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40 当事者でもない微妙な立場

 いつも通りの日常があるかのように時間を潰してベッドに入れば、次の日になっていた。  あれから、ジェードは書斎を片付け始めた。食事の時間になっても食堂に来ないし、話しかけにくい空気を(かも)し出している。  俺たちの都合に構わず、時間は流れていく。  さらに翌朝を迎えて、魔王の言っていた「猶予」がどれほどあるのか不安になる。  ジェードには報されるだろうが、俺にも伝えてもらえるのだろうか。おまえには関係ないと言われそうだ。  ……関係なくなんかない、そう言えるほどの度胸もない。  じっとしている気にも、キッチンに立つ気にもなれなかった。とりあえずベッドから這い出る。  屋敷にいてもやることがない。  ロコとバウのいる湖に行こう。  上着を着て、キッチンに寄る。  手土産を持って出発した。  冷えた外気でかじかむ手をさする。  湖に着くと、慣れ親しんだ光景があった。  ロコが湖の水面から顔を出し、岸に頬杖をついてすぐそばで火を焚くバウを眺めている。二人は昼食の準備をしているところらしい。  冬の空気に負けないよう、周囲を温める魔法石のランプも焚かれていた。 「あ、ハヤトキ! 一緒に食べよ!」  人懐っこい人魚はいつもよりもはしゃいだ笑顔で手招きしてくれた。その明るさが、気を遣ってくれているのだとかえって察してしまう。バウから聞いたのだろう。  でも、なんともないふりをして手土産を渡した。香辛料と混ぜた塩と、白ワイン。それから、保存の効くいくらかのおかず。  三人で焚き火を囲み、焼き魚やおかずをつつきながら当たり障りのない会話を続けていた。  そんな中で、バウが話題を切り出す。 「ハヤトキあんた、人間だったんだな」  いつかは言われるだろうと思っていたから、動揺することもなく素直に頷く。 「言ってなくてごめん」  首を左右に振られる。 「仕方ねぇよ。人間つったら魔族が食べる肉だからな。言えるわけない」  そして「納得もした」と付け足し、申し訳なさそうに微笑まれた。 「もう隠し事はナシだぜ? ハヤトキはハヤトキなんだ。何も変わらないから気にすんな」  背中をばしんと叩かれてわりと痛かったが、悪い気はしない。  隣で、ロコもうんうんと頷いていた。  関係が壊れないように、どう説明しようか散々迷っていたが……。もっと二人を信じて良かったみたいだ。 「……ありがとう」  それと、バウの言葉で腑に落ちたことがある。 (やっぱり、そうだったんだな)  ジェードが市場の肉屋を避けたのも、外食で出る肉をそれとなく食べないように注意してくれたのも、肉の正体がだったからなんだ。  鶏や兎、豚でもない何かの肉があるなとは思っていた。  ともすれば《海の向こうの狩場》も、魔王が言っていた《計画中の農場(ファーム)》も……詳細を察せてしまう。 「てーか、魔王はハヤトキが人間だと知ってたよな? 顔合わせのときよく無事だったな。魔王は人間が大嫌いだからさ」  確かに、ここのところの出来事で俺の魔王への印象はかなり変わっていた。  友好的な人だと思っていたが、あの親しみやすさは憎しみの裏返しでしかなかったらしい。  嫌いなものを嫌いというのも疲れるから、あしらうほうが楽なんだ。  ……じゃあ、俺の身体を乗っ取りに来たあれは何だったんだ。俺の身体、大丈夫だよな?  怖いから考えないようにしているが、本当に迂闊(うかつ)なことしたな。 「ただ滅ぼすだけじゃ足りないって、どれほどの憎しみなんだろうね。《狩り》の黙認とか、ジェードは乗り気じゃないみたいだった。でも魔王様の気持ちを否定したくもないから、のらりくらりと登城を避けて関わらないようにしてたみたい」  魔王城でのよそよそしさはそのせいか。  親しいジェードが賛成も反対もせず、距離を取るくらいに、不安定な心の均衡(きんこう)を保つ魔王。  そこに寄り添おうとした人間の勇者。  ベクトルドにとって、リオンはどれくらいの存在になっていたのだろう。  リオン……せっかく信頼を得たのに、人間の肩を持ち、親友を切り捨てろなんて。  関係にヒビが入るとは考えなかったのだろうか。  それとも、押し通せると思って見誤ったのか。  俺たちの知らないところで彼らがどんな絆を育み、そして断絶するに至ったのか、考えたところで仕方のないことだが……。 「…………」  俺が思考に潜って黙り込んだせいで、変な空気になってしまっていた。 「なあっ、このワイン、飲んでみようぜ」  気を取り直すように、バウがボトルを掲げた。  グラスの中で白ワインが揺れる。香りも良く、軽い口当たりでつい飲みすぎてしまいそうになる。 「赤ワインじゃなくて良かったー。赤いワイングラス越しにハヤトキを見てたら、また変な気起こしちゃいそうだもん」 「ブラックジョークがすぎる……」  苦笑しながらも、二人がもし困ることがあればいくらか身体を差し出しても構わないと思っていた。  今もジェードにしていることではあるし、死なないなら易い。  それくらい、彼らが大切になっていた。  酔ってふわふわしているが、シラフでも同じことを考えるだろう。 「……ずっと気になってたんだけど、ふたりともどこで寝起きしてるの?」  食料をどこに備蓄しているのかなど、かねてより不思議に思っていた。 「ボクは湖の底だよ~」 「オレは森に小屋を立ててる」 「そうだったんだ。ロコもバウも、街で暮らさないのか?」 「うーん……。オレたちは街に馴染む努力するより、自分らしく生きることを選んだんだ」 「ハヤトキこそ、どうなの? 人間の国に帰りたがらないね」  会話のバトンがそういうふうに回ってくるとは予想していなくて、言葉に詰まる。  久しくそんなことは考えていなかった。帰れるとも思ってなかったから。  そもそも、二人は俺をテラルの人間だと思っていて、異世界人であることまでは知らない。  隠し事はナシと言われても、言えない秘密が山ほどあって申し訳なく思う。 「……俺が、もう帰れないくらいずっとずっと遠くから来てるって言ったら、どうする?」  できれば話したいと思った。どう言えばいいかはまだわからないけれど。  バウとロコはきょとんと顔を見合わせて、それから俺を見た。 「ジェードの屋敷が嫌になったら、いつでもウチに来いよ」 「うんうん。ボクのおうちもあるよ。水底だけど、なんとかする」  どういうこと? とか、掘り下げようとする言葉を想定していた。  なのに二人は、何より先に寄り添おうとしてくれたのだった。  優しさがぐっときて、思わず泣いてしまいそうだった。目が潤むのをこらえる。  ぱらっ。焚き火が揺れて、草木に露が乗る。  小雨が降ってきた。  あの日から天気は崩れやすく、降ったり止んだりの繰り返しだった。  森にうっすらと霧がかかり始めている。 「霧が濃くなると迷うから、そろそろ帰りなよ」 「……そうする。また話そう」 「おう、気を付けてな」  辺境伯が交代したらこの森がどうなるのか、そんな不安については、ついに誰も口にしなかった。

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