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貝拾いとボンゴレビアンコ

ちゃぽちゃぽちゃぽ。 ステンレスのボウルの中に、アサリが沈んでいくのをまじまじと見ている。 「アサリは砂を吐かせる必要があるんだよ。最初にアサリをよく洗ったら、こうやって塩水につけてしばらく置いておくんだ。」 ぷく、ぷくぷくぷく。 小さな泡が時折アサリから吐き出される。まだ生きているのだと思うと、不思議な気持ちがして、何時間でも観察することができそうだ。子供のようにボウルの中のアサリを見つめる瑠璃が可愛らしく、湊人はひそかにほほ笑んだ。 新鮮なアサリが手に入ったからと、叔母さんが持ってきてくれたのは今朝のことだった。そのついでに、お使いを頼まれる。 「さて、じゃあ貝殻拾いに行こうか。」 「うん。」 貝殻拾い。それが叔母さんからのお使いであった。 「母さんは美術館で働いてるでしょ?そこで子ども向けの工作教室を開いてるんだ。夏場は貝殻をいっぱい使うからね。」 「なるほど、その材料を集めてほしいってことね。」 「そうそう、結構楽しいもんだよ。」 石段を下りると、舗装された道路を挟んですぐに砂浜が広がる。バケツを手にぶらぶらとさせながら海へと向かう。五月中旬の海はまだ人影も少なく、けれども波は穏やかで水面がキラキラ光る。 「波打ち際にね、貝殻がたまるんだよ。あとは入り組んだ岩場とか。」 ザザーーー……ザプン、ザザーーーー……。 波の音に揺られるように波打ち際を歩いてゆく。小さな波が足に時折かかり、それが心地よい。足元を見ながら歩いていると、白い何かが砂の上で光っている。拾ってみると、きれいな形の貝殻だ。 「あ!湊人くん、あった!」 駆け寄って湊人くんに見せる。 「わ、おっきいの見つけたね。大きいとどうしてもぶつかったりして欠けちゃうから、見つけられたのはラッキーだよ。」 「本当?嬉しい。」 「それは瑠璃が貰うといいよ。あとで何か入れ物を作ってあげる。」 頷くと、大きな白い貝殻をポケットに入れた。どうってこともないことなのに、そのポケットの重みがまるで宝物のように思えた。 「海辺にはいろんなものが落ちていてね……それを拾ったりする趣味もあって、ビーチコーミングって言うんだよ。」 湊人くんはひょいひょいといろんなものを拾いながら、瑠璃の手に乗せて名前を教えてくれる。 サラガイ、イタヤガイ、イカ、シーグラス、くるみ……。 呪文のように唱えながら覚える。湊人くんに教わるたび、瑠璃の世界にきれいなものが増えていくような心地がして胸の奥がむずかかゆいような気持になった。 「ほら、これも手に乗せてみて。」 そう言われ、手に乗せられたのは小さな巻貝。 「このままじっとしててね。」 言われた通りにじっとしていると、手のひらにむずむずと何かが動く触感がくる。 「ひゃあああ!なにこれ!?動いてるよ!?」 「はははははは!」 ビビりながら湊人くんに助けを求めるも、ツボに入ったのか、お腹を抱えて豪快に笑っている。そのうち貝殻から足がはえてきて手の中を這いずり回った。 「脚!!!!なんかの脚!!!!!!!」 「かわいい~。」 「いいからとってよ!」 そういうとやっと手のひらからそれをとり、改めて見せてくれた。 「これはヤドカリ。」 名前を知るまでは怪物に見えた生き物に名前を与えられ、急にほっとする。 「これがヤドカリなんだ……!初めて見た。思ったよりも小さいし、なんか……怖い形してる。」 「この辺にいるのはこういう小さい子たちなんだよ。ヤドカリって大きかったら確かにかなり怖いだろうね。」 「よかった小さくて。」 湊人は両手でヤドカリを岩場へと帰す。その優しい手つきは、湊人が生き物を好きなのだということを瑠璃に実感させるには充分であった。 バケツの中はいつしか拾ったものでいっぱいになっていた。 そろそろ帰ろうか、と言われ、戻ろうとすると、少し波の奥の方に白く光るものが見えた。最後にあれをとろう、そう思って波が引いたタイミングで手を伸ばす。けれども思ったよりもそこは深くて。 つかんだ! そう思った瞬間、大きめの波が瑠璃を襲った。 バッシャーン!!! 大きな音を立てて波の中にしりもちをつく。 「うわ……やっちゃった……。」 おしりから濡れてゆく感覚に絶望し一瞬固まっていると、ひょいっと抱き上げられた。 「え!?え!?湊人くん!?」 「お、思ったよりかなり軽いね。」 そのまま浜辺に戻されるが一向におろされない。 「湊人くん!おろして!湊人くんまで濡れちゃうよ!」 「大丈夫大丈夫、どうせすぐシャワー浴びるつもりだったし。」 湊人はそのままバケツと瑠璃を回収し、軽々と石段を登りながら頂上の一軒家へと向かった。 海沿いの家は、裏口を入るとすぐに浴室になっていた。湊人はそのまま浴室まで行くと瑠璃を下ろす。 「俺は足だけ洗うから、瑠璃はそのままお風呂入っちゃいな。体も冷えちゃっただろうし。」 そう言ってズボンを脱ぎパンイチになると、足の砂をシャワーで流し始める。 瑠璃は目のやり場に戸惑いながら、けれど男同士なのに拒否したり照れたりしたら逆に怪しまれてしまうかもしれない……!と意を決して服を脱ぐ。パンイチの湊人が目の前にいるということに気をとられて、瑠璃はすっかり忘れていた。自分の体にある、傷のことを。 「……!どうしたの、それ。」 湊人に腕をつかまれてはっとする。