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第6話 食堂の乱
そんな気持ちを返してほしくなったのは翌日の昼のこと。
「マテウス先生、一緒にご飯食べましょう」
教師と学生が利用する平民科の食堂に、アイザックは変装もなしに現れた。
食堂はそりゃあもう大変な騒ぎになった。
食事どころではなくなったのは言うまでもない。
アイザックには尊敬と憧憬の視線が、僕には驚愕と嫉妬の視線が突き刺さる。
古参の教師はマテウスがアイザックの元担当教師だと知っているからそうでもなかったが、知らない教師や生徒からの当たりは強かった。
食堂の料理長の怒号で食堂は落ち着きを取り戻したが、マテウスはなぜかアイザックとともに学院長から叱られた。
そしてその日の午後には、次の日からアイザックは平民科の食堂で食事をとることが知らされた。
家に帰ると、昼の出来事を遠目に確認していたジェイコブが「父さん大注目だったね」と茶化してきた。
アイザックに会わなくていいのかと聞けば、会いたいけれど面倒事に巻き込まれたくないからと落ち着くまでは待っていると答えた。
大雑把なくせして要領がいいのはやはり母譲りだ。
前日の宣言通り、アイザックは瞬間移動で聖堂にいるマテウスのところにやってきた。
あの視線を受けるのは憂鬱だけど、アイザックと話すこと自体は楽しみだ。
マテウスが我慢すればいいだけのことで、それだけのためにこの時間をなくすのはもったいないと思った。
そして和気藹々と話しながら訪れた食堂には、なぜか貴族科の教師たちが一部区画を陣取っていた。
貴族科と平民科の棲み分けはどうしたのだろと疑問符が頭の上に浮かんが、アイザックがこちらにいる時点で当然のことだと察した。
彼らからアイザックに同席の申し出を受けたが、アイザックはそれを丁寧に断った。
マテウスに突き刺さる視線の鋭さが増したのは言うまでもない。
それでも日に日に貴族科の教師は増え、ついにはコネを使って貴族科の学生もこちらに来るようになった。
平民科からのギャラリーも比例して増えて、マテウスはもうどうしたらいいかわからず何も対処することができなかった。
このどうにもならない状況が動いたのは新学期が始まって一週間後だった。
「マテウス先生。ほら、あーん」
「う、ウェルズリー先生?」
「ん?」
マテウスの目の前に差し出されたのは、コーンポタージュを掬ったスプーン。
カップに入ったものは火傷しそうなくらい熱いが、このスプーンのものはアイザックが息を吹きかけて冷ましていたからちょうどいい温度だと思う。
ただ、なぜマテウスにそれを差し出すのかがわからない。
「僕は大人ですし、ここは食堂です。そんなことされるのはちょっと……」
「迷惑でしたか?」
まただ。
しょんぼりとした顔をするものだから可哀想になってくる。
これは食べるしかないのか。
周囲がざわつく中、マテウスは恐る恐るそのスプーンに口をつけた。
(あ、美味しい。温度もちょうどいい加減だ)
いつも食べているコーンポタージュなのに、このときはなぜかとても美味しく感じて、その美味しさにしんっと静まった周囲には気付かないまま、アイザックに差し出されるまま食事を続けたのだった。
それから、アイザックからスプーンを差し出されて断ろうとするたびにとても悲しそうにするものだから、マテウスは彼から差し出されたスプーンに口をつけるようになった。
あるとき、歳には勝てずギックリ腰をした以降は、腰を悪くしないようにと、アイザックの膝の上に乗せられてしまい、ずるずると今に至っている。
学院の他の人間はというと、マテウスがアイザックから差し出されたスプーンを口に付けたときから、悪意のある視線を向けられることはなくなった。
純粋な驚き、戸惑い、呆れ、だろうか。
それから次第にマテウスに同情するような、アイザックを残念なものを見るような視線へと変わっていった。
アルカイックスマイルを貼り付けた顔をしたジェイコブからは、無言でポンと肩を叩かれたこともある。
状況がよくわからなかったが、周囲が静かになったことはマテウスにとって好都合だった。
加えて、これを機に貴族科と平民科の食堂が共用になった。
アイザックが平民科の食堂に入り浸る余波で、昼休みは貴族も平民もごちゃ混ぜになっていたし、満席で食事を取れない学生が出てきた。
それでは区域を分けている意味がないと、従来の食堂を取り潰し、それぞれの敷地に跨るように食堂が新設された。
アイザックがマテウス以外の人間と相席は拒んでもその人気は衰えず、遠目でも一目見たいと思う生徒は後を絶たなかった。
特に魔術師コースを目指す新入生からの視線は、その珍しさに興味津々なことが隠されていなかった。
そうして、同僚という新しい形で始まったアイザックとの関係は、もう七年になる。
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