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第7話 感情に噓はつけない
浅瀬を揺蕩うような心地良い微睡から目が覚めたのは、ふわりとかけられた毛布の重みを感じだからだ。
ぼんやりと目を開ければ、マテウスの方へ手を伸ばしかけているアイザックの姿が目に入った。
「アイク?」
そう呼びかけると、アイザックは伸ばしかけていた手をさっと引っ込めた。
心なしか後ろめたさがあるような態度だ。
「起こしてしまいました?」
「いや、大丈夫だよ。いつの間にか寝てしまっていたね。すまない」
「いえ、俺もさっきまで寝ていたんです。気持ち良く寝ていらしたので起こすには忍びなく、それを持ってきたところでした」
「そうか。片付けまでさせてしまってすまないね。もう遅くなったけど、これでお暇するよ」
テーブルの上にあったものは綺麗に片付けられ、すっかり世話になったことがわかる。
この邸にアイザック以外は住んでおらず、陣が至るところに設置されて使用人の代わりになってくれている。
陣の上に置けば皿が自動で綺麗になるとはいえ、そこまで皿を持っていくのはアイザックだし、そもそも趣味とはいえ料理を作ってくれたのも彼だ。
これ以上、迷惑をかけるわけにはいかない。
立ち上がって身支度をしようとすると、手を引かれてソファへと逆戻りした。
「アイク?」
「帰らないでください」
マテウスを見るアイザックは捨てられた犬のような哀愁漂う顔をしていた。
何がそんなに悲しいのか。
マテウスが寝ている間に何があったんだろうか。
「どうしたんだい?」
「離れたくありません」
首を嫌々と横に振る姿はまるで駄々っ子だ。
アイザックは酒に強いはずだが、珍しく酒に酔っているのかもしれない。
マテウスは彼の両手を握り返し目線を合わせた。
「二度と会えないわけじゃない。また週明けに会えるだろう?」
「足りないです。俺は一日中ずっとマテウス先生と一緒にいたい。そのために魔術師の塔から学院に来たのに、ギャラリーはうるさいし校舎が離れているから授業の準備をしながら話すこともできない。ゆっくりマテウス先生を独占できるのはここでご飯を食べるときくらいだし、それも週に三回しか機会がない。あの召喚の儀から今まで、俺はずっとマテウス先生不足なんです」
アイザックが怒涛の勢いで話し始めたその内容は、聞く人が聞けばまるで彼がマテウスに恋をしているようなものだ。
誰かと間違えていないかと思ったが、アイザックはちゃんとマテウスの名前を言っている。
これは、どう受け取れば……。
「あ、アイク……」
延々と続きそうなそれを名前を呼んで止める。
でも、次にかけるべき言葉が浮かばない。
マテウスの口ははくはくと動くばかりだ。
「好きなんです。愛しています」
アイザックは真剣な眼差しでマテウスを射抜く。
そこに泥酔や悪ふざけの色はなく、ただただマテウスが愛しいと訴えている。
そして、僅かに仄暗い情欲も揺らめいていた。
ただそれも一瞬、はっと正気に戻った彼は、くしゃりと苦痛に顔を歪めて下を向いた。
マテウスは突然の彼の告白に戸惑うと同時に、なぜかとても胸がドキドキして顔が熱くなった。
アイザックの悲しそうな顔には確かに弱い。
だから、彼がマテウスの食事の手伝いたがったとき拒否できなかったし、夜のこの食事の時間だって一緒に過ごすようになった。
でも、それだけじゃない。
瞬きの一瞬に向けられた性欲を不快だと思わなかった。
それどころか、僅かな情欲に煽られて体が昂っている。
その答えは単純明快だ。
マテウスはいつのころからか、十以上も歳の離れた彼に絆されていたらしい。
つまりはそういうことだ。
歳の差だとか、貴族と平民の身分差があるとか、当代一の魔術師とただの魔術教師だとか、考えることは色々ある。
けれど、感情に嘘はつけない。
「アイク、アイザック。顔を上げて」
「嫌です。あなたの軽蔑した顔を見たくない」
「僕がそんな顔していると思うのかい?」
「だって……」
「ほら、自分の目で確かめてごらん」
躊躇いののち、アイザックはそろそろと顔を上げた。
「あ……」
おそらく願望の中でしか見られないと思っていたんだろう。
マテウスの顔を見たアイザックは、それはそれは驚いた顔をしていた。
「アイク、僕も君が好きだよ。こんなに長い間待っててくれてありがとう」
「マテウス先生……」
「泣かないで。なんの取り柄もないけど、ずっと一緒にいるよ」
頬を伝った涙を指で拭ってあげると、今度は嬉しさにくしゃりと笑った。
「いえ、マテウス先生は僕より凄いです。知っていました? 王都での魔力暴走事故、マテウス先生が教鞭を取った生徒が卒業し始めてから格段に減ったんですよ」
「それは偶然だろう?」
「いえ、魔力暴走を起こした人の中にマテウス先生の教え子は誰一人いません。あなたが魔術師コースに進む進まない関係なく、すべての学生に魔力操作の重要性と技術を教えていたからこその成果です。その功績にマテウス先生の名前が残ることはありませんが、僕の発明より偉大なことです。そんな風に卑下しないでください」
いつものように、いやいつも以上に饒舌になったアイザックは生き生きとマテウスを褒め称える。
ストレートな物言いはマテウスの胸を熱くさせた。
「ありがとう。なんだか照れるね」
「顔が真っ赤。可愛いですよ」
「おじさんに向かって可愛いはやめてくれ」
まさか四十も過ぎたおっさんに可愛いなんていう酔狂な人がいるなんて考えもしなかった。
色恋なんて二十年近く前に儚くなった妻以来だし、聞き慣れない口説きにじわじわと顔が熱くなる。
「まだまだおじさんには見えませんよ。例えおじいさんの歳になっても可愛いとは思いますが」
そんなマテウスにアイクは先ほどと打って変わり、嬉々として追い討ちをかけてくる。
こんなに赤面させてどうしたいのだろう。
「マテウス。今日は帰しませんよ」
「帰らないよ。僕を離さないで」
「っもう、煽らないでください」
「え?」
歳上の威厳にかけてどうにか言葉を搾り出せば、それのどこがアイザックの琴線に触れたかはわからないが突然横抱きに抱えられた。
無言のまま彼は二階の階段を上がり、とある部屋に連れ込まれた。
思うに彼の寝室なんだろうが、マテウスはそこに何があるかとか見る暇もなくベッドに押し倒された。
「あなたを抱きます。いいですね」
マテウスを見下ろすアイクの目はまるで獣のようにギラギラとしていて、情欲の衝動を極限まで我慢しているようだった。
彼の長い片想いを思うとよく襲わなかったなと感心すると同時に申し訳なくもあり、そしてこの上なく嬉しかった。
「抱いて。全部アイクのものにして」
気持ちをそのまま伝えれば、噛み付くようなキスをされた。
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