1 / 4
タイムスリップ(1)
……気付いた時、俺はゴツゴツとした岩場のような道を歩かされていた。
両手両足を太い手錠のようなもので固定され、長い鎖で前後の人間に繋がれている。その誰もが背中を丸めていて、振り返って見た真後ろの男の無表情で生気のない顔にゾッとして思わず立ち止まってしまった。
「くぉら!てめえ立ち止まんな!」
「ひっ!」
大男が鬼のような形相で俺を怒鳴りつけた。その頭には角が生えている。赤みを帯びた顔をこちらに近づけて鞭のようなものをビッと鳴らした。
「こら、駄目だ。無傷で引き渡すのが決まりだ。……どんな悪党であってもな」
反対側にいる別の大男が冷静にたしなめた。その男の肌は青みがかっていて、頭にはやはり角が生えている。
こいつらは鬼だ、と思った。『鬼』という生き物。
だが、昔話でよく見るような、四角い顔にモジャ頭、虎柄パンツ……といった出で立ちではなく、どことなく人間に近く見える。ただ肌の色と角が異質で、やたら背がデカイだけ。
「お前ら歩け!」
青鬼の号令に、ノロノロと隊列が動き出す。赤鬼に乱暴に背中を押され、俺も歩みを再開した。
鎖で繋がれた俺たち人間は、鬼たちに見張られながらどこかに向かっている。
……ここはどこだ?どこに向かってる?一体なぜ、ここに?頭にモヤがかかっているようで、思い出せない。
というか、俺は誰だ?
名前すら思い出せないなんて、有り得るか?思い出せ、思い出せ……!
せ、せ……確か頭に『せ』が付いてた。は、は?いや、『は』だったかも。
せ、は?せは?はせ?なんだそれ?
『はると』
ポンッと頭に名前が浮かんだ。そうだ、陽翔だ!陽翔。
せやはると。
瀬谷陽翔!
名前を思い出した途端、冷えていた体に熱が灯った。冷えていたことすら認識していなかったが、急に血流が良くなったようで、全身が発熱している。
みるみる力がみなぎり、今なら逃げ出せそうな気がする。
……が、両脇で目を光らせている大鬼たちを見て意気消沈する。力では絶対に勝てそうにない。
ゴツゴツした岩場の道から、やがて広い場所に通された。
その中央奥に、見上げるほどのこれまた大男が鎮座している。その両脇に大小様々な鬼が囲み、厳しい目でこちらを睨んでいる。
「二十四番組、到着でございます」
俺たちを伴ってきた赤鬼・青鬼が大男に向かって声を揃え、深々と頭を下げた。
「うむ」
たった一言。一言なのに、大男が発した声で空気が震え、地面が細かく振動した。
一緒に歩いてきた男たちがヒーーッ!という叫び声を上げ、ひれ伏した。
「どうかお助けを!」
「ご慈悲を!」
「どうか、どうか……!」
皆、地面に額をすり両手を擦り合わせ、口々に嘆願している。
「くぉら!てめえも頭を垂れろ!」
「わ、わかったから押すなよ」
後ろから赤鬼に頭を押され仕方なく膝をつく俺に、青鬼が「……ん?」といぶかしげな視線を送った。
「では、この者たちの沙汰を言い渡す」
懇願にこれっぽっちも耳を貸す様子もなく、中央に座する大男が言葉を発した。
やはり空気がビリビリする。この大男には相当な圧がある。
大男の隣に立つひょろっとした鬼が、紐で綴じた帳面をめくり、話し始めた。
「二十四番組。田中三郎、焦熱地獄。佐藤太郎、賽の河原……」
呼ばれた男たちは、ヒー!とかギャー!とか叫んだあと、力なく立ち上がり、出口を出ていく。
……なんかここがどこかわかってきた。わかった途端、体が震えだす。
ここは地獄だ。
そして、目の前にいる大男は閻魔大王。現世で罪を犯して死んだ者たちを裁いているのだ。
俺が何をした?何もしてない!ただの高校生なのに!
学校から帰宅して、スーパーに夕飯の買い出しにいかなきゃ、ってなって。危険運転の車にひかれそうになった子供を助けただけだ。
ドンッ!と車に当たった衝撃と、地面にぶつかった体の痛みを思い出した。
俺は、死んだのか……?
