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梅雨と紫陽花とドーナッツ
目覚めるとザーザーと雨が降っていた。
ベッドから起き上がると枕元に下げてあるサシェが揺れる。
薄紫色に、白いレースのリボンが巻かれているそれは湊人くんが僕のために作ってくれたものだ。
眠れない僕のためにとラベンダーなどのハーブをブレンドしてくれたらしい。どうやらかなり可愛らしいデザインが好きなようで、湊人くんの小物はところどころファンシーさが垣間見える。
そんなところも可愛らしく、寝る前に見ていると穏やかな気持ちになってくる。
顔を洗ってキッチンに向かうと、湊人くんがニュースを見ながらお茶を飲んでいた。今日は緑茶らしい。
「瑠璃、おはよう。今日から梅雨入りだって。」
「雨、続いてたもんね。」
湊人くんの正面に座ると、僕が起きてくるのを待っていたのだろう、隣に置いてあったもう一つの湯呑みをひっくり返してお茶を淹れてくれる。その何気ない動作の一つ一つに思いやりを感じ、なんだか胸がいっぱいになる。
「ありがとう……なんだか雨の日が続くって思うと気持ちもちょっとめいっちゃうね。」
些細なことで泣きそうになってしまう自分を誤魔化すように苦笑いしてお茶を飲む。濃い目に淹れられたお茶は苦く、朝の気怠げな身体を起こしてくれる。
「雨は嫌い?」
そう問いかけながら、トントントン、じゅー、と湊人は朝ごはんを作る。その背中を眺めながらぼんやり雨の日を思い出している。
「うん、あんまり良い思い出なかったから……。」
「そっか、梅雨って気持ちも落ち込みやすいらしいから……気をつけないといけないね。」
「うーん、雨だからなかなかやることも限られちゃうし……。」
ふと横を見ると数日前に庭から摘んできた紫陽花もくた……と項垂れるようにして首を垂れている。
「紫陽花も元気なくなっちゃったね。」
紫陽花の花に触れていると、朝ごはんが用意される。緑茶を朝に呑んでいたので今日は和食の朝ごはんだろうなとは思っていたが、茹でられた塩鮭(湊人くんのこだわりで朝の塩鮭は茹でて優しい味でいただく)、それから浅漬け、味噌汁とご飯のほかに、目玉焼きがついていた。そしてその目玉焼きが、お花の形をしていた。
「すごい!目玉焼きがお花だ!周りの枠は何?食べられるやつ?」
「うん、パプリカを輪切りにしてフライパンに敷いて、そこに目玉焼きを焼いたんだ。黄身が花芯に見えて可愛いでしょ?」
「可愛い~!僕のは赤で、湊人くんのはオレンジのお花?」
「うん、パプリカっていろんな色があるから明るい色で気持ちも上がるしお花ってかわいいでしょ?かわいいものは元気が出るからね。」
「うん、すごく気持ちが明るくなった。」
いただきますと二人で手を合わせて食べ始める。どんな時もご飯は必ず一緒に食べてくれる。今朝だって瑠璃が起きてくるのを待っていたのだろう。そのことも瑠璃の気持ちを明るくした。
「紫陽花、くたっちゃってるね。」
「うん、もうだめかな?」
「紫陽花はドライフラワーになるんだ。だからこのまま逆さに吊るしちゃっても良いんだけど……。」
「そうなんだ。」
「この感じだと、水の吸い上げがうまく行ってないんだ。水上げが出来てないって言うの。花びらが落ちていたり花の先が枯れたりしていたら厳しいんだけど、花全体に元気がなくてぐったりしてる感じがするでしょ?道管が細菌やいろんな原因で詰まっちゃって花まで水が行かなくなってる。」
「治してあげられる?」
「うん。他のお花だったら茎の切り口をもう一回切ってあげたりしたら復活する可能性があるよ。それに紫陽花なら……。」
もっと良い方法があるんだ。とにっこり笑った。
朝食を終え、片付けを済ませると、湊人はバケツに水を張り持ってくる。言われた通りに床に新聞を敷いていると、そこにバケツを置き元気がない紫陽花を手にする。
「紫陽花は面白い花でね、別名だと四葩って言うんだけど、この葩って言うのは花びらって意味なんだ。」
「四枚の花びらがついた花がたくさん咲くからよひら?なるほど。」
湊人が手に持つ紫陽花をまじまじと観察する。色はさまざまだが、大半が大きな花弁が4枚、小さな丸い中心を囲むようにして咲いており、それらが集まって球体を形成している。
