7 / 8

不眠と雨音のハーブティー

ザーザーザーーーー……。 雨音が聞こえる。 耳ばかりが鮮明に冴え、延々とそれを聞き続けていた。 眠ろうと思うのに、その音が気になって眠れない。 いつかの雨の日を思い出してしまう。 ずぶ濡れの絶望の中を、一人さまよっていたあの雨を……。 寝返りを何度も繰り返して、とうとう諦めて瑠璃は体を起こした。 以前から不眠症で通院していた。特に入眠が難しい。一睡もできずに夜が明けてしまったこともある。 最近は日中畑仕事など、体を動かすことも増えたため、以前ほど眠れぬ夜があるわけではなかったが、こうしてたまにひどく眠れない夜があった。 ため息をつくと水でも飲もうかとキッチンへと向かった。 部屋を出ると、キッチンからは明かりが漏れていた。おや?と思って覗くと湊人が紙にさらさらと何やら描いていた。 「湊人くん。」 「ん?瑠璃?どうしたの?」 「ええと……眠れなくて……。湊人くんは?」 「俺も今日は居眠りしちゃって目が冴えたから、絵を描いてたんだけど……眠れないなら、ハーブティーでも淹れようか?」 「うん……お願いしようかな。」 「任せて。瑠璃もおいで……眠れないときは自分で淹れるといいよ。」 手招きされて棚に近寄る。その棚にはずらっと瓶が並べられ、上の方にはハーブがかけてある。この棚は湊人が自分で作ったという自慢のハーブ・スパイス棚だ。小さい頃の将来の夢は魔女だったんだよね、と湊人が以前照れながら話してくれた、魔女の屋敷にありそうな様相の棚である。 その中からリンデンフラワーとレモンバーベナを取り出す。 「リンデンとレモンバーベナはリラックスと鎮静効果があるよ。リンデンは甘い香り、レモンバーベナはその名の通りレモンの香りでちょっとすっきりしてるよ。」 透明なガラスポットを取り出すと、どちらも大さじ一ほど入れる。 「分量は適当だから自分の好みで作ってね。」 「わかった。」 「それから今の時期はこれとこれも安眠にはピッタリ。」 そう言ってテーブルの上に飾られた花を指さす。紫色の花と、白い小さな花は、庭から二人で摘んできたラベンダーとカモミールだ。 「フレッシュで使える素材があるときは、フレッシュのまま使いたいからね。だってね……ほら。」 ラベンダーの花をそのまま2本と、それからカモミールの花をいくらか入れて水を入れると、まんまるなガラスポットの中でふわっと花たちが舞う。 「わあ……!きれい……!」 「うん、せっかくなら花のきれいさも楽しみたくてね。このガラスポットも中身が見えて直接火にかけられるものを選んでるんだ。」 湊人は竹でできた持ち手を持ち上げるとガラスポットを火にかけた。しばらくするとふつふつとお湯が沸いて、中の花や茶葉が浮かんだり沈んだりする。 「眠れないときはこうやってぼんやりと回る茶葉とか花を見てるんだ。」 「湊人くんにもそういうときがあるんだ。ちょっと意外。」 「あるよぉ。俺って実は弱虫なんだよ。」 そう言ってテーブルの上にわざと突っ伏す。ちょっとかわいいアラウンド・サーティー。 「ふふふ、そういえばさっきは何を描いていたの?」 「絵本だよ。」 「絵本?」 「うん、よく見る夢があってね。そのうち絵本にしようかなと思ってて絵を描いてたんだ。」 そう言って紙を見せてくれる。 そこにはカラフルなたくさんの貝殻と大きなクジラが描かれている。 くじらの背中にはいろんな種類の花が乗っていて、大きく開けた口にはいろいろな食べ物が描かれている。 「なんかかわいい……。」 「俺かわいいイラスト得意なんだ。」 「どんな話なの?」 「ええとね……、」 まだまとまってないんだけどね、とはにかみながら湊人は話し出す。 ぽつり、ぽつり。 穏やかな雨が降り出すようなその声に思わず聞き入った。 自分がいつの間にか、大きなクジラになっていたんだ。 海をのんびり漂っているとカラフルな貝殻たちが歌うの。 貝たちはいろんな世界を漂っているから、いろんな国を知ってるの。 だから、珍しいものを見た話を歌にしながら歌っていたの。 