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44 飛竜ワズワースは常に退屈である
いろんなことを考えすぎて、昼間をどうやって過ごしたか思い出せない。
荷造りなんかもちろんしていなかった。
部屋の扉がノックされる。この屋敷にそんなことをする人はいないから、不思議に思いながら返事をした。
現れたのは、茶色のロングヘアをおおざっぱに編み込んだ優男だった。緑色の瞳をした目付きは優しいが、どこか野生的な鋭さもある。
無頓着な髪型の一方で、民族ロングスカートスタイルの服は高貴できちんとしている。全体的な印象がちぐはぐだ。まるで人のフリをするのに慣れていないような──。
「ワズワース?」
「おお、よく気付いたな」
男──飛竜ワズワースの人間形態は、八重歯を見せてにっこりと笑った。
ジェードに言われて、俺を迎えに来たのだろう。
彼の手を取れば、人間の国へ連れていかれる。
「……俺、テラルには行かないよ」
「なんだなんだ。せっかく来てやったのに無駄足か。向こうの大陸に仲介も待機させてあるんだぞ」
「仲介?」
「ヴィニに侵入した人間を何人も生きて帰しておるからなぁ。中にはそれを恩と感じている人間もいる。おれがジェードの言葉を伝えたら、喜んでおまえを一時保護すると言っていたぞ」
「待ってよ。人間と繋がりがあるなんて、魔王は……」
「いやいや、勘違いしてやるな。ジェードからテラルへ連絡を渡すのは今回が初めてのこと。おまえのために危険な橋を渡ったのだ。わかってやれ」
「……ジェードは?」
てっきり、俺を呼びに来るのはジェードだと思っていた。ワズワースが直接来ることも、ワズワースしか来ないことも、にわかには信じがたい。
彼は口をへの字にして肩をすくめた。
「見送りもしないつもりらしい。短命の者どもは感情も肉体もすぐにうつろうよなぁ。──さみしいのか? おれが慰めてやってもいいぞ」
わしわしと頭を撫でられた。
三百年生きてまだ現役の種族を短命呼ばわりとは、竜ってなんなんだ。
「ん?」
ワズワース、なんで俺のシャツを脱がせようとしてるんだ。
「一応聞くけど、いまって必要なことしてる?」
「何もせずに帰るのもな。ジェードのものじゃなくなったなら構わんだろう?」
るん、と鼻歌を歌い出しそうなほど機嫌を良くしている彼を見て、ふとミュラッカでのジェードとの会話を思い出した。
──湯より色の男。
「あー…………、そういうこと」
「そういうことだ。おまえは上と下、どっちが好みなんだ? 両方でも構わんが」
「二段ベッドの話じゃないことだけはわかる」
俺はそっとワズワースの両手首をつかみ、ボタンを外そうとする手を退け……退……ど……退かない!
「ジェード!!」
「ジェードは来ませーん。なぜなら、これからおまえは一人で生きていかないといけないのだし? おれくらいの手は跳ね除けないとなぁ」
「最強種が人間に言っていいセリフじゃないだろ!」
力の差は明白で、そのまま押されてベッドに押し倒されてしまった。
太ももに彼のものを押し付けられて絶句する。太いし、多い。
そうか、竜って爬虫類みたいなものか……。種類によっては二本あるっていうもんな。
「大丈夫、おれと寝て満足しなかった者はいないから」
「そういう問題じゃなくて……!!」
「そもそも、テラルに行くつもりがないならどこに行こうというのだね。ジェード亡き後もここに居座るのは無理があるだろう。……そうだ、おれのところへ来るか? 最近はヒマで仕方がなかったからちょうど良い。寿命まで手厚く面倒を見──」
「ああもう!」
ぐいぐい来る優男を足で押し退け、声を張り上げる。
「俺はどこにも行かない! ジェードも死なせない! 悪いけど帰ってくれ!」
這いずってベッドから降り、乱れた衣服を整えた。
続きはナシ!と、睨んでみる。
が、威嚇が伝わっているのかいないのか、ワズワースは歯を見せて笑った。
「なぁんだ。はじめからそう言えば良いものを」
そう言うと、彼の背中から見慣れた竜の翼が現れた。部屋いっぱいに広がって迫力がある。
だが、窓を見やってすぐ、翼が大きすぎることに気付いたようだ。
翼をぎゅうっとちぢこませて、せっせと扉を全開にしている。
「ハヤトキ、考えが変わったらいつでもおれを呼ぶといい」
俺のほうへ振り返った彼は、左手の指で輪を作った。そこへ、右手の人差し指を突っ込……卑猥なジェスチャーはやめろ! 竜の誇り高さとか無いんか!
話題を変えるべく、咳払いをわざとらしくした。
「ひとつ、お願いしてもいいか?」
「おお、貸しだぞ」
「ジェードが一人で魔王城に向かったら、俺は着いていくすべがない。だから」
「面白そうだ、承知した」
最後まで話すより先に返事をして、ワズワースは空へ飛んでいってしまった。
伝わったのか、本当に。……人間より賢い種を疑うのもヤボか。
窓を閉めて、キッチンへ向かう。
夕飯の準備をするつもりだった。
これはもう意地だ。
いつも通り、ここで生活する、という意地。
キッチンで活動していると、俺が去っていないことに気付いたジェードが現れた。
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