服の中に隠れていたその腕には、無数の切り傷が残されていた。 「あっ……!これは、わ、ワイヤーに引っかかってこうなっちゃって……!」 最近は自らを罰することをしなくてすんでいたために、薄くなりつつあったそこは、けれども度重なるカッティング行為のせいで赤黒く変色したりと、痕になってしまっていた。 これ以上突っ込まれませんようにとぎゅっと目を閉じる。怒られたり否定されたりしてしまうのだろうかとびくびくしていると、その腕の傷跡をなぞるように撫でられる。 「……痛かっただろうに。」 「大丈夫……。」 顔をそらすと、湊人は瑠璃の体をまじまじと見た。 「……お風呂に入ってて。俺は昼ご飯の支度をするから。」 「あ、うん……ありがとう。」 そのまま湊人が浴室から去ってゆく。 瑠璃はほっとしながらお風呂につかった。 ぶくぶくぶく……と湯船に沈みながら、たったいま湊人から言われた言葉を反芻していた。 痛かっただろうに……痛かっただろうに……。 自分から切り付けているのだ、痛みは感じなかった。むしろピリッとして、そこから血がぷくっと玉のようににじみ出てくるとき、気持ちが楽になるように感じていたのだ。 けれど。 「僕、痛かったのかもしれない……。」 初めて自覚した。本当はずっと痛かった。 痛くて痛くて仕方なかった。 そう思ったら涙が出てきて。 ポタ……ポタ……。しずくが落ちて、水面にわっかが何重も描かれてゆく。それを眺めながら、体の芯から温まってゆく心地を感じていた。 オリーブオイルを火にかけ、温まってきたらそこにニンニクを投入する。ニンニクは自家製で、昨年収穫したものだ。そろそろ今年のニンニクの収穫もあるので、思い切って多めに使う。唐辛子も畑で採れたものだが、ものすごく辛い。気持ちが昂るままに大量に使おうとして、瑠璃のことを考えひとかけのみ使う。 あまりに痛々しい体だと思ってしまった。そんなことを人に対して思うのは、とても失礼なことだと理解しているし、なるべく他者のそう言ったデリケートな部分にずかずかと踏み込んでいくことはしないように湊人は努めていた。 けれども瑠璃に対しては、どうしても線引きができない。彼が自分に好意を持ってくれていることにはすぐに気づいた。アーティストのはしくれとして、人の心の機微に比較的敏感なほうだと思っている。それに、同性からそういう対象として見られたことも、経験もある。相手の好意を良いように利用することを、湊人はしたくなかった。だから本来であれば適切な距離を保つべきなのは理解している。 ニンニクの香りがオイルにうつったら、パセリをちぎって加え、そこにざらざらざら!と砂抜きをして洗ったアサリを加える。さらに軽く白ワインをかけると蓋をした。……このまま俺に堕ちてくれないだろうか。蓋をして隠して、大事に大事に宝物のように扱いたい。 「ゆっくり……ゆっくりとね……。」 自分に言い聞かせるようにつぶやいた。アサリの貝が開いてゆくように、あの子が全てを開け放ってくれることを願いながら。 「あ、ちょうどご飯できたところだよ。」 お風呂から上がると、湊人がパスタを持って迎えてくれた。 「母さんからもらったアサリでボンゴレビアンコにしてみた。」 「おいしそう!お腹すいてきちゃった。」 「あったかいうちに召し上がれ。」 「いただきます。」 手を合わせ、習慣になりつつある言葉を口にするとフォークを持つ。いつもより自分のお皿のパスタが多く盛られているような気がしたが、気のせいだろうか。 「……!美味しい……!」 ニンニクの強い香りが食欲を刺激する。アサリの旨味を吸ったパスタがまたたまらないほどおいしい。 「アサリってこんなにおいしいんだね!」 「いっぱい食べてね、たくさんアサリ貰ったんだから。」 「うん、ありがとう。」 こんなに食べられるだろうかという心配をよそに、ニンニクと唐辛子のピリ辛が食欲を刺激し、ぺろりと平らげてしまった。 「湊人くんと暮らし始めてから、すごくいっぱい食べちゃってる気がする。」 えへへ、と恥ずかしそうに笑うと、湊人は首を傾げた。 「まだまだ全然食べてないでしょ?もっと食べなよ。そんなにお腹ぺったんこなんだから、お腹すいちゃうでしょ。」 「ははは……。」 さらに食べさせようとする湊人に苦笑いをしながらも、お腹が満たされると共に心も満たされる感覚を瑠璃は久方ぶりに思い出していた。 ☆★☆★ 『ニンニクたっぷりボンゴレビアンコ』 材料: □アサリ(300g) □パスタ(200g) □にんにく(みじん切り)…1欠片(湊人くんはたまに2欠片使う) □唐辛子(種を除く)1/3本 □パセリ(適量、手でちぎる) □白ワイン(ひと回し程度) □オリーブオイル(適量) □塩コショウ(適量) 作り方: ①アサリをから語とこすり合わせて良く洗う。海水濃度と同じ程度の塩水につけておいて砂抜きをする。 ②オリーブオイルにニンニク、唐辛子を加えて炒める。 ③オイルにニンニクの香りが移ったら、パセリをちぎって加え、アサリをいれ、白ワインを回し入れてふたをする。 ④アサリが開いたら、表記より少しだけ硬めにゆでたパスタを加え、混ぜて塩コショウで味を調える。 ⑤完成!ニンニクと唐辛子はどれだけ入れてもかまわないというのが湊人くんの持論らしい。
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