それを聞いたクジラはうらやましくなって、世界中の港を旅することにしたんだ。 いろんな港に停留しているうちに、クジラの背中は世界各国の花でいっぱいになっていった。 すると、ある港で一人の人間が言ったんだ。 「ねえくじらさん、背中のその花をくださいよ、真っ白なそんな花はこの辺りのどの場所にも咲いていない!かわりに美味しいご飯をあげる。」 その人は背中の一輪の花を指さした。それは雪の降る国の花で、もちろん温かいこの国には咲いていないものだ。 「おやすいごようさ!」 そう言ってクジラは背中をぶるるっと降ると、真っ白な雪の花が、南の国にふわっと舞った。 その人だけでなく、国中の人達が大喜びして、クジラに美味しいご飯をごちそうしてくれました。 「そのあとはどうするか決めかねてるんだけどね……。」 「湊人くんらしくて優しい話だね……いいな、僕もクジラみたいに海を漂って旅してみたい。」 「あ、じゃあ一緒に旅する?瑠璃はイルカね。青い瞳がキラキラしてるイルカ。」 そう言って湊人はクジラの隣にさらさらとイルカを書き足す。 「僕はイルカになの?なれるかなあ。」 イルカはクジラに寄り添って幸せそうな顔をしている。 「この家って海に面してるでしょ。だから波が高いときは波の音がするんだ。その音がね、雨音とそっくりで、窓の外を眺めてみるまでは、雨の音か潮の音か、わからないんだ。」 「確かにそうかも……目を瞑ったら今だって、波の音に聞こえてくる。」 「だからね、眠るとき、耳をずっと遠くに澄ませてその音を聞くんだよ。雨の音も波の音に溶けて、いつの間にか、自分が海の中を漂っているみたいになってくる。意識が溶けて溶けて溶けて、溶けきってしまって、人間の形も忘れてしまったら、自分の好きな形を思うんだ。」 お湯が沸騰する。湊人は茶こしをカップの上に乗せると、二人分のお茶を淹れる。 「俺はたまにそうやって眠ってる。……ハイどうぞ。」 「ありがとう。……僕も試してみようかな。」 ハーブティーを一口飲む。甘い香りがして、どこか安心するような心地がしてくる。 「落ち着くね。」 「うん、カモミールとかは子供に寝る前に飲ませたりもするんだよ。俺もむずかってるとよく母さんが飲ませてくれたよ。」 「ちっちゃいとき?」 「……結構大きくなってからも、かも。」 ため息をつくと秘密を明かすように声を潜めて話す。 「俺ね、雷が……怖いんだ。」 「雷が?」 「うん……この辺って雷が多い地域でね……。昔目の前の木に雷が落ちるのを見てから苦手なんだ。だから、雷の日は……大きい今でもむずかる……。」 「はははははは!それ自分で言っちゃうんだ!?」 思わず笑う。 「うん、弱いとこをさらしておいたらそういう日は助けてくれるかなって。」 「わかった、助ける。約束する。」 「安心してきた。良かったこれで眠れそうだよ。」 ひそかに雷が怖くて眠れなかったことを暴露しつつ湊人は立ち上げる。 「おやすみ瑠璃。」 「おやすみ湊人くん。」 おやすみ、と言う言葉の優しさに気づく。おやすみ、というのは相手を思いやる言葉なのだと初めて思った。 ベッドに戻ると、今一度目をつぶってみる。 ザーーー……ザザーーー……。 引き続き続いている。 けれどもその音に揺蕩うように。 波に乗るように。 奥に、奥に……と耳をすませばいつのまにか自分が海の中にいるような気がした。音と溶け合って、体が波にのまれて。 海を泳いでいる。僕は一匹のイルカ。 心地よさに飛び跳ねる。ふと横を見ると大きな鯨が海にぷかぷか浮かんでいる。 そうして二人は寄り添いながら、穏やかな波を泳いでいるのでした。 ☆★☆★ 『絶対に眠らせるという強い意志ハーブティー』 材料: □リンデンフラワー □レモンバーベナ □ラベンダー □カモミール 鎮静効果やリラックス効果のあるハーブをとにかくブレンドしたハーブティー。分量は好みと体調次第で変更。リンデンフラワーをベースにすると甘くて癖もなく飲みやすいのでおすすめ。牛乳を入れても美味しいよby湊人

ともだちにシェアしよう!