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39 勇者の死【2】
足元で吐瀉物 を雨が洗い流していくのが見えた。
魔王の怒気は猛烈な炎のようで、全身が焼け煮えたように感じた。死んだと思ったし、気絶しなかったのは奇跡だ。
普通ならこの時点で、戦意も、対話する勇気も失せるだろう。
正気の人間が挑むような相手ではない。
リオンはよく立ち向かったな。
あの二人がこうなるまで大喧嘩をしてもわかりあえないなんて、どんなやりとりがあったんだ。
他に誰がベクトルドを宥 められるだろう。
この場において、力無き者は部外者だ。
ベクトルドとジェード、あとはバウ。彼らが話し合う場で、俺はなぜかいるだけの……モブ。
「人間などに情を見せるなどやはり愚かだ」
「ベクトルド、極論はよせ。なぜ勇者を殺した。それでは話を聞くこともできない」
「……忘れたのか? 攫 われたおまえの父の慣れ果てを。対話の力を信じた魔族がどれだけ冒涜され、《転用》されたか」
なんだよ、冒涜って。
転用って? 何から何に?
「だからといって、人間 に同じ苦痛を味わわせて何になる」
「勇者が人間の国を破壊するのだ。愉快だろう」
ジェードはしばらく黙ったのち、絞り出すように言った。
「戦争は終わったんだ。争いの傷は怒りでは癒えない。ベクトルド──」
「違う! 我 の戦争はまだ終わっていない! ……よい、この話は。おまえにしたところで無駄だ。ふ、リオンが信用ならんと言った腹心が誰かわかるか? おぬしだ、ジェード。おぬしはいずれ我を殺すらしいぞ」
「……リオンの言葉を信じたいのだな」
ベクトルドの眉間の皺が深くなる。煽ったつもりが躱 され、図星を突かれて不愉快だったようだ。
二人の仲だ。ジェードがベクトルドを殺すなんてありえない。
ベクトルドはバカなことをいう自覚がある自嘲的な笑みを浮かべているし、ジェードもそんな気さらさらないと言わんばかりだ。
それでも、わざわざ確かめようとした。
ジェードが本当に裏切るなら、リオンが嘘をついていないことになるから。
──親友と恋人を天秤にかけてしまったら、どっちにしてもつらいだけじゃないか。
「問うたところで"ハイそうです"とは言わぬだろう? 我がここへ来たのは、伝えるためだ。ジェード、辺境伯の位 は勇者に与えることにした。数日ほど猶予をやる、身の回りを整理しておけ」
「……なるほど。喜んで、我が王」
どこか皮肉がかって聞こえた。
ジェードの返事を聞き届けると、ベクトルドの足元から炎が上がる。リオンを巻き込んで二人の身体を包んだかと思うと風に巻かれて消える。すると、二人の姿もなくなっていた。
魔王城へ帰ったのだろう。
ベクトルドは、リオンとジェードのどちらが裏切り者なのかこの場ではっきりさせるつもりはないようだった。
重苦しい空気の原因が去って、俺は腰が抜けて尻もちをつく。
魔王から放たれるプレッシャーはすさまじかった。しばらく悪夢で見そうだ。
「ハヤトキ、大丈夫か?」
「ちょっと力が抜けただけ……」
膝が笑っていて立ち上がれない。
「手を貸そう。ここにいては風邪をひいてしまう」
「……うん」
ぎくりとする。差し伸べてくれたジェードの手も、震えていたから。
■ ■ ■
バウは「もっと情報収集する」と街へ走っていった。
俺たちは屋敷に入り、靴の泥を落とす。
濡れた身体を温めるため、シャワーを浴びるように言われた。
この屋敷には浴室がいくつかあるから、ジェードの心配は必要なさそうだ。素直に頷いて、自分の部屋へ向かった。
自室のシャワールームに入り、脱いだ服をカゴに放る。
暖かい湯を頭から浴びると、緊張で凍えていた脳も動き出す。
(リオンが……死んだ……)
つい先日喋った相手が、もう生きてはいないという事実に怖くなる。
しかも、魔王に殺されるなんて。
彼が異世界人で未来を知っているという話も不穏だった。
もし彼が、魔王のために悲劇的な未来を阻止しようとしていたなら、失敗したということだ。
それに、辺境伯の役割がジェードから魔物になったリオンに譲られる?
ジェードはどうなるんだろう。
……みんなはこれから、どうなってしまうんだろう。
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