人を助けただけなのに、何故地獄に来る必要がある?悔しくて涙が滲んできた。
「……以上。7名の沙汰である」
という、ひょろっとした鬼の言葉に我に返った。連なってきた男たちは誰もいなくなり、俺はひとり座っている。
「ちょいとお待ちを!ま、まだ1名残っておりますが」
慌てたように赤鬼が言った。
ひょろっとした鬼が帳面をめくり「7名全て沙汰を言い渡しておるが?」と言った。
「いえ、8名でございます。引き渡しの時より数えましたところ、8名おりました」
青鬼が冷静に、だが言葉の端に焦りをにじませて言った。
「7名であるぞ」
「8名でございます」
ひょろっとした鬼と青鬼の問答に、閻魔大王がわずかに身を傾け「ふむ」と声を漏らした。
それだけで鬼たちの緊張感たるや。サーッと空気が冷え、二人は口をつぐんだ。
「お主、立ち上がり顔をよく見せてみよ」
閻魔大王の言葉にその場がシーンと静まり返る。後ろから赤鬼が俺の両脇を掴んで立ち上がらせた。
「おら、立てって仰ってるだろうが!」
「は、はいはい」
両足をしっかり踏ん張って立った。
座ろうが立ち上がろうが、変わらず山のように大きな閻魔大王の視線を受け、手に汗がにじむ。
すごい威圧感。怖い……。
「お主、何か言いたいことはあるか?」
閻魔大王の地を揺らす低い低い声。
緊張で喉が張り付く。けれど勇気を振り絞って口を開けた。
「俺は、何も悪いことしてません。事故に遭ったのも、ただ人を助けただけです。俺はただの高校生です。ここに来る理由なんてありません!」
ここにいる数多の鬼たちが驚きの声を上げ、ザワザワと騒いだ。異様な物を見る目。こっちを見て後ずさりする鬼もいる。
左横にいる青鬼がチッと舌打ちした。
閻魔大王は興味深そうにやや前のめりになった。
「お主、生気に満ち溢れておるな。確かにここに来るべきではない。……お主は罪人ではない。ましてや死人でもない」
やっぱり!!
心の底から安堵感が溢れてくる。踊り出しそうなくらい嬉しい。
どこか勘付いていたところがあるのか、青鬼は「やはりか……」と悔しそうに呟きこぶしを握った。
赤鬼は俺の後ろで「やっべえ……」と呟いている。
「まれにあるのだ、生きたまま迷うた魂が誤ってこちらに来ることが」
閻魔大王は背もたれに寄りかかり、眉間を指でつまんでフーーッと息をはいた。その息が辺り一面に風になって通った。
寒いわけじゃないのに、辺りの鬼たちが震え始める。
隣の青鬼も緊張した面持ちで、青い肌をいっそう青くしている。
閻魔大王は眉間をつまんでいた指を肘置きに置き、トントン、トントン、と叩いた。
地響きとなってこちらにも伝わる。
「お、俺たちはただ連れてきただけだ!悪いのは門番たちで……」
「黙れ、朱殷 !」
焦って弁解する赤鬼に向かって、青鬼が止めるも時すでに遅く。閻魔大王はこぶしを握ると、肘置きをダーン!と叩き怒鳴った。
「馬鹿者がー!!」
ヒーッ!とたくさんの声なき声が響き渡り、地震や突風などありとあらゆる衝撃が飛んできた。
「うわっ!」
飛ばされそうになるも、真後ろにいた赤鬼が壁となり助かった。
赤鬼を含む大鬼たちは風圧に若干後ろに引きずられるだけで済んだが、小鬼たちはひっくり返ったり尻もちをついたり。中には目を回しているものもいる。
「水鏡を持て!」
なおも響く閻魔大王の怒声に、大小さまざまの鬼たちが駆けだした。
やがて閻魔大王の前に装飾のついた大きなタライ状の入れ物が置かれた。
「間に合えば良いが……」
不穏な言葉を口にしながら閻魔大王が水鏡に手を浸す。
「この人間の名は!?」
俺を連れてきた赤鬼・青鬼に問うが、二人とも目を見合わせるだけで言葉を発せない。きっと知らないのだ。当然だろう。帳面にも書かれてないのだから。
「あ、あのっ、瀬谷陽翔 です!」
俺の言葉に、ザワッと驚きの声が上がった。
「死した日はわかるか?」
『死』という言葉に胸がズキッとするが、俺は口を開いた。
「……事故に遭った日は、2016年5月16日、です」
「ほう。さすが生気溢れる人間だ。名だけでなく死去日まで把握しておるとは。お主も一緒に覗くがいい」
「はい……」
閻魔大王に導かれ、水鏡を覗き込んだ。
閻魔大王がくるくると水をかき回し手を抜くと、水の中にとある景色が映り始めた。
上から見下ろす形だが、見覚えのある風景。事故に遭った場所。
「あ、俺だ」
通りの手前から俺が歩いてくる。通りの向こうから危険運転の車が急スピードですっ飛ばしてくる。俺が車に気付き、近くにいた子供を抱きかかえて……。
「……っ」
事故の瞬間は見れなかった。怖すぎて。両目をギュッと閉じて、水鏡のフチを力いっぱい握った。
「しばらくは、生きておったのだな」
