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アトリエの卯の花、雪花菜飯
「卯の花の匂う垣根に、時鳥~早も来鳴きて♪……ってあれ?瑠璃だけ?」
陽気に歌を歌いながら、ひなた叔母さんが縁側から声をかけてきた。
ちょうど洗濯物を干すために外に出ていた瑠璃がかけよってくる。
「あ……湊人くんはアトリエで絵を描いてて……。」
「あらそう?ならこれ、持って行ってあげて。」
そう言って手渡されたのは真っ白で小ぶりの花がたくさんついた枝の束だった。
「わ、すごい……!かわいい……!これは何という名前のお花ですか?」
「これはね、ウツギの花。さっき歌っていた、夏は来ぬの歌詞に出てきた卯の花ってこれのことなの。おからの別名も、この花に似ていることから卯の花って言うのよ。」
真っ白な花は、大きな真っ白い塊に見えるけれどもよく見るとその一つ一つが五つの花弁を持つ小さな花で構成されていた。はかなげで可愛らしく見えるが、一個ずつの花をよく見ると、生き生きとしてどこか強さを感じる、そんな花だ。
「湊人がね、絵の参考にしたいから持ってきてくれって。美術館の庭に植えてある花を剪定がてら持ってきてあげたのよ。」
「わかりました。でも……アトリエって勝手に入って大丈夫かな……。」
叔母さんが持って行ったほうが良いんじゃないかな……とつぶやくと叔母さんは首を横に振った。
「私たちは作家と学芸員の関係だからね。製作中のアトリエにはいかない。」
「親子なのに?」
「親子だからよ。より一層そういうところは気を付けてあげたいの。子供はどうしても親の顔色を窺っちゃうでしょ。だからこそ一個人として子供のことは敬意をもって接したいなって。」
「親の顔色……。」
自分の家庭のことを思い出して暗い顔色になったのを叔母さんは見逃さなかった。
「瑠璃も私の家族よ。あなたのことも大事に思っているの。どう?湊人と暮らしてみて。嫌なことはない?」
あの子……かなりマイペースでしょ……!と苦虫をかみつぶしたような顔をして言う叔母さんに思わずぷっと噴出した。
「確かにマイペースですね……!でも僕にはそれがすごく心地が良くて……なんでも先に動いてくれるし、物知りだし、優しいし、落ち着くというか、傍にいると安心できて……。」
その話を聞きながら、ひなたは心が色めき立つのを抑えられずにいた。
(おやおやおやまあ!これはこれはもしやもしや……!?)
「……うまくやってるようでよかったわ!瑠璃、私はあなたが四人目の息子だと思ってるし本当にそうなってほしいと思うの。」
「本当にってどういうこと……?」
「じゃあ、このお花、アトリエに持っていってあげてね。叔母ちゃん帰るわ。」
お花を瑠璃に抱かせると、ひなたはさっさと帰ってしまった。
そしてそのまま、帰宅した洋輔に「息子が一人増えるかもしれない」と発言し四人目の妊娠!?と旦那の腰を抜かすひと騒動を繰り広げた。
湊人のアトリエは、母屋の隣の小屋にある。かつては舟や漁業の道具などを置いていたらしいが、改装し、アトリエとして使用していた。
「湊人くーん……?」
外から呼びかけても返事はなかった。
瑠璃はアトリエに入ったことはなかった。なんとなく画家にとってはそこは聖域のような気がして、踏み込みづらかったのだ。
「ごめんなさい……!入ります……!」
恐る恐る扉を開く。するとふわっと、油の香りが広がった。
アトリエの中心には腰かけてキャンバスに向かう湊人の背中があった。
癖っ毛の髪を後ろで軽く束ねていて、それがまるでしっぽのようで可愛らしい。
集中しているようで、真剣に絵を描くその背中に声をかけるのは戸惑われ、終わるまで待っていようと近くの椅子に腰かけた。
湊人の絵は人物像の周りに植物や生物が配置されている作風のようだ。アトリエの中には、絵の参考にしているのであろう花や、ドライフラワーがたくさんかけられている。
繊細で緻密なその作品を真剣な表情で描いている湊人を瑠璃は初めて見た。胸の高鳴りが抑えられず、思わずぎゅっと目を閉じた。
「……瑠璃?」
はっと顔を上げると、湊人がこちらを向いていた。
「あ……!ごめんなさい勝手に入って……!叔母さんにこれを持っていくように言われて……!」
白い花束を差し出す。湊人は何も言わずにぼんやりとそれを眺めていた。
「湊人くん……?怒ってる……?」
恐る恐る聞くと、湊人は無言で首を横に振る。
終始無言のまま、何かを考えこむと「……ごめん、デッサンさせて。」
と突然鉛筆とスケッチブックを取り出し床に広げるとそのまま描き始めた。
「楽な姿勢でいいから……動いてもいいから……」
瑠璃は突然自分が描かれていることに戸惑いを隠せずに目を白黒させた。
「湊人くん……!?」
湊人の真剣なまなざしに射貫かれるように、あらゆる部位が観察されているのを感じる。湊人に見られたところから熱を持ってゆくように熱くなってくる。
「辰砂が……赤い顔料が肌の下を流れてるみたいだ。」
「恥ずかしいから……もうやめて……。」
「だめ、もっと描きたい。」
マイペースなうえにこの人はちょっと頑固かもしれない。
「何か話をしようよ。そしたら気が紛れるんじゃないかな。」
シャッシャッシャッとえんぴつの音がリズミカルに響く。
「その花、母さんが持って来てくれたんだよね?何が言ってた?」
「ええと……親だからこそアトリエには行かないんだって。湊人くんを尊重してるからって。……良いお母さんだね。」
