺すという意味だ。  わりと物騒な釘を刺されているというのに、ベクトルドはそれどころじゃない。 「心得る! 心得る!」  いまにも踊り出しそうで怖い。俺の尊厳も心得てくれ。 『ま……、ベクトルドが幸せそうだから……いいか』  リオンへの疑念は晴れたらしい。手放しに歓喜し、微塵も疑っていないようだった。  この国の魔王、感情が一直線で心配だな。世が世なら貢ぎ恋愛に沼るタイプだ。 『む、いま我に対して失礼なことを考えただろう』  うわ、勘が鋭い。  ……ていうか、俺、ふらふらしてないか?  視界がゆっくりと揺れている。 「顔色が悪いぞ。大丈夫か?」  リオンも俺の様子に気が付いたようだ。  魔王が俺の顔で「あっ」て顔をした。 「これは……だいじょばん。帰る」 「! 待て、キミは──」  次の瞬間には、自分の部屋のベッドに倒れ込んでいた。 『すまない。人間の肉体は初めてでな、動かし方が下手だったようだ。細胞が悲鳴をあげておる。すぐに身体を返そう』 『ちゃんと原状復帰してから返してくれよ。借主の義務、民法もそう言ってる』 『ミンポウは知らんが、感謝しているぞ。礼と言ってはなんだが、文字の知識を頭に《入れて》おいた』 『入れ……なに? え?』 「ではな」  窮屈だった頭の中が急にスッキリする。他人事のようだった身体の感覚が、一気に戻ってきた。  手足が動く。喋れる。 「あだだだ……!?」  肉体の主導権が戻っていて安堵したが、それはそれとして全身が筋肉痛になっていて最悪だった。  ベクトルドの気配は部屋のどこにもない。帰ったのか。  そうだよな、早くリオンに自分の姿で会いたいよな。  そして……机の本の表紙を見たら、。  まるで初めからこの国の文字を知っていたみたいに。  ペンを持ったら書くこともできた。  今の俺はきっと、《チェンジリングにあったみたいな顔》をしているのだろ……え!? いまの何!? こ、怖い。なんだこれ。この国の慣用句も勝手に頭に浮かんでくる。  知らない知識が自分の中からわいてくるの、不気味すぎる。 「もしかして、魔王に身体を貸すって……結構とんでもないことしたんじゃないか……」  自分の知らないところで頭の何かを書き換えられていたら、一生気付けない。  彼はそんなことしないだろうが……。  もう二度と、身体を貸すのはやめよう……。

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