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ここ数年の記憶の中でもトップクラスの、とんでもない失態だった。
「おまえ、それ、病院行った方がいいんじゃねえの……」
せめて笑い飛ばしてネタにしてほしい、という気持ちで自虐気味に洗いざらい吐き出したというのに、懇意の同僚は心底ゾッとしたように両腕を摩る。
「え、なに、病院? 病院って頭の?」
「ばっか、ちっげーよ身体だよどう考えても過労だろうがよぉ~。そら一発抜いた後はぐったりするけどよー寝ねえだろ普通……金払ってチンコ扱いてもらってる間に……」
「いや間は起きてたって。出したら寝た」
「本能に忠実っつーか、佐塚お前まじで働きすぎだわ……休めよ……」
「休んでいいなら休みたいけど、おれがいま休んだら来月のリリースが二本落ちる」
「奇遇だなァ! 俺もだぜ盟友~!」
「……瀬羽の方が休んだ方がいいんじゃないの? 目、充血してて気持ち悪いけど。おれより先に瀬羽が死にそう」
「安心しやがれ、俺ァあれだ、『料理上手な彼女VRハイパーデラックスパック』を出すまでは死なねぇからよぉ……」
「料理AVに命までかけてんの、世界で瀬羽だけだよな」
「足フェチ宇宙人に言われたかねーぜ」
ぎゃはは、と、耳に痛い笑い声が響く。二人しか居ない元喫煙室は、瀬羽の下品な笑い声で満ちた。
満子の時も思ったが、佐塚の周りの人間はとにかく派手に笑う事がうまい。その勢いで先週の失態も笑い飛ばしてほしかったと言うのに、普通に心配されてしまってより一層情けなさだけが募ってしまう。
女性向け風俗店のサービスを受けている最中に寝落ちた。
佐塚自身、できることならば笑い飛ばしたい。しかし思い出すたびに心配そうに揺り起こしてくれた青年の顔がちらつき、『いやぁ、今後の酒のネタができたな』などとは思えなくなる。
ナギサはあまりにも好感度の高すぎる青年だった。
しかも仕事に対しての姿勢がとにかく真面目だ。ああいう仕事は普通の職場になじめない野郎が行きつくものだろう――という偏見が少なからずあった佐塚だったが、考えを改めた。
あんなに真剣にきちんと仕事をこなしてくれたというのに、佐塚が笑い話などで茶化すわけにはいかない。笑えなくなるともう、ただひたすらに情けなく、そして申し訳ないという気持ちだけが残る。
――お疲れの様子だったので、すいません、そのまま寝かせちゃいました。起こさなかったのは僕なので、料金は最短コースのぶんだけで大丈夫ですよ。
――取材には、ええと、ご協力できたかわかりませんが……。
――やっぱり、起こした方が良かったですか?
申し訳なさそうに首を傾げるイケメンを前に、しっかり身体を清められた全裸の佐塚が言えることなど何もない。ただひたすら謝り倒すだけで精いっぱいだった。
疲労の自覚はあった。
常に睡眠が足りていなくて頭は重いし、当たり前のように瞼は痙攣するし、倦怠感と肩こりは取れたためしがない。
アロママッサージの段階から、やばいかもなぁとは思っていた。思いのほかナギサの手つきがエロくてそういう気分になってしまい、逆にありがたかったくらいだ。
足から腰回りの施術が先で良かった。いや良くなかったのだが、少なくともいきなり寝落ちるような失態は避けられた。
気持ちよく肩こりをほぐされていたら、性感マッサージを受ける前に夢の中に落ちていただろう。
医者に行け、と、瀬羽が心配するのも無理はない。
寝る間も惜しんで連勤、というほどではないにしても、日々の疲れを清算できるほどの休息は取れていない。
(いやぁ、でも……添い寝、ちょっと良かったな)
目が覚めたのは性感マッサージが終わる予定時間の十分前で、まだ少し時間があるから、と、横になったままナギサに抱きしめられてしまった。
背中からぎゅっと抱擁されるあの満足感は、正直よろしくない。そういえば佐塚は誰かに抱きしめられた記憶がない。
一応付き合ったことのある女性は抱擁を求めてくるタイプで、男性を甘やかしたいというような欲望はなかったらしい。家族は昔から放任主義でべたべたとハグをするような関係ではないし、思い返せば初ハグだった。
バージンハグ添い寝だな、と思ってそのまま口に出してしまい、ナギサの腹筋が震える程笑わせてしまった。ぴったりと肌を密着させていたから、彼が声を出すたびに些細な振動をすべて感じた。
(向こうがしてくれるなら、頑張らなくていいんだもんなー)
結局佐塚はナギサのサービスをほとんど受けていないが、それでも受け身の快感はしっかりと残っている。
男女の性関係では、どうしても男があれこれと動くことになる。勿論その逆が良い、というカップルもいるにはいるだろうが、基本は男がリードする形になるだろう。
キスをして、服を脱がせて、愛撫して、挿入して、腰を打ち付ける。そのすべてが正直面倒くさい佐塚にとって、完全受け身の性行為はかなり新鮮で、思いのほか気持ちのいいものだった。
勿論、佐塚がマグロ状態で良かったのは、ナギサが性的快楽を提供するプロだったからだが――。
あれは確かに流行る。気持ち良かったし気分も良かった。
好感度の高いイケメンに優しく扱われ、ちやほやされ、褒められ煽てられその上気持ちよくしてもらえる。昨今女性向け風俗店は増えていると聞いたが、『まぁ流行るよわかる』と無駄に共感してしまった。
「で、新企画の方はどうなん?」
ぬるくなった珈琲を飲み干した佐塚に、瀬羽はにやにやと問いかける。
「……あー。まあ、女性客が求めてるものは、なんとなーくわかったけど。要するにイケメンとラブラブエッチがしたい、んだと、思う、けどAVでどうやってその欲求を満たすのか全然わかんないな……」
「もう普通に撮ったらいいんじゃねえか? 普段の作風が評価されての抜擢じゃねえの?」
「うーん。そうかなぁ、どうかなぁ。ミツさんは『佐塚作品は中出ししないから女が見やすい』って言ってたけど、それってつまり消去法だよなーと思うし、打って出る程の魅力じゃないでしょと思うんだけど」
「あー。中出しされたい~顔にぶっかけられたい~なんて女そりゃそうそういねーか……。行き詰ってんなら飲み行くかぁ? みっちゃん誘ってよぉ~。休んだら積むが仕事帰りに飲みニケーション談合する時間くらいはあるぜぇ」
「え、今日?」
「んだよ、仕事以外で予定なんかねーだろ佐塚」
「あるよ。失礼だな、って言いたいけどまぁ普段はないよ。今日は駄目、リベンジの日だから」
「え。また女風呼んだのか!?」
「ていうかおれが頼み倒した。あんまりにも申し訳なかったから」
「おっまえ変なとこで真面目だよなぁ……客なんだから多少好き勝手やらかしても別に良いだろうがよ、どうせもう会うこともねーんだし」
瀬羽の言うこともよくわかる。
どうせもう会うことはない。……だからこそ、もう一度くらいは彼に会ってもう少し話してみたい、と思っただけだ。
思いのほかお互いが多忙であり、すぐに予約することができなかった。どうにかねじ込んだ予定は今夜の二十時から。
ホテルを予約するのも面倒で、結局佐塚は今回、ナギサを自宅に迎えることにした。
客の家なんかに行って大丈夫なのか、と少し不安になったが、よくよく考えてみれば通常のデリバリーヘルスは自宅へ赴くこともある。
呆れる瀬羽の雑談からするりと逃げた佐塚は、残っていた雑用を片っ端から片付け、来週の撮影スケジュールをスタッフに共有し、撮影スタジオの予約を入れ、小道具と必要なもののリストを作ってから帰り支度をさっと済ませ、予定よりも十分押しで会社を出た。
速足で歩く。冷えた空気が頬を撫で、耳がすこし痛くなる。
どの季節も特別好きではないけれど、憎む程の理由もない。しいて言えば夏はよく倒れるので、冬の方がまだマシだ。
電車を降りて目の前のコンビニに向かって真っすぐ歩く。佐塚は料理ができない。故に夕飯は、外食かコンビニでどうにか回している。スーパーの方が安いことは百も承知だが、営業時間内に最寄り駅まで帰って来れる事など稀すぎて、ここ半年ほどはほとんどコンビニ弁当で生きていた。
幕の内弁当いい加減飽きたな。
と思いながらコンビニに入店する手前で、不意に名前を呼ばれて足を止めた。
「佐塚さん!」
「…………え、ナギサくん?」
振り向いた佐塚の視線の先には、息を切らせて駆け寄ってくる背の高い青年がいた。
比較的シンプルな実用的なブルゾンに、色の薄いマフラーを巻いている。身体のラインが見えない服を着ていてもしっかりとイケメンだ。
「あれ。待ち合わせってこの先のドラッグストアじゃなかったっけ? おれ、駅って言った?」
「あ、いえ、ドラッグストアで合ってます。ちょっと早く着いちゃったんでこの辺うろうろしてたら、その、佐塚さん見つけちゃったので、つい」
「よく見つけたね。この駅わりとヒト多いし、おれなんか雑踏に紛れたら背景のモブくらいわかりにくそうなのに」
「そう、ですかね……佐塚さんは目立ちますよ。すぐわかったし」
「ナギサくんは目がいいね」
偶然とはいえ、さくさくと合流出来たことはありがたい。待ち合わせ特有の現在地の確認のやりとりが、いつも絶妙に面倒くさい。
じゃあ一緒に買い物でも……と提案してから、コンビニ内ではたと気が付く。
「……店外で一緒に買い物とかしたいときって、落ち合った瞬間からカウント始まるんじゃなかった……?」
たしか、フェティッシュの利用料金表にはそのような記載があった。
ホテル、または自宅で落ち合った場合はシャワーを浴びる時間、または入室二十分後の時間、そのどちらか早い方からカウントが始まる。しかしセラピストと事前にデート、食事、買い物をしたい場合は落ち合った時間から利用時間のカウント開始となる。
恐る恐る時計を見る佐塚の横で、デザートの棚を覗き込んでいたナギサは、少し気まずそうに視線を逃がす。
「あー……まあ、そうなんですけど。今回はノーカンでいいと思います。僕から声をかけたわけですし、たぶん誰にも言わなきゃばれないんで」
「いいの? 特別対応しちゃっても」
「本当は駄目です。あの子は良いのに私はどうして? ってお客様が出てきちゃうし、不公平って一番常連様に嫌われる要素なので。……でも佐