「うん、良い人だよ。瑠璃のことも連れて来てくれたし。」
「え?」
びっくりして声を上げると、湊人も顔を上げて見つめる。
「……母さんから大体の話は聞いてるんだ。ごめん。」
「そ……そうなんだね、じゃあ色々恥ずかしいこともバレてるかな。」
あは、あはは……と笑うと湊人は顔を上げて首を振った。
「笑わなくて良いよ。恥ずかしくなんかないよ。俺がごめんって言ったのは瑠璃の話を瑠璃の口以外から聞いたから。」
真剣な表情で、湊人は丁寧に言葉を紡ぐ。
「瑠璃、俺は君が生きててよかったって思ってる。」
「僕はそう……思えない。」
花に顔を埋めて隠す。
「それでいい。瑠璃の思ってること、ちゃんと言葉にして。」
「僕は……湊人くんと違って何にもない……だからもういいやって思って……ゆっくり眠りたいなって思って……まだ、その思いは消えなくて……グスッ……ごめん、うまくまとまらない。」
湊人はうん、うんと話を聞いてくれた。
「空っぽになっちゃって……自分の中身がなくなって……どうしたら良いかわからない……。」
その話を聞いて湊人は考え込むと、ゆっくり話し出す。
「……ウツギも、空の木って書くんだ。枝が空洞になってて、空っぽのまま花をつけるんだ。」
「え……。」
抱きしめていた花を見つめる。生命力のある花々がめいいっぱい咲いている。
「空洞なのは理由があって、内側を空洞にした分の養分を、枝を伸ばすことに使うんだ。だから頑丈な枝になるし、こうやってたくさんの花をつけることができる。強くなれるんだ。」
「強くなれる……。」
「人間と花はもちろん違う。こじつけだって言われたらそう。でも、そういう姿に勇気をもらえることもある。綺麗事でも良いから、俺は綺麗なものを描く。」
シャッシャッシャッ、と湊人が鉛筆を走らせる音が響く。
ブレることのないその姿が、瑠璃にとってはとても綺麗なもののようにうつった。
家にも飾るから、と数本のウツギを抜き取り戻ってみると、縁側にボウルが置かれていた。叔母さんの字で「コレもあったの忘れてた」と書いてある。
中を見てみると真っ白い塊があった。
「おからだね。」
「おから?」
「そう、別名卯の花。この花に似ているからそう呼ばれてる。」
「あ、叔母さんも言ってた!」
「うん、母さんそういうの好きだからね。」
キッチンに持って行くと、湊人が出したガラスの花器にウツギを入れた。白い花が透明なガラスに反射して涼しげだ。
「さらにおからには他の呼び方もあってね。雪の花の菜って書いてきらずって読ませる。」
「綺麗……!」
「今日はその、雪花菜飯をせっかくだから作ってみようか。」
「きらずめし……?初めて聞いた。」
「うん、江戸の料理本に載ってるレシピだからね。」
「江戸!?」
「うん、江戸時代って印刷技術の発展によって庶民向けにいろんな出版物が出されるようになったんだ。その中でもいわゆるレシピ本は人気でね。今回はせっかくなので『名飯部類』という文献の中で紹介されている雪花菜飯を作ります。」
「そんな昔の料理もわかるものなの!?」
「うん、ちゃんと再現できるよ。」
瑠璃は湊人に言われた通りにおからを丁寧にこすと、フライパンで乾煎りをする。その隣で湊人は鍋で出汁を作る。
「こうやって並んで料理するの、俺すごく好き。」
肩が触れそうでドキドキしてしまっている瑠璃をよそに湊人は鼻歌を歌う。
「卯の花~の匂う~垣根に……♪」
「あ、それ叔母さんも歌ってた。」
「ゲ。」
でも湊人くん、ちょっと音痴かもしれない……!と密かに思ったが胸に秘めていることにした。湊人くんにも出来ないことがあるんだ……と微笑ましく感じながら。
出汁ができると、乾煎りしたおからをご飯に混ぜ、その上からかける。仕上げに出汁をとってから佃煮にした昆布と、梅干しを上にのせる。簡易的なお茶漬けのようなものが完成した。
「「いただきます。」」
二人で手を合わせて食卓を囲む。
「わ!なんか普通のお茶漬けと違って、舌触りがサラサラする、米とおからが別々な食感で面白いかも!」
「うん、昔は米のかさ増しだったらしいけど、これはこれで逆に新しいよね。」
「ふふ、古いのに新しいって変な感じ。梅干しも美味しい、自家製なんだっけ?」
「うん、そろそろ仕込む時期だから一緒にやろうね。」
湊人は密かに祈る。
どうかこの食事が、瑠璃の体の糧となりますように。
どうかこの約束が、瑠璃の心の糧となりますように。
ホー、ホケキョ!
「あ、鶯。」
「ほんとだね。もうそんな時期か。」
ー忍音もらす、夏は来ぬ。
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『江戸の雪花菜飯』
材料:
□米(2合)
□おから(60g)
□昆布(10g)
□梅干し(1個、上にのせるものとは別)
□塩(適量)
□醤油(適量)
作り方:
①おからをこし器の中に入れ、水をはったボウルの中でこし、こしたおからをふきんで絞る。
②おからを熱したフライパンで空炒りする。
③昆布と梅干しを水と共に火をかけ、出汁を取る。
④出汁に塩と醤油を入れ味を整える。(出汁をとった後の昆布は細かい四角に切って、醤油、味醂、砂糖、酒で佃煮にするのが良いよby湊人くん)
⑤器にご飯とおからを混ぜたものをよそって出汁をかけて食べる。上に梅干しは必須!(湊人くんは梅干しが大好き。)
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