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会偶 (1)
「思いのほか早く終われて良かったですね」
頬を撫でる風がすっかり冷たいと感じるようになった十一月の夜、青木悠臣 は同僚の田口佑磨 と共に出張先の繁華街を歩いていた。
「絶対遅くなると見越しての泊まり出張だったのに優雅に居酒屋で晩飯までありつけて、ちょっと申し訳ないな」
大手食料品メーカーの本社に勤務する二人は、支社の応援とトラブル対応のため、昨夜急な出張を言い渡された。午前中に終わらせなければいけない本社での業務もあったため、息つく暇もなく業務を遂行し正午前の新幹線に飛び乗り車内で軽く昼食を済ませ、何度もトラブルの内容を確認してから支社に到着した頃にはトラブルは支社内で何とか解決に至ったとのことで拍子抜けしたものの、本社への報告の為詳細を確認するとその後は当初の予定通り時間までルート営業の応援にまわった。
「まだ余裕で帰りの新幹線あったのにな。田口くんは出来たら帰りたかったんじゃないの?」
新卒で入社五年目の田口はこの秋入籍したばかりだ。
「大丈夫ですよ、籍入れる前に三年同棲してたから今さら新婚て感じでもないし」
でも後で電話します、と営業マンらしい人の良さそうな顔ではにかむ。
「この後どうします?まだ九時過ぎだし、せっかくだしもう一軒行きます?」
「あぁ、そうだな。実は前からこっち来るたび気になってたバーがあって、時間出来たから行こうかなと思ってたんだけど」
一方、中途採用で入社六年目の悠臣は今年で三十三歳になるが、まめに連絡をしなければならない特定の相手は、今のところいない。
「マジっすか、いいっすね、俺も一緒に行って良いですか?」
「もちろん、むしろ付き合って貰えると俺も助かるよ」
悠臣と田口の年齢は六歳差があるが、お互い温厚な性格で人付き合いも上手いので歳の差はあまり気にならず、仕事は勿論、プライベートでも気を遣わずに自然体でいられる社内では貴重な相手だ。
目的のバーへ行くために地図アプリを使って駅前の大通りを並んで歩いていると、前方に人だかりが出来ているのが目に入る。
「なんすかね?テレビの収録とかかな」
「……いや、路上ライブだろうな」
「路上ライブ?」
「あぁ、ちょうどこの辺は路上ライブが盛んみたいで、と言っても俺も実際に観るのは初めてだけど」
人だかりに近付くと微かに聴こえていた音がようやくはっきりと耳に届いた。
「しかも凄いのがこの時間でもドラムもアンプもOKらしい」
悠臣の言葉通り、ちょうどドラムとシンセサイザーによって、ここは異国のストリートかと錯覚させられそうな幻想的な音の空間が生み出されている。
群衆の後方で立ち止まり、人々の視線の先を追うと、バンドはドラム、キーボード、ベースにギターが二人の計五人編成のようだ。
その中でも一際目を引いているのはバンドメンバーの中心に立っている二人いるギターの内の一人、ギブソンのレスポールを持った男だ。歳の頃は三十歳前後といったところだろうか、緩いウェーブがかった少し長めの髪の毛と、そこから時折覗く切れ長の瞳は同性の目から見ても色気がある。
男がドラムとキーボード、それぞれに向かって拍手を送ると観客もそれを真似て拍手をする。その様子に笑顔で一礼すると男は徐にネックを握り直し、バンドメンバーと観客の間に置かれたエフェクターボードの前まで出て来ると軽やかにエフェクターを足で操作し、唐突に繁華街の喧騒を切り裂くような歪んだギターの音色を鳴り響かせた。
――なんて音、出しやがるんだ。
ついさっきまでのメロウでおしゃれな雰囲気から一変、ロックなギターに待ってましたとばかりに観客から歓声が上がる。
ボーカルはいないようで、どうやらインストゥルメンタル・バンドのようだ。だけどそれもこのギターの音を聴けば納得だ。下手なボーカルよりよっぽど歌っている。
ブルージーかつスモーキーなギターソロをたっぷり披露してくれた後の聞き覚えのあるワンフレーズに悠臣は思わずほくそ笑む。ジミ・ヘンドリックス・エクスペリエンスの『Third Stone from the Sun』だ。更にはオールマン・ブラザーズ・バンドの『Whipping Post』、レッド・ツェッペリンの『Heartbreaker』といった名曲のリフを上手く繋ぎに入れてくる。
――知らないだけで、何処にでもいるもんだな、似たような奴。
目の前で繰り広げられる音の攻防、足を止めて聴き入る人もいれば目もくれず足早に通り過ぎる人など様々でリアルな反応、ストリートならではの時折混じる車やバイクの排気音に信号機の音、そして何より、この瞬間を誰よりも楽しんでいるバンドのメンバー。
ふと過ぎ去った日々が頭をよぎり悠臣は懐かしく思った。いつもならもう少し苦い記憶として思い出していたのに。
――良いもの観せて貰ったな。
ライブが終わり、聴衆に向かって礼をするメンバーにそんな気持ちを込めて悠臣は心からの拍手を送った。
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