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45 ささやかな覚悟と抗議

 俺が屋敷から立ち去る気配がないと気付いたらしい。ジェードがキッチンに現れる。  振り返りもせずに調理を続けた。  作り置きを温めるくらいのことだが、それでも火から目を離すのは危険な行為なので。 「行かなかったのか」 「竜のちんぽ、二本あるんだな」  そう言ってから振り返ると、ジェードの額に青筋が浮かぶのが見えた。  俺とワズワース、どっちにピキっときたんだろう。  領域の中なら誰がどこに居るのか気配でわかっても、何をしているかまではわからない。どこまで想像したんだか。  なんにせよ、ワズワースの性格を知ってて一人で送り出したジェードが悪いんだろ。 「テラルに行かないならウチに来いって、ワズワースには提案されたよ。断ったけど」  ちくちく言っていると、ジェードが長いため息を吐いた。 「……ハヤトキ。私と一緒に沈むことはないのだぞ」  苛立ちのひとつでも見せてくれればいいのに、俺を心配することばかり考えているような顔をする。いま大変なのはジェードのほうなのに。  焜炉(コンロ)の火を止めて、温め終えたそれらを皿に移していく。  ほかほかと湯気をあげる料理からはいい匂いがした。 「夕飯、一緒に食べようよ」  噛み合わない会話ばかりしてしまうな。そう思いながら、二人分の皿を持ち上げた。 「……わかった」  根負けしたように、ジェードが横へ来て他のカトラリーを持ってくれる。    ■  テーブルに着くと、静かな食事が始まった。  ときたまに、よそよそしい会話が交わされて、盛り上がりもせずに終わる。  しかもジェードは皿に手をつけない。ワインで唇を湿らせる程度だった。 「──ロコが俺より年上なのはわかってるんだけど、つい弟みたいにかわいがっちゃうんだよな」 「……ハヤトキはいくつなんだ?」  ジェードも一応、会話を繋げようとはしてくれている。素性を話してから、彼のほうから質問してくれることが増えたことも嬉しい。 (そういえば、俺の年齢って……)  魔王に入れられた言葉の知識で、この世界の年とか月の(こよみ)も少しわかるようになった。  ヴィニの森で目を覚ましたのがルルアフの季節で、もうエトゥだから……。オフィスで死んだのが誕生日直前だったが、とうに越しているだろう。 「俺は三十歳だよ」  三十にして立つ、の三十歳。三十路(みそじ)。 「な……三十……、………」  そんなに驚くことなんだ。  自分が生きた年数の十分の一だもんな。 「俺がいたところの平均寿命は八十歳くらい。三十は、若者と中年の間な年齢だね」 「大人ではあるんだな?」  頷くと、ホッとした顔をしていた。  どういう心配してたんだ。  そうこうしているうちに、俺の皿は空になった。  一方で、ジェードの皿は盛り付けられた直後そのままの状態。 「……ジェード、俺はこういう時間が好きなんだ」  当たり障りのないラインで話していたところへ、俺が一線を踏み越えようとしたのを察したらしい。  ジェードが顔を上げ、なにも言ってほしくないとばかりに俺の名前を呼んだ。 「ハヤトキ」  わかるよ。いまなにを話したってお互い傷付くだけだもんな。  でもそれって、無意味なことじゃないと思うんだ。 「覚えてるか? 俺がここでの」 「……ああ」  自分の首筋に触れる。  最近、鏡を見て気付いたが、何度も同じところを噛まれたから皮膚に色素の沈着がある。彼の牙の痕は、かさぶたが治っても俺の体から消えなくなっていた。  いま一度、彼の手元の皿を見る。  ワインは彼自身が用意した。俺が用意した皿には一切触れていない。 「俺の料理の味も、俺の味も、思い出さずに逝きたいんだな。……残されるのはイヤだけど、なんでかな、嬉しいよ。ジェードにとって俺って、取るに足らない存在じゃないんだなって思えて」  悲しいけど、笑えた。うまく笑えているかはわからない。  ジェードは俺を見つめてただただ悲しそうだった。 「俺を急いで人間の国に送ろうとしたのは、魔王城に行くのが明日だから?」  ……無言が、答えそのものだった。  ぎゅっと手を握って、前を見すえて言い切る。 「俺も明日、ワズワースに魔王城へ送ってもらうから」  ジェードが目を大きく見開く。ぽかんと口を開けていた。 「な」 「自分の用事を済ませるだけ。ジェードには関係ない」 「……おまえがあの城に近づくのは危険だ」 「俺をほっといて死ぬ予定の人が心配しなくていいよ」  不思議だ。腹をくくるとスラスラと言葉が出てくる。  対照的に、ジェードは呆然(ぼうぜん)と口を開けたまま硬直していた。  ジェードって案外……繊細かも。  いや、俺がいじわるなことを言いすぎか。  飼ってるハムスターに急に噛まれたらそりゃびびるよな。  謝るつもり、ないけど。

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