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苗選びとよもぎ餅
まだ太陽も登ったばかりの6時ころ、リリリリリ!という音で目覚ましが鳴りだす。昔ながらのベルの付いた目覚ましは、母親のお気に入りだったものだ。
湊人は画家だ。フリーランスでイラストなどの依頼も受けつつ、画家として活動している。そのため、ともすれば時間にルーズになりがちなその生活スタイルを心配した母が、無理やり持たせたものだ。
「暮らしのすべては朝から!」
が母の口癖である。普通のことしか言っていないが、その圧の強さでなぜか周りの人は納得させられてしまうのだ。
顔を洗って歯を磨く。郵便受けから新聞と、宅配ボックスから牛乳をとり家へと戻る。湊人の毎朝の日課だ。少しだけ変わったことは、牛乳の瓶が二本に増えたことだ。
「あ……おはよう……。」
玄関を開けると従兄弟である瑠璃が立っていた。
「ごめん、起こしちゃった?ちゃんと眠れた?」
「大丈夫……。」
数日共に暮らし始めて、わかったことがある。瑠璃の大丈夫は、多分大丈夫じゃないこと。おそらく不眠症の瑠璃は、昨日もあまり眠れていないのだろう。
ゆっくり改善していかなきゃいけないな。と湊人は思った。
「まだ眠れそうなら寝ちゃいなよ。」
「ううん、多分寝られないから大丈夫。」
やっぱり大丈夫じゃないなぁ。そう思いつつ、朝ごはんを用意する。眠くなってくれないかな、と思いホットミルクに蜂蜜を多めに入れながら。
「今日は苗の植え付けをしようと思ってて。苗を買いに産直に行くつもりなんだ。瑠璃もどう?」
朝食をとりながら聞くと、瑠璃は頷いた。
「苗?種からは蒔かないの?」
土などいじったこともないのであろう瑠璃はふと疑問を口に出す。
「種はね、発芽するための適温、つまり発芽温度って言うのがあるんだけどね。このあたりの寒冷地だと突然寒い日が続いたりしてなかなか上手くいかないんだよね。」
湊人はちらりと柱にかけられた温度計を見る。初夏だと言うのに、早朝の気温はまだ16℃。発芽ギリギリの温度だ。種類によってはなおさら厳しいものもある。
「いろんなところに温度計がかかってるのって、種のため?」
「うん、あと絵の具の練りやすさとか乾き具合とか……確認するための温湿度計だよ。」
トーストを齧りながら言う。相変わらずひとくちが大きい。おおらかそうで大雑把になりがちに見えそうだけれども彼は色々なものを丁寧に確認し、その大きな手で丁寧に扱ってゆく。その手に扱われるものたちがなんだか羨ましい……そんなことを思ってしまい、ハッとする。邪な感情を抱いてしまう自分が嫌になる。
「のんびり苗を買いに行こうか。」
天気は良さそうだ、と穏やかに微笑んでいる湊人の方を見られずに、俯いたままうん……と答えた。
産直に行くと、苗の販売スペースができており、多くの人で賑わっていた。
「すごい……!」
その活気に呆気に取られていると、湊人が段ボールを持ってやってくる。底は深くはなく、上部は空いていて蓋はついていない。よく野菜の販売などで使われているものだ。
「ここに選んだ苗を入れて、そのまま持って帰るんだよ。」
周りを見ると他の客も皆段ボールを手に持ち、思い思い苗を入れていた。
「なんか……バイキングみたいで面白いね。」
「苗のバイキング?その通りかもね。」
瑠璃も、湊人から渡されて段ボールを手に持つ。
「瑠璃は何の野菜が食べたい?好きなものを選んで。このバイキング、出来上がるまでに時間はかかるけど。」
のんびり待とうね、と穏やかに湊人が言う。のんびりと言うのは彼の口癖のようだ。
「食べたい野菜……。」
様々な苗がある中をきょろきょろと見渡すが、自分の食べたいものがわからない。自分の欲しいものが、瑠璃にはどうしてもわからないのだ。考えようとすると、頭が止まってしまう気がする。
「ごめんなさい、わからない……。」
「そっか、じゃあ嫌いな野菜はある?」
瑠璃の反応を見て、湊人は質問を変える。
「それはない。何でも食べられるよ。」
「お、えらいえらい。じゃあいろんな野菜を育ててみよう。」