閻魔大王の若干温かみのある声に薄っすら目を開けると、担架で救急車に乗せられていく自分が見えた。
フッと水鏡の映像が消えた。
「ふむ、それならば安堵したぞ。ワシの権限でお主の魂を現世に結び付けておこう。お主の好きな時に戻してやれるぞ。ただし、肉体年齢と精神年齢は死した時と同じとなる。過去は無限にさかのぼれるが、未来にはゆけぬ。よいな?」
「は、はい」
突然色々なことを言われて少し頭の中が混乱した。
「ワシであれば、事故に遭う直前に戻るが。どうだ?今の記憶を残せば、お主は事故に遭わずにいられる」
「はい、そうですね……。あ、でも、俺が男の子を助けなかった場合、その子はどうなるんですか?」
「しばし待て」
そう言って、閻魔大王は水鏡に手を入れてくるくると回し、中から長い紙を取り出した。
「これによると……子は長生きする、とある。大人にはなれる」
歯切れの悪い閻魔大王の言葉に不安が募る。
「事故に遭うのに、何ともないんですか?まともに車にぶつかりますよ?」
「何ともないわけではないが、お主は聞かぬほうがよかろう」
「教えてください!」
ハァ……と閻魔大王がため息を漏らした。どこからともなく地響きが聞こえる。
それが閻魔大王から発せられてる振動だということはすぐにわかった。イライラしているようだ。
「おい、お主ら。これを」
閻魔大王は赤鬼・青鬼に向かって紙を差し出した。
「は、はいっ」
二人は慌てて近づき、赤鬼がうやうやしく紙を受け取った。
「この人間を現世に戻すことを赤鬼、お主に任せる。丁重に送り返せ。くれぐれも失敗なきようにな。青鬼、しかと監視をしろ」
「はっ、承知いたしました」
二人とも深々と頭を下げた。
「生気溢れる人間よ、くれぐれも選択を誤らぬようにな」
閻魔大王の言葉を背に、俺たちは元来た岩場の道を進んだ。
乱暴に筒状に丸めた紙を持ち、赤鬼が先導する。
「あーめんどくせー!何で俺様がこんなことを!」
「シッ、朱殷 、口を慎め。まだ閻魔様の目が届いている」
後ろについている青鬼が小声で注意した。
赤鬼がビクッと背中を震わせる。
「あー、いや、冗談冗談!張り切って送ってこうぜ!」
白々しい赤鬼の背中を眺めながら俺はため息をついた。
「……で、結局事故の前に送るってことでいいんだよな?」
おどろおどろしい雰囲気の門の手前で立ち止まると、赤鬼は振り返った。
門の両脇には厳つい鬼が立っていて、罪人とおぼしき人間たちがぞろぞろと入ってくる。皆、一様に生気のない顔をしている。
改めてゾッとして、ゴクッと喉を鳴らした。
「おい、聞いてるか?」
赤鬼の言葉にハッと我に返る。
「あっ、そうだ、その紙見せて?」
助けた子の行く末がどうしても気になる。きっと未来が書いてあるのだ。それを見て判断したい。
「……余計なことを」
青鬼が後ろで呟く。
「ほらよ」と、赤鬼にクシャッと握りつぶされたような紙を渡された。
それを開くも……。
「読めない……」
文字がミミズのはったような形というか、アラビア文字?みたいで全く読めない。
「これなんて読むの?読んで」
赤鬼に差し出すも、「あぁ!?めんどくせー!」と拒否された。
「おめえ、俺様にこれ全部読めってか!?」
「助けた子がどうなったかのくだりだけでいいよ」
「貸せ、時間の無駄だ。読んでやる」
青鬼が後ろから紙を奪い、読み始めた。
「お前が助けた場合、子供はかすり傷と軽い打撲で済む。助けなかった場合は……」
間が不安感を倍増させる。
「……脊髄損傷で半身不随になる、とある。だが、命に別状はない」
「そっ、そんな…!」
たとえ命に別状はなくても、半身不随なんて酷すぎる。可哀相だ。
「助けてやろうなどと思わないほうがいい。助けた場合、お前がどうなるかも教えてやる」
突き放したような青鬼の声。きっとあまりよくないことが書いてあるのだ。
「うん、教えて」
「全身骨折による歩行困難、脳挫傷による言語障害、それから……」
「そ、それってホント!?」
サーッと血の気が引いた。
「魂が肉体から離れてこんなところまで飛んでくるくらいだ、そのくらいのことはあってしかるべきだろう」
青鬼の言葉を受けて赤鬼がハッハッハと笑った。
「確かに!まともにぶつかってたもんなあ!普通、助けるにしてももっと避けるだろ」
水鏡での事故映像を見ていたのであろう、「どんくせー!」と指を差して笑う赤鬼を見てるとムカムカしてきた。
「で、でも、今度はちゃんと二人とも無事で済むかもしれない!」
あの事故の直前に戻れるなら。
そんな淡い希望も、青鬼に鼻で笑われ砕かれた。
「それは無理だ。お前が子供を見捨てるか、見捨てないかだ」
「そ、そんな……」
──続く──
ともだちにシェアしよう!