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第三章 イエス・ノー・イン・シンク②

 久しぶりに入った映画館は逆に新鮮で、上映されるのが過去作品のリメイク版ということもあり、ちらほらと見える客は三十代、四十代の男性を中心としてわずかに二十代が数名いる程度だった。  煙草の煙自体はあまり好きではなかったが、それを吸う男性の口元や指先の動きは妙に扇情的に思えるときもある。それが佳嘉ならばなおさらだった。  おそらく佳嘉の性格上、目の前で煙草を吸ってみてほしいと頼んでも了承はしないだろう。大切にされているという自覚はあるが、佳嘉のほうから越えられない透明な壁を作られているような気もする。  上映十分前になれば劇場内の照明は落とされ薄暗くなる。それから少し経ったあと、足元の誘導灯を頼りに佳嘉がようやく座席に入ってくる。 「お待たせ」 「おかえりー」  佳嘉がチケットを確認して座席に座れば、必然的に二人の間にポップコーンのバケツが鎮座することになる。  手を伸ばし、バケツの中へ手を伸ばし、ポップコーンを一粒取って、口に運ぶ。  その一連の動作の間、真生はずっと佳嘉の横顔を見ていた。  本編が始まる前の予告映像がスクリーンに流れると、佳嘉の眼鏡に映像が反射する。そのときの佳嘉の表情がとても柔らかいものに見えた。これから始まる映画を心待ちにしている少年のような――純粋な好奇心に満ちた眼差しに、胸が締め付けられるような感覚になる――だけど、それだけじゃ足りない。  気づけば手摺りに乗せていた佳嘉の手を両手で抑え、少し座席から腰を浮かせて、佳嘉の横顔に顔を近づけていた。  ただ何故だか無性に、佳嘉のことをもっと知りたいという衝動に駆られた。  その白くて細い首筋に、噛み付いてみたい。歯型を残して、自分だけのものだと誇示したくなった。 「……ほんとだ、煙草臭い」  鼻先を耳の下ぎりぎり、首筋まで近づければ微かに分かるメンソールの香り。  ちっとも甘くない、焦げ臭い大人の香りだった。  佳嘉はただ、真生を見ていた。少しだけ驚いたように。  誘っているのだと分かってほしくて、真生は佳嘉へ視線を返す。映画館が暗いのが悪い。嫌でもおかしな気分になってしまう。  佳嘉は真生の真剣な眼差しをじっと見たあと、ふいっと視線をスクリーンへ戻す。 「もう始まるから、ちゃんと座ってなさい」  まるで子ども相手に言うようなその言葉は、全く男として意識されていないという事実を嫌でも真生に突き付ける。  真生が大人しく座席に座り直すと、佳嘉は視線をスクリーンへ向けたまま片手をバケツへ伸ばす。そしてポップコーンを一粒取って、口に運ぶ。  その横顔には先程のような、期待に目を輝かせる少年の眼差しではなかった。  佳嘉の片手が再びバケツへ伸びて、ポップコーンを一粒取る。何気ない一連の所作の中で、真生はポップコーンをつまんだ佳嘉の手を上から握り込む。  それにはさすがの佳嘉でも手に動揺が表れ、痙攣のように指先がぴくりと動いたのは真生にも分かった。  真生は掴んだままの佳嘉の手を自分のほうへと引き寄せ、佳嘉が手に取ったポップコーンをそのまま口に含む。暗くて良く分からなかったが、どうやらいちごチョコのようだった。  甘酸っぱいその味を舌先で確認しながら、佳嘉の指に舌を這わせる。誘っているのだと伝わるように。  ちらりと上目遣いに佳嘉へ視線を向けると、佳嘉は静かに目線を向けていた。  そして片手で正面のスクリーンを指し示す。他の客の手前、声を出すのは控えたようだったがなにを言おうとしているのかは真生にも分かった。  ――前を見ろ。  本来の目的は映画観賞であり、そこに嘘偽りはなかったが、けんもほろろに扱われてしまうとほぼ無意識に両頬を膨らませていた。  もう間もなく予告も終わり、楽しみにしていた映画本編が始まる。不服を訴える真生の様子を見た佳嘉は、眉を落としはぁっと小さく溜息を吐く。  佳嘉は腕を引き真生が掴む手から逃れようとするが、真生が面食らったのは佳嘉がそのまま真生の手を取り、指を絡めて握ったからだった。  この佳嘉の対応には真生も度肝を抜かれ、ガタリと椅子から滑り落ちそうになるが、奇しくも映画本編の上映が始まってしまう。  佳嘉は再びスクリーンへ視線を向けるが、二人の席の中間に握った手を置く。真生はそれから指をぴくりとも動かせなくなっていた。  二時間の映画が、やけに短いものに思えた。
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