「うん、でもこの大きな4枚って花びらじゃないんだ。」
「えっ、じゃあどれが花なの!?」
「どれだと思う?」
「えー……じゃあこれ……?」
中心の小さな丸い玉を指差す。
「正解。これが真の花って書いて真花って言うの。こっちの大きな花弁に見えるのは装飾花と言って、ガクが変化したものなんだ。」
「知らなかった……ずっとこっちが花だって思ってた。」
「ね、俺も初めて知った時は面白かったな。で、紫陽花って学名はハイドランジアって言うんだけどね。これが水の器って意味なんだ。」
「綺麗な名前。」
「うん、だからこの子たちはこうしてあげると良いんだ。」
そう言うと湊人は花を逆さまにしてズボッと全てバケツの水の中に入れてしまった。
「えっ!?えっ!?そんなことして良いの!?」
「うん、水の器だからね。紫陽花って葉も花も全部から水を吸収してくれるんだ。」
「ほんとに……?」
水に沈められた花たちを見ながら、心配そうに呟く。
「かわいそうなくらいしおしおだったからね。元気になると良いね。」
「うん。」
「さて、瑠璃、さっき雨に良い思い出がないって言ってたよね?」
「うん……嫌なこと思い出しちゃう。」
問われて顔を上げると、バケツを二人で覗き込んでいたため、案外近い位置に湊人の顔がありドギマギする。
「それも瑠璃の大切な感覚だから、それも消さないで大切に持っていてほしいんだけど、ちょっとずつ俺と良い思い出も増やしていかない?」
「増やしてくれるの?」
「うん、まず俺の雨の日の思い出を共有したいな。」
「それはぜひお願いします。」
湊人がこっちへ、と立ち上がる。それについていくと縁側からのぞいた窓の外は雨がひっきりなしに降っていた。
「俺、結構雨の日好きなんだ。外遊びが好きで、雨の日も外で遊んでたよ。」
「どんな遊びをしてたの?」
「雨垂れの落ちてくるところに缶をおいてその音を聞いてたり、透明なビニル傘を何個も開いて地面に置いて、葉っぱや花をくっつけてその中に入ってみたり。」
「なんかかわいいエピソードだね。」
「弟や妹とも遊んだりしてだけど、一人でそういうことをしてた時間も好きだったんだ。」
そう言いながら湊人は書斎へと入ってゆく。そこはかつて大学の教授だったという湊人の祖父の書斎で壁を囲むようにずらっと本棚と書籍で埋め尽くされている。
その一番下の段から一冊を取り出すと瑠璃に手渡す。
「絵本?」
「うん、この下のところは全部絵本なんだ。おじいちゃんのとこに来るといつも寝転がって読んでた。」
こんな孫がいたらそりゃ可愛かったんだろうな……と下段が全て絵本や児童書になっている本棚を見て微笑んだ。
「バムとケロの日曜日?わ、懐かしい。」
「俺、この本大好きで何回も読み返したんだ。」
犬の男の子とカエルの男の子が描かれた絵本は、年季が入って紙もところどころ破けたりしている。
「雨の日曜日の話なんだけどね、雨の日にいろいろあって、本を読むことにするんだけど、その前におやつの山盛りのドーナッツを作るんだ。」
「これだね。」
本のページを開く。二人は楽しそうに山盛りのドーナッツを作っている。
「雨の日にね、この山盛りのドーナッツを作ろうって母さんと約束したことがあったんだけどさ……。」
「うん……。」
「その年は大雨が止まなくてね。母さんも父さんも仕事が仕事だからずっとニュース見ながらケータイを手ばなさなくて……とうとう警報が出て、俺たち兄弟はおばあちゃんたちと避難所、父さんと母さんは自分の施設及び避難所班で担当区域に行ってしまって。その後も、父さんも母さんも被災地域のそれぞれの分野のレスキューに向かったから落ち着く暇もなくてね。なんとなくこのドーナッツを作る機会もなくなってたんだ。」
「あの時はこっちの方は大変だったらしいもんね……。」
「仕方がないことだけど……やっぱり少し寂しかった。それが俺の雨の日の記憶。」
絵本を指差す。寂しかった、と呟く湊人は、何処か子供のような幼さの残る顔をしていて。
「……作りたい。」
「え?」
「山盛りのドーナッツ、作ってみたい。湊人くんと一緒に、ドーナッツ作りたい。」
「……作ろっか。」
「うん!」
そう頷くと、湊人は顔をパァッと輝かせ立ち上がる。子供みたいに笑うなぁと瑠璃も笑いながら、二人はキッチンへと向かった。
