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56 素材の味わい【2】
「まったくおまえは、仕方のないやつだな。どうしてそう……。わかっているのか? もっと自覚を持ち、ふるまいに気をつけたほうがいい。いくら私相手だからといって──」
ねちねちねち。ベッドの中で抱き寄せられたかと思えばずっと小言を言われている。
主語をかたくなに置かないので何に対する注意なのかわからなかった。
俺の肩にジェードの手が置かれている。彼の体温を感じるほど首の付け根がうずうずしてしまって、小言のほとんどを聞き流しながら「早く噛めばいいのに」と考えていた。
ふと、思い立ってジェードの左手を掬 いとる。
不思議そうに目をぱちくりさせた彼は、俺の動向を見守っていた。
骨ばった彼の手を引き寄せ、人差し指の先を甘噛みする。犬歯のところをわざと爪に押し当てて見せた。
「噛 み方 わふれた? 俺 、待っへるんらけろ」
そうして首を傾 げると、ジェードが目を見開いてのけぞっていた。
……うん。いまのは俺もあざとかったかなって、自覚がある。ちょっと甘えてみたくなって、つい。
時差で恥ずかしくなってきて、口と手を離して赤くなった顔を逸らした。
「うぶっ」
が、鼻をつままれてジェードのほうを向かされる。そのまましばらく、ぎゅーっと鼻をつままれっぱなしだった。
「痛 い」
「まったく……! おまえは……! 仕方のないやつだな……!!」
そうしてようやく、ジェードに首筋を噛まれるのだった。
「ん……!」
ぷち、と鋭い歯の先で皮膚が破れる。
彼の右腕は俺のせいで失われた。詫びになることはなんでもしたい。
いまはこんなことしかできないから、いくらでも飲んで欲しい……と思うのだが、やはり気を使わせてしまうらしい。
いつもより痛みが少なく、浅く噛まれたのだとすぐに察した。申し訳程度ににじむ血を舐めとられていく。
今夜からたくさん飯を食べて、血をたくさん作ろう。健康アピールもしよう。そう心に決めた。
「っふ、ぅ……」
浅かろうが深かろうが吸血鬼の"噛み"はしっかりと被捕食者の感覚を惑わせる。
腰がむずむずする俺とは反対に、ジェードは落ち着いて飲んでいた。
「……味が違う」
ふいに、ジェードが呟く。
「……あ、俺の中から女神の加護が消えたから……血の魅力 も……」
女神の加護は、持って生まれた力を強化する効果もあると言っていた。いまの俺の血は「すごく美味しい」から「ちょっと美味しい」くらいに戻ったのかもしれない。
不安になる。
言い換えれば「不味くなった」ってことだ。
「ハヤトキの純粋な味か。……いままでのどれよりも甘露だ」
「……そんなの、理屈が通ってないだろ」
神様のうまみ調味料が無くなったのに、いままでより美味しいなんてことはありえない。
そんな優しい嘘、つかなくていいのに──そう思ってジェードの顔を見やって面食らう。
なんだよそのドヤ顔は。
「雑味を飛ばしてもこんなに甘いのはな。ふふふ」
そういうことか。
俺を飛ばして俺の血と直接喋るな。恥ずかしい。
「ハヤトキ、愛している」
「うっ」
ひっくりかえりそうになるほど直球な愛の言葉だ。さっきもさんざん囁かれはしたが、人生を通して縁がないセリフすぎて言われ慣れない。
受け流すこともできずに真正面から食らってどぎまぎしてしまう。
嬉しいとか照れくさいとか、あるいはいっそ怖いとか、全部の感情が自分の奥深くから波立つ。どんな反応をするのが正解なのかわからなくて困ってしまうのだ。
なにより、その甘く低い声で囁かれると腰にクる。抱かれながら言われたことも思い出してしまうから余計に。
「それで?」
「え?」
「私はハヤトキの口からも聞きたい」
「な」
「反省したのだ。言葉にしないから物事はややこしくなる」
「う」
俺にも同じことを言って欲しいって?
じっと俺を見るジェードは「待て」をする賢い犬みたいだった。けれど俺はそんな指示してない。俺の顔はどう見ても「ハウス」だろうに。
「セルフ待て」の意思が強い。俺がどう誤魔化そうとしても、譲らずに返事を待ち続けそうな雰囲気があった。
観念するしかないかもしれない。
「……………る」
「ん?」
せっかく言ったのに、聞こえないとばかりにさらに耳を近づけられた。
これは、自分で腹を刺したときよりキツイ。ジェードみたいな色気のある男が言うぶんには良いんだよ。俺は違うだろ。そういうキャラじゃない。
うう。ああ。でも、ジェードの言う通りではある。
言葉にしないから物事はややこしくなる。
そろそろ俺の気持ちにも決着をつけるときなのだろう。
どうせもう知られていることなのだ。
ええい、ままよ。
「好きだ、ジェード」
子供みたいな言い方になってしまったが、これが俺の精一杯だ。
おお。
仏頂面吸血鬼の、かつてないほど満足げな笑み。
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