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第1話 帰路

 雲間からもれた薄日が白い息を浮かび上がらせる。  午後だというのにさして気温も上がらず、狩衣で出歩くには寒すぎる。  本当なら昼過ぎには帰れていたはず。  それがこの時間までかかったのは、時間外労働のせいだ。  俺は三善佐吉。  公には三善と名乗っているが、本当ならとっくの昔に行き倒れているはずのただの孤児だ。  それを、当主の行平様のご厚意により養子にしてもらい、三善を名乗っている。  俺はまだ乳飲子だった頃、女郎蜘蛛という強い妖に攫われ、喰われる寸前だったらしい。  そこに女郎蜘蛛調伏の命を受けた行平様が現れ、俺を助けてくれたそうだ。    俺を取り返そうとした両親はすでに殺されていた。  どこの誰とも知れない親子だから、俺の引渡し先もわからない。  唯一わかったのは、産着に縫い付けてあった『佐吉』という名前だけ。  おまけに妖を惹きつける体質で、強い霊力を持った俺を放っておくわけにはいかない。    そういうわけで、俺は三善家に迎え入れられた。  行平様の息子で俺と同い年の幸成とは差別なく育てられ、物心つく頃から陰陽師になるため、修行の日々を送ることに。    幸成は流石行平様の息子と言うべきか、調伏が得意だ。  どんな妖相手でもあっという間に調伏してみせる。  対する俺は、体質のせいか標的以外の妖も相手にしなければならず、調伏に手間取ってしまう。  行平様からも調伏の腕は人並みで、加えて戦闘向きではないと告げられている。  その代わり星読みと星占術が向いていると助言を受け、その方面を勉強していった。  元服を迎えると、俺も幸成も陰陽寮に出仕することになった。  俺は星読みと星占術を業務とする星見台に、幸成は行平様と同じく調伏部隊に配属され、それぞれの道を歩み出す。  それを機に、俺は三善家から独立しようと思っていた。  どこの誰とも知れない俺を、成人まで、実子の幸成と分け隔てなく育ててくれたんだ。  これ以上迷惑はかけられない。    貯めていた小遣いで陰陽寮に程近い長屋を契約し、調度品も買い揃えていたけれど、三善家全員から猛反対を受けた。    曰く、貴族同然に生活してきた俺に今更庶民の生活が送れるわけがない。  曰く、修行に明け暮れて家のことをしたことがないのに、仕事をしながら家を回していけるわけがない。  曰く、あっという間にどこぞの貴族から手籠にされてしまう。  最後のは理解できなかったけれど、はじめの二つは耳が痛い話だ。  それでも独立したいと熱弁したところ、折衷案として三善の敷地内にある、使われていなかった離れで生活することになったわけだけど、これが大正解だとわかるまで三日も掛からなかった。  星見台は真夜中に星を読むため、勤務は夜が多い。  長屋に住もうものなら人々の生活音で寝られなかっただろう。  その点では、独立に反対してくれた三善家のみんなに感謝している。  そんな俺は星占術が良く当たると評判で、仕事とは別に依頼を受けるようになっていた。  相手は当然貴族。  彼らも仕事をしているため、その家に出向くのは仕事が終わった正午過ぎになる。  つまり、俺にとっては時間外営業だ。  今日は藤原家からの依頼だった。  京の都には藤原姓の御仁がやたらめったら多い。  どこどこの、と言われなければ邸にも辿り着けないのだ。  面倒なことこの上ない。  おっと、愚痴が過ぎた。    依頼は祝言の日取りを決めてほしいというもの。  俺は祝言を上げる二人の情報から占う。  これが申し訳ないことに明日のことで、それを知るや否や、彼らは俺をそっちのけで準備に取り掛かった。  呆然とする中、正気を保っていた下男から謝礼を貰い、豪奢な邸を後にしたんだ。  そして、今に至る。  時間外労働は面倒だけど、懐はびっくりするほど暖かくなるから止められない。  だけど、冬はとにかく寒くて敵わない。  太陽が真上にあるうちに早く帰りたいんだけどなぁ。    だと言うのに、童たちは幅広の道をいっぱいに使い、元気に毬打をして遊んでいる。  きゃらきゃらと笑う声は微笑ましく、寒いと思っていたのに、思わず足を止めてその様子を眺めた。  懐かしくて胸が温かくなる。  俺が三善の母屋にいた頃は、正月になると下男も下女も混じり、家族総出で毬打の元になった打毬をして遊んでいた。  三善家の人たちは男も女も関係なく運動神経が良い。  若く体力があり、すばしっこい俺でも、行平様から毱を奪うことはできなかった。  それが悔しくて、毎年正月になると躍起になって行平様に勝負を挑んだんだ。  結局、未だに勝てたことはないんだけど。  そして、残念ながら下っ端は正月も関係なく働くため、成人し出仕している今は正月の挨拶と食事もそこそこにお暇しなければならない。  一人で離れに戻り、星見をするために宿直の準備をする。  それがとても寂しかった。  だけど、今年は違った。  去年の夏から同居を始めた鬼の血を引く愛しい連れ合い。  彼が居てくれるから、母屋から帰っても一人ではないんだ。  その顔を思い出すと早く会いたくなって、俺は足早に帰路に着いた。  三善家の門を潜ると、幼い頃から俺の面倒を見てくれた下男、下女から次々に声をかけられる。 「佐吉坊ちゃん、お帰りなさい」 「ただいまです」 「ちょうどよかった。これ、朝市で安く売ってたの。今日の晩ご飯にどうぞ」 「ありがとう。うわ、でっかいブリ!」  差し出されたのは両手で抱えるほど大きなブリだ。  目が透明で新鮮だから、今夜は刺身かな。  ありがたくそれを受け取ると、俺はみんなに別れを告げて離れに向かった。

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