頭を撫でられる。湊人にとって僕はまだ小さな子供なのだろうかと少し恥ずかしくなった。
「茄子とトマトは必須、ピーマンも結構実なりがいいから面白いよ。」
「へえ、トマトってこんなにたくさん種類があるの?」
「うん、甘いのとか酸っぱいの、プチトマトに中玉トマト、それから大玉サイズ……色も赤いのもオレンジも、黄色いのもあるよ。」
「え、黄色いトマトがあるの?」
「うん、じゃあそれも植えてみようか。このゴールドって描いてある品種。どの苗がいい?」
「わからない……どういうのを選んだらいいの?」
「どの苗も元気に育つから、どれを選んでも大丈夫だよ。でもせっかく連れて帰るなら、元気な子を選んであげるといいよ。葉っぱの色が鮮やかで、まっすぐな子とか、枝と枝の間隔が狭くてがっちりしてる子。」
湊人に言われた通りに苗を選んでみる。しばらく悩んで、緑色が一番きれいだった苗を選ぶ。がっちりしていて背も高く、なんとなく湊人みたいだと思ったから。
「なんか、自分で選ぶのって嬉しくなるね。」
「うん、実がなるのも楽しみでしょ。」
「ちょっとわくわくするかも。」
「でしょ。いろんなわくわくがあるんだよ。背丈が伸びてきて、花が咲いて、実がなって、枯れて。生命って本当に面白くて美しいよ。」
「……湊人くんは素敵な人だね。」
思わず口にした言葉に、はっとして口をふさぐ。男が男にこんなことをいうなんて気持ち悪いだろうか。過去の記憶がよみがえる。「……きっも。」そう言われた経験を思い出し、サアッと頭から血の気が引いていく。
その様子に、湊人は瑠璃の口元を抑えていた手をそっと外した。
「もっと言って?」
苗を選ぶためにしゃがんでいた瑠璃の隣に、同じように湊人もしゃがむ。
いつも身長差があるために、見上げていた湊人の顔がすぐ近くに来る。思わずどきどきとすると、湊人は首をこてんと倒すといたずらっぽく笑って繰り返す。
「もう一回、言って?」
「す、素敵な人だね……!」
顔を真っ赤にさせながらそう言うと満足したのか湊人は立ち上がり他の苗を物色しに行った。
瑠璃はそのまましゃがみこんだまま動けずにいた。なんだそのテクニックは……!と、湊人の仕草に頭を抱える。かわいすぎる。頭の中で何度も先ほどの光景が繰り返され、消えなくなってしまった。瑠璃が、湊人の天然たらし仕草に翻弄されるのは、それが最初のことだった。
買い出しが終わって帰り際、湊人が車を停めた。
「ちょっとここ、寄って行こう?」
そこは川の河川敷であった。
「ん~。」
車を降りた湊人が伸びをする。その手にはなぜか竹で編まれたざるが握られてる。
「ここ、小学生の時の通学路でね。よくこの河川敷にランドセルを置いて遊んでたんだ。」
そう言って河川敷に座る。瑠璃もまねをして隣に座る。
「湊人くんはどんな遊びをしてたの?」
「うーん、魚捕まえたり虫捕まえたり……ゲームするよりそっちのほうが好きだったからそうしてたかな。あ、あと食べられる草を採って帰ると母さんが喜ぶんだ。だからランドセルいっぱいに詰めて帰ったりしたよ。」
「ふふふ……!結構わんぱくだったんだ!」
「うん、わんぱくわんぱく。いまだにこういうの好きだし。……ほら、今日のお目当てはこれ。」
そう言って近くにあった草をむしると見せてくる。
「これは……?」
「ヨモギだよ。今日はこれを採って帰ろう。」
湊人は瑠璃の左手をとると、上にヨモギをのせた。そのまま左手を握ってよもぎの葉の後ろを触らせる。湊人の大きな手に、瑠璃の小さな手はすっぽりと収まってしまう。
「後ろに白い毛がはえてるでしょ。これがヨモギの特徴だよ。」
顔に息が触れてしまいそうなほどに近い距離で話され、ドギマギするが、悟られないように必死にヨモギを見つめる。これがヨモギこれがヨモギ湊人くん良い匂いするこれがヨモギ……。邪念に邪魔をされつつも、ヨモギを観察する。
「すごい、今までただの草だと思ってたから裏なんて見たこともなかった。こんなに真っ白なんだね。」
「うん、世の中の大抵の物には名前がついてるんだけど、その名前を知らないってこと結構あるよね。知らなかったらただの草でも、知ったら宝の山に見えてくるんだ。」
湊人は手に持ったヨモギを軽くもむと、その葉を自らの手ごと瑠璃の鼻に持ってくる。
「良い匂いでしょ?」
「ひゃ、ひゃい……!(湊人くんの匂いが……!)」
「これがね、お宝なんですよ。」
湊人くんはまるで子供のように笑い、瑠璃はそれに盛大にときめいた。
「すごく良い匂い……!それにきれいな緑色……!」
「ね、自分で採ったヨモギで作るよもぎ餅、うれしいでしょ?」
「うん……!」
湊人が蒸籠を開けると、ふわっとした蒸気とともに、ヨモギの独特な香りが広がった。蒸気が落ち着いてくると、きれいな緑色のよもぎ餅が顔をのぞかせる。
「瑠璃のよもぎ餅は形がきれいだね。俺は手が大きいからよもぎ餅のサイズも大きくなっちゃう。」
「食べ応えがありそうで僕は湊人くんの方が好きだな。」
「じゃあ、交換して食べようか?」
「いいの……?」
「うん、瑠璃には一番大きいやつを食べてほしいし。」
瑠璃の前に大きなよもぎ餅が置かれる。目を輝かせていると、その隣に良い香りのする緑色のお茶も置かれる。
「これは春の早い時期に新芽をとって乾燥させておいたよもぎ茶なんだ。今日のおやつはよもぎ尽くし。召し上がれ。」
「いただきます。」
湊人の真似をして、必ず手を合わせていただきますと言う。手を合わせる瞬間、命に丁寧に向き合っている気がして良いなと感じるようになった。
大きなよもぎ餅を両手に持ち、一口食べる。鼻にヨモギの香りが抜けて、舌先に感じる若干の苦み。けれどもすぐにやってくる餡子の甘みが相乗効果で抜群にお互いを引き立てる。
「美味しい……!ふわっと鼻に抜けるこれがヨモギの香りなんだね。今までそれと知らずに食べてたけど、自分で摘んでみるとヨモギだってちゃんとわかるようになるんだね!ちょっと苦いのも、甘さと引き立てあって抜群に合う!」
「瑠璃が自分で作ったんだよ。」
「僕が自分で……!」
胸の奥からなんだかわからない熱いものがこみ上げる。
「なんか、なんて言ったらいいのかわかんない……。こう、ぐっと胸の中から押し上げられてくるみたいな気持ち……。なんて言ったらいいのかな?」
「ふふふ、その気持ちわかるよ。言葉にしようとすれば近しい言葉は多分いっぱいあるんだけど、それは瑠璃だけの感情だから、瑠璃が見つけてあげたほうがいいよ。」
「僕が見つける……?」
正解の言葉があると思い込んでいた瑠璃はぽかんとする。
「うん。その感情に形をあげたいなら、瑠璃自身が見つけてあげたらいいんだ。言葉にしてもいいし、絵でも、歌でも、踊りでも。この中にあるのは何かなって、考えてあげるの。」
湊人は瑠璃の胸に手を当ててとんとん、と優しくたたく。
「答えはいつもここに、ちゃんとあるよ。」
「見つからなかったら、どうすればいいの……?」
なんだか泣きたいような気持になって、目に涙を浮かべながら、問いかける。
「見つかるまで、探せばいいんだよ。」
ゆっくりで良いから。
穏やかにほほ笑んで湊人はお茶を飲む。
涙がこぼれてしまわないように、瑠璃もお茶をすすった。
暖かいよもぎ茶は、しっかりと苦く、けれどもその香りと温かさにどこかほっとする優しさがあった。
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『よもぎ餅』
材料:
□ヨモギ(適量、生でも粉末でも可)
□上新粉(100g)
□白玉粉(大さじ3)
□砂糖(大さじ3)
□餡子(200g)
作り方:
①ヨモギをきれいに水洗いする。ヨモギを塩を一つまみ入れ、沸騰したお湯に入れてアク抜きをする。裏面が鮮やかな緑になったらざるに開け、冷水にさらす。
②できたヨモギをフードプロセッサーで細かくする。
③餡子以外のものをすべてボールに入れ、お湯を少しずつ加えながら耳たぶくらいの柔らかさになるまでこねる。湊人くんに耳たぶを突然触られて心臓が止まるかと思った。
④生地に餡子を包んで蒸籠に入れて蒸す。30~40分ほど。よもぎ餅のサイズにもよる。
⑤完成!二人で仲良く食べる。
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