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第10話
「おい、大丈夫か!」
男の声で僕は目を覚ました。
排気ガスとコンクリートの匂い。少し遅れて自分が道端で倒れているのが分かった。派手なスーツの男が心配そうに僕を見下ろしている。視線を走らせると、ボンネットが凹んだ外車が路肩に停まっている。身を起こそうとしたが、体が重くてうまく動かなかった。
「無理するな、車に轢かれたんだぞ」
(車? ……ああ、そうか)
男性の言葉で思い出した。
どうやら車に轢かれたせいで妙な夢を見ていたようだ。
スラックスは破れ、靴は片足なくなっている。ひどい有り様だった。しかし不思議なことに僕の体にはかすり傷ひとつ付いていない。
その後、駆けつけた警察や救急隊員も不思議そうに首を傾げていた。
一応、病院で調べてもらったものの、どこにも異常が見つからなかった。医者まで不思議そうにしていた。
帰り道、僕の思考を支配するのは、ミカエルとの不思議な出来事だった。
あれが三途の川なのかただの夢だったのかわからないが、記憶ははっきりと残っていた。
「変な夢やったなぁ」
きっと常日頃から、仕事中なんかに可愛い子で童貞を捨てたいなどと浮かれた事を思っていたせいだ。
だから、あんな奇妙な夢を見てしまった。
夏の気温は思考を狂わせる。
あの美しい瞳をもう一度見てみたいと願っているのも、夏の間だけだ。
夏を過ぎれば、こんな気持ちはきっと忘れるだろう。
徹夜の予定を切り上げて、一人暮らしのワンルームの部屋へと帰った。
(今日は色々ありすぎたわ。早くゆっくりしたい)
そんな些細な願い事は扉を開いたと同時に砕け散った。
真っ先に僕の視界に飛び込んできたのは、真っ白の羽根。
パイプベッドの上に敷かれたくたびれた布団の上には、人形のような美しい天使が座っていた。
それは間違いなくあの天使ーーミカエルだった。
「やあ、エイジ。君が会いたそうにしてたから、来てあげたよ」
「な……、なんでなん?」
動揺しすぎて、声が震えた。
(夢ちゃうかったんか?)
戸惑いに隠れてほんの少しの喜びを感じてしまう自分がいる。
「だって、君、僕のチンコが欲しいって言うから与えてあげようと思って」
「い、今すぐ出て行けーッ!」
一瞬嬉しいと思ってしまった自分を殺したい。僕は怒鳴ると窓を指差した。
しかしそんな事でこの性悪天使が出ていくわけもなく、ただ楽しそうに笑っているだけだった。
「なんだ、メッタメタのなんとかにしてくれるんじゃなかったの?」
僕の夏の夢はもう少し続きそうだ。
(了)
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