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新社会人編③
「なんで出ないんだよぉ…」
三連休の中日の今日、夕は朝早くから会社の人たちのバーベキューに出かけて行った。
明日は何もないから、今夜こそしようねと言って出て行ったのに、夕は日が暮れても帰ってこなかった。どうにも車で来た人は酒が飲めなかったし、上の人たちを抜いた若い人たちで都内の居酒屋で二次会のような打ち上げのようなものに連れて行かれたらしい。そこから連絡が途絶えた。
悶々として待っていたが、日付が変わる少し前に夕に電話をしてみた。しかしなかなか出てくれない。三回ほど掛け直してやっと繋がった。
『もしもし』
「夕…!?」
『……はい、稲川の携帯です。失礼ですが…そちらは…?』
だ、誰!?電話に出たのは夕とは全然違う声の人だった。
「えっ、えっと、友人です…」
『あー…すみません、稲川君なんですけどちょっと具合悪くしちゃいまして。すみません何度もかかってきてたので取っちゃったんですけど、急ぎの用件ですか?』
「具合悪い!?ってどういう事ですか!?」
『あーー…悪酔いしてるだけなんで心配ないと思いますよ。起きたら折り返しさせますけどそれで大丈夫そうですか?』
「……あの、失礼ですが…?」
『あ、自分は同僚の小林です』
(え?誰??)
俺はその後ずっと、歯を磨いていても布団に横になってもドウリョウノコバヤシという声を反芻していた。
朝の九時くらいになってようやく夕が帰ってきた。顔色があまり良くなかったが、そこまで体調は悪くなさそうだった。眠そうにしながら緩慢な動きで靴を脱いでいる。
「夕、大丈夫だった!?」
俺は玄関に走っていくと夕を支えるように抱き着いた。
「うん、ごめんね心配かけて」
夕も俺に体重を預けるとぎゅっと抱きしめ返してきた。
「今までどこにいたの?」
「昨日、二次会で悪酔いして立てなくなっちゃって…近くに住んでる人の家にお世話になっちゃったんだよ」
ははと苦笑いをする夕と俺の間にはものすごい温度差があった。俺は昨日の『ドウリョウノコバヤシ』の声が再び脳裏に蘇る。
この時、俺は焦りと不安がピークだったのだと思う。夕が知らない人と知らない世界を構築していくこと、自分が置いてけぼりになっている気がすること。そういう不安を上手く言葉にせずに、というかそんな下らない妬みを言ってはならないと思い込んで、結果、夕に言ってはいけないことを言った。
「何にもされてない!?」
「は?」
と夕の動きがピタっと止まった。顔も強張っている。俺はこの時、さも当然のことを聞いていたつもりだった。
「だから変な事されてない!?」
「いや、あの、普通の…男の人だよ」
夕は信じられないという顔で俺を見てくる。
「………」
俺は自分の不安が上手く伝わってなくて戸惑う。夕がどうして自分の意図を汲み取ってくれないのかとイラつきさえ感じていた。
「もしかして俺が浮気したとか思ってるの!?」
けれどそれ以上に夕の言葉には怒りの色が滲んでいた。俺はここでやっと夕の地雷を踏んでしまったらしいということに気づいた。
「お、思わないよ!!」
俺はしまったと思いながら否定する。夕は俺に浮気を疑われていると思っているのだ。無論そうじゃない。そうじゃなくて…。
「で、でも流れで変な雰囲気とかに」
「ならないよ!!なるわけなくない!?」
夕は相当気に障ったのか、珍しく怒鳴っていた。怖い。俺は縮こまった。
「っていうか俺じゃなくてソッチの心配してたの!?」
確かに俺は夕の体調を気遣う言葉をかけなかったかもしれない。真っ先に言わなきゃいけなかったのに……。もちろん、体調は心配していた。けれど朝帰りしてきて知らない男に電話を取られた俺の気持ちも慮って欲しい…。
「いや、違うよどっちも」
俺の言葉を遮るように、
「ハルってほんとにそーゆー事しか考えないんだね。そんなに男が好きな人がいるわけないじゃん!」
と言われてしまった。
「それは……そうだけど」
「がっかり」
(えーーーーーー!!)
冷たく言われて頭を殴られたような衝撃が走る。
「とりあえず俺ちょっと寝るから。起きたら家のことやるから」
怒った口調で言いながら夕は俺をどかすと部屋の中に入っていく。
「それは別にいいんだけど...じゃあ、俺買い物行ってくるね」
俺は半ば涙目、涙声になりながら告げたのだが夕は慰めてくれなかった。
「...........」
夕は返事もしないで階下に降りて行った。
外に出ると爽やかな青空だった。それが余計に心をもやもやさせていく。俺は夕にキレられたショックと怒りで泣きそうになっていた。
そんな怒ることなくない!?恋人が朝帰りしてそういうこと心配するの普通のことじゃん。心配させない努力するのが普通じゃん。夕の方が悪いじゃん。なんで俺がキレられるの!?
ついにじわっと涙が滲んできてしまった。
俺だって色々誘いを断ってきて夕が嫌な思いしないようにしてるのに!!そりゃ仕事の範囲かもしれないけど、もうちょっと気を使ってくれても良くない!?
俺はなんだか疲れてしまって近くの公園のベンチに腰を下ろした。まだ早いのかあまり人がいない。犬の散歩をしている人が通りがかっただけだ。
「...........」
しばらく誰もいない公園で滑り台や砂場を眺めながらぐすぐす泣いていたが、無意味だと気づいて涙を拭いた。
(春ももう終わりだなあ)
近所にあるこの公園は大きくはないが、桜が数本だけ立っている。お花見とまではいかないが、桜の時期には夕と一緒に散歩に来た。桜を見に来た時は平和だった。あの時は入社前でナーバスになっていた夕を俺が励ましていた。夕なら大丈夫だよ!だめだったら辞めちゃえばいいよ!って。まさか夕が会社にのめり込むとは思わなかったな。
気づくとファミリーばかりになってきて俺は虚空を見上げながら涙ぐんでる不審者になっていた。居た堪れなくなって公園を出ることにした。
(家族かあ)
結婚とかできたらこういう不安なくなるのかな。でも結婚ってそういうことのためにするもんじゃないよね。夕は子供が欲しいとかないのかな。
これから社会の中で色んな人に出会って、世界がもっと広がって視野も広がって、夕の価値観は変わっていくだろう。
やっぱり普通に女の人と結婚して子供が欲しいとか思ったらどうしよう。そんな話ゴロゴロ転がっている。そもそも夕は男が好きかどうかも怪しい。性的なことにもそこまで興味がないので男の体じゃないとダメという確信がない。
(怖い……)
夕のこと信じてあげられない自分が嫌だ。でも今までも陽也だけだよと散々言っていたのに、好きな人ができただの他の人とやっちゃっただので振られたり振った事が何回もある。
俺は思い出したくない過去を思い出してしまい、発狂しそうになった。
だめだ、このままじゃ!思考がマイナスになってる!!
「遊びに行ってやる!!」
俺は久しぶりに友人に会うことにした。
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