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最終話・再生 (2)
初めてスタジオで合わせた時と同じように珍しく緊張感に襲われた悠臣は、寒さもあってかじかんだ指先を温めようと擦り合わせる。右手の中指を他より念入りにマッサージしていると、それに気付いた尚行が悠臣の手に自分の手をそっと重ね、すぐに離した。
「大丈夫、……もし悠臣が途中で止まるようなことがあっても俺らなら途切れることなく音繋いで、悠臣が戻って来るの余裕で待ってられるし」
深刻ぶるわけでもなく、いつも通り飄々と、当たり前のようにそう言って隣にいてくれる。そんな尚行に出会ってから悠臣はどれだけ救われて来たか。
今度は自分が返す番だ。
「そうだな」
もう迷いはない。
尚行と、Southboundのメンバーとならありのままの、理想の自分でいられる。
顔を上げて前を向くと機材のセッティングを終えた啓太と歩が音を出し始めた。恭一が振り返って悠臣と尚行に目で合図をする。二人が同時にそれぞれの持ち場へ付こうと歩き始めると、Southboundのライブを心待ちにしていた人の輪が更に大きくなった。
「……やべぇな、ちょっと人集まり過ぎかも」
苦笑いを浮かべてはいるが尚行の声は嬉しそうだ。
「警察のストップかかるかもな」
「それはここでやってる以上仕方ないけど、悠臣が入ってからの待ちに待った初ライブ、少しでも長く演りたいからさっさと始めるか」
ギターアンプの側に無造作に置かれていたギターケースからヴィンテージのレスポールを手に取りストラップを肩に掛けると尚行の表情は一瞬でSouthboundのフロントマンの顔に切り替わる。その様をすぐ隣で見られる喜びを悠臣は改めて噛み締めていた。
会社の出張でこの街を訪れこの道を通り、偶然遭遇した路上ライブからちょうど一年後、まさか自分がSouthboundのベーシストとしてこの場所に立つなんて。更にはそのライブで目も耳も、心までも魅了された相手と、それも男と自分が付き合うことになるとは、当たり前だが想像もしていなかった。そんな自分を俯瞰で見ると何とも可笑しくて笑ってしまいそうだが、こうなってみれば他の可能性なんてもう、何一つ考えられない。
尚行は一歩前に出ると集まってくれた大勢の観客を端から端までゆっくりと見渡してから深々と頭を下げた。そして一年前のあの夜と同じように、尚行の歪んだギターの音が鳴り響くと待ち侘びていた観客からは拍手と歓声が上がる。その光景を尚行の背中越しに見た悠臣は、ライブはこれからだというのにすでに胸が熱くなり、込み上げて来るものがあった。
――最高だな。
全員の音が合わされば不思議とライブ前の緊張感は無くなり、いつもより心も指も軽やかで、ここが自分の居場所だと思える。尚行が、メンバーがずっと守って来たこの場所をこれからは共に守っていく。心の底から守りたいと思えた大切な存在と自分自身を、もう二度見失わないように。
悠臣のベースを尚行のギターが追いかけ、二人の音が重なり混ざり合い奏でられる新たな音楽 は今ここから、始まったばかりだ……。
《完》
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