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 一人でホテルのエントランスに入る時、いつも少し緊張する。  さっと身だしなみをもう一度確認し、誰にもばれない程度に呼吸を整える。  ポーカーフェイスは得意だ。今までも、自分の感情なんてものは置き去りにして現実だけにしがみついて生きてきた。きっとこれからもそうなる筈だ。悲しいとか辛いとか考えることは少なくなったし、そのせいか、素直な感情を表現することも少なくなった。  ――ちょっと、特殊な人だけど、ナギサくんなら任せられると思うから。  苦笑いでオーナーが渡してきた資料を一読した汀は、さすがに若干眉を寄せた、と思う。ただ、愛想笑いが染みついてしまったせいで、少しばかり浮かべた不快感と不安がオーナーに伝わっていたかまではわからない。  ――一応、事情は聞いたし、ちゃんとご本人の身分証も確認したから。  ――ごめんねぇ、満子さんの頼みでさぁ。  続けられた言葉のせいで、もうあきらめるしかない事を知る。満子は店の太客で、そしてオーナーの友人で、汀にとっても無下にできない女性だった。  何かあればすぐに連絡するように。オプション外のプレイは絶対に断るように。一応防犯グッズは鞄に入れておくように。  いつもよりも入念に心身の安全を確認されて、思わず笑ってしまった。  汀は決してひ弱なタイプではないが、確かに、今回の客に関しては多少用心しすぎるくらいでもいいだろう。いざとなれば自分の方が身体的に有利だ――という確証がないのだから。  何食わぬ顔でホテルのエレベーターのボタンを押す。このホテルのフロントは二階で、一階のエントランスからはフロントを通らずに直接部屋に上っていける。  同乗した女性二人組は三階で降りるらしい。彼女達の為に扉を押さえ、軽く笑ってどうぞと道を開ける。礼を告げる甲高い声は、扉が閉まった後に汀の見目の評論を始めることだろう。自分が顔の良い部類である、という事実は、最近やっと受け入れられるようになった。  五階で降りて、部屋番号を確認する。  誰も居ない午後のホテルは静かだ。 「――五〇六」  口に出して呟いてから息を吸う、吐く、もう一度吸ってから覚悟を決める。誰が出てきても驚かないように。きちんと最後まで仕事をこなせるように。まずは感じよく笑って挨拶、その後はオーダーシートを確認しながらのカウンセリングだ。今日はいつもと勝手が違うせいか、この仕事を始めた時のような緊張感があった。  仕事用のスマホを取り出し、メッセージを打ち込む。部屋の前に着きました、と送信した瞬間に既読がついて、今日の相手は時間に厳しい人なのかな、と思う。予定の時間の三分前だった。  すぐに扉が開き、そして――。 「……あ、『フェティッシュ』のええとー……ナギサくん?」  ドウモ、サヅカデス。  と、妙に平坦な声を放り投げてくるその人は、汀が想像していた陰気さも軽薄さも持ち合わせていない、とても普通の男性だった。

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