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おまけ番外 迷子のウィルオウィスプはいま
バウの家に長居してしまった。料理教室の準備が間に合わない──キッチンまで近道しようと、屋敷の庭を突っ切ろうとする。
曲がり角で誰かの背中にぶつかった。
「すみません! ……って、ベクトルド?」
ふてくされた顔がこちらを振り返る。
多忙な魔王 とこんなところで会うとは。いつもべったりな勇者 の姿は近くにないようだ。不服そうな様子の理由は、嫌いな俺と会ったことよりも恋人がそばにいないことに対してだろう。
俺が聞くよりも先に、ベクトルドが言った。
「リオンはジェードと書斎にいる。自分が破壊した庭の片付けをしろと言われたのだ。……あやつらは人間の処遇の話になると、何かと理由をつけて我 を追い出す。冷静に話せるのに……魔王なのに……」
「あ、あはは……」
「……我はもう、邪魔なだけなのだろうか」
神々しい大男が子供のようにしゅんとうなだれていた。
街でたずねれば、魔王の功績を我が事のように誇らしく語る魔族ばかりだ。リオンだって語らせればいつまでもベクトルドの魅力について話す。ジェードだって、ふだん口にしないだけで彼が積み上げてきた歴史を尊敬している。近年の彼は不安定だが、それでもお荷物だと思う者なんてこの大陸にはいない。
人間への憎しみが狂気のトリガーになっていると知る者にとっては、彼を守るために聞かせたくない話もあるだろう。その気持ちもわかるが、疑心暗鬼にならないよううまくやってほしいものだ。
彼は俺からのなぐさめなんて欲しくないだろう。なんといっても悩みのもとの種族なのだし。聞こえないふりをしてあげるのが一番だと思って、話題を変える。
「キッチン行くから、お茶でも持ってこようか?」
「いらん。……おぬしも最近は忙しそうにしているな」
じと、と見つめられた。どういう感情の視線だ?
「おかげさまで……」
ハッと思い出した。これから料理教室の時間なんだった。いつのまにか増えた生徒におにぎりの作り方を教えなければならない。月謝をもらっている以上、遅刻なんて半端なことはできな──
「なあ、ハヤトキ」
「ん?」
ベクトルドがまだこっちを見ている。俺の顔に何かついてるのだろうか。それにしても、俺の名前を呼ぶ声色が妙に真剣だ。
「……憑依したときにも思ったが、おぬしは薄ら気味悪いな」
「えっ、ストレートに悪口言われてる?」
「おぬしのその身体、脆 い粘土のようなスカスカさがあって……胎から生まれた肉っぽさがない。なんなんだ?」
「なんなんだ、って言われても……。俺の謎を増やすのは止めてくれよ。不安になるだろ」
ジェードから伝え聞いたときは褒められてたように思うんだけど。清らかで心地が良いとかなんとか。実際は違和感があったってことか?
「我は他の人間に憑いたこともあるし、リオンに入ったときもそう感じたことはなかった。おぬしのときだけだ。それに、いまおぬしを見て確信したが、ジェードの魔力が肉体の脆さを補 っているように感じる。一体それはどうやっているのだ?」
「どうって言われても」
「体液でもバカほど摂取しているのか? 与えているのはおぬしのほうであろうに」
「………………ノーコメント」
ジェードの魔力が俺の身体を補強しているというのは初耳だが、体液をバカほど摂取していることについては心当たりがなくはない。だが、赤いのを与えて白いのが返ってきてるなんて言えるか? 言えない。最低すぎる。
そしてふと、思うことがあってたずねた。
「俺の身体が吸血鬼に近づいてるのもそのせいなのかな?」
「さあ? 我もなんでもわかるわけではない。まあ、困ってないなら良いのではないか。キショイが……」
たまにリオンの言葉使いが移ってるんだよなぁ。しかも汚い言葉ばっかり。
「じゃあ、魔力をもらわなかったらどうなるんだ?」
「そりゃあおぬし、こうじゃろ」
ベクトルドは右手を伸ばし、花壇の土をつかみ取った。肥料と水分が含まれた土だ。
さらに、左手で足元の乾いた土を集めてすくい取る。
「こっちがいまのおぬしの肉体」
右手を握った。軟らかい土はぎゅうとひとまとまりの泥団子になる。
「こっちが、ジェードの魔力がない場合のおぬしの肉体」
左手を握ると、土塊 がぽろぽろさらさらと崩れ落ちた。
俺は、ぞわぞわと鳥肌が立つ自分の腕を撫でた。
「……これって、怖い話?」
手についた砂をはらいながら、ベクトルドは屋敷の二階の窓を見やる。
「ハヤトキはもっと、ジェードに感謝したほうが良いぞ。何をやっとるか知らんが、これからもバカほど体液をもらっておけ」
「う、うん」
(ヴィニの森でジェードと出会わなかったら……、どこかでやりとりを違えたなら……、俺って、もしかして……)
地面に溜まり、風に吹かれて消える砂を見ていた。
■ ■ ■
「あ、庭でベクトルドとハヤトキが話してる」
リオンが窓越しに庭を見下ろして言った。「何話すんだろ」と面白がっている。
ベクトルドは気まずそうにしながらもハヤトキと仲良くしたがっている。ハヤトキもベクトルドを嫌がってはいない。引き離しに行く必要はないだろう。
「そういえばさぁ、魔王って生殖が必要ない存在だから性欲そのものが薄くて、私ばっかり求めてしまってなんだか恥ずかしいんだよね」
私は思わず紅茶を飲む手を止めた。唇を濡らしただけのティーカップをソーサーに戻す。
「それは私に相談するようなことか?」
いまさっきまで政治の話をしていたのに、気まぐれすぎる。
「ハヤトキよりはいいかなって。なんか彼、くたびれた感じがするし性欲も枯れてそう。ジェードも苦労してるんじゃない? ふだんどうしてるの?」
「…………………特に何も」
「そんなことないでしょ。恥ずかしがらないで教えてよ」
恥ずかしがっているわけでもなんでもない。ただ……。
「……苦労してない感じ?」
その通り。この屋敷に枯れた井戸は存在しないのだ。
うなずきもせず黙っていると、それが返答として受け取られたらしい。質問をさらに追加してきた。
「毎日?」
また黙っていると、自分から聞いておいて「うわ」という顔をされる。
「毎日ではない。仕事で会わない日もある」
「それって、会う日はヤってるってことじゃん」
「仕事の話に戻そう」
「もういいよ、さっきので終わり。そんなことより教えてよ、なんかそういうコツを。魔族の発情のツボみたいなやつ」
「ない。おまえが誘えば奴はなんでも嬉しいだろう」
「そうだよ。喜んでくれるよ。でもキスとかハグとかで満足しちゃうの。その先は!?」
「知らん。本人と話し合え」
黒霧を喚び出し、自分とベクトルドの位置を入れ替えた。
「──ジェード?」
突然現れた私にハヤトキが目をぱちくりさせている。
「キッチンで予定があるだろう。準備はいいのか?」
「そうだった! やばい!」
早歩きで移動をはじめた彼についていく。料理はてんでだが、その準備を手伝うくらいのことはできる。
どうせ、いま書斎に戻ると友人の見たくないものを見てしまう気がした。できればよそでやってほしいが、あんな話を長々と聞かされるよりマシだ。
それに、ハヤトキの予定は定刻に始まり定刻に終わってほしい。夜の二人の時間のためにも。
……やましい気持ちは無い。
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『0-2 女神たち』での、行き場を失って腐るはずの魂が《復元》で生き延びると「苦労するよ~」と話していたことへの補足回です。
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