ドーナッツの生地を作ると、ドーナッツ専用の穴の空いた型抜きでドーナッツ型に抜く。
「揚げ物って入れる時がすごく怖いよね……。」
「ふふ、慣れてないとそうかも。油が跳ねないように斜めにそーっと入れるの。でも熱で生地が柔らかくなっちゃうから素早くね。」
「んー、難しい!」
そう言いながらも、油にそっとドーナッツの生地を落とす。円形のドーナッツはまるで浮き輪のようにぷかぷか浮かぶ。
「やった!綺麗に出来た!」
「ほんとだ!ほら見て、すぐにぷくぷくぷくって膨らんでくるよ。」
「面白い!こんなにすぐに膨らむんだ!」
二人で面白がりながら、狐色になるドーナッツを掬いあげてはまた新しい生地を入れる。
出来上がったドーナッツから熱いうちにグラニュー糖をまぶして皿へと盛ってゆく。
絵本を参考にして、山盛りになるように積み上げながら。
「「出来た……!」」
最後の一つをてっぺんに載せると思わず二人で声を揃えて喜んだ。山盛りのドーナッツ。まるで夢のようだ。
湊人は大急ぎで二人分のグラスに牛乳を注ぎテーブルに並べる。
「早く食べよう。」
「うん!」
「「いただきます。」」
上からドーナッツを取るとパクリ!と食べる。グラニュー糖のザクザクと、ドーナッツ生地のみっちりと詰まった食感がたまらない。
素朴で小麦の優しい味わいで懐かしい味のドーナッツだ。
「美味しい~!でも口の水分持っていかれちゃうね!」
「うん、ミルクでこれをグッと流すのがまた良いんだよ。」
「ほんとだ……牛乳がこんなに美味しいなんて。」
ごきゅごきゅ、と喉を潤す冷たい牛乳が口と喉をリセットして、これならいくつでも食べられそうだ。
「あ、そういえばもう大丈夫なんじゃないかな。」
湊人はバケツに入れていた紫陽花を取り出した。
しおしおに首を垂れていた花は、一つ一つがピンと張り、生き生きとしている。
「すごい!元気になってる!」
「こうやって無理矢理咲かせるのは人のエゴかなって思ってた時もあったんだけど、なるべく長く元気でいてほしいって思うのは、人の祈りだって思うようになったんだ。」
花をもう一度飾りながら、湊人は言う。
「祈り?」
「元気であってほしい、笑っていてほしい、幸せになってほしい。もしかしたら相手にとってはそれがお節介とかエゴになってしまうかもしれないけど、何かを想う祈りの行為はやめられないものだと思う。」
「綺麗だね。」
花を飾る湊人を見ながら思う。
寂しそうな顔をする湊人を見たとき、胸の奥がギュッとして、笑ってほしいと思った。この想いも、きっと祈りだった。
空はいまだに絶え間なく雨が降っている。
けれどもそんなことはすっかり忘れて、室内では明るく穏やかな空気が満ちている。
開かれた絵本のページにはこんな文が書かれていた。
ーーーバムとケロがいっしょなら たいくつな
にちようびも たのしいことばかり!
☆★☆★
『山盛りドーナッツレシピ』
※この分量で作ると馬鹿の量が出来上がります。普通に食べる場合は半分でOK!
材料:
□薄力粉(300g)
□ベーキングパウダー(小さじ3)
□溶かしバター(40g)
□卵(2個)
□砂糖(120g)
□牛乳(60g)
□サラダ油(適量)
□まぶす用のグラニュー糖(適量)
手順:
①薄力粉とベーキングパウダーを合わせ、ふるいでふるう。
②ボウルに卵を割って混ぜ、グラニュー糖、牛乳の順に加えて、その都度混ぜる。溶かしたバターを加え、白っぽくなるまで混ぜる。
③薄力粉を加えて混ぜ、ラップで包んで冷蔵庫で1時間程おく。
④板に打ち粉をし、生地をを置く。薄力粉をまぶし、ラップで挟み、めん棒で伸ばしながら厚さ1㎝くらいにする。
⑤ドーナッツ型で生地を抜く。残りは小さくまるめる。
⑥鍋にサラダ油を入れて160℃に熱し、生地を斜めにそっと入れる。表面が膨らみ狐色になったら裏返し、両面が狐色になったら取り出す。
⑦熱いうちにグラニュー糖をまぶして、皿に山盛りになるように積んでゆく。
⑧ミルク(こだわり)とともに手づかみで食べましょう。二人で食べたらなんでも美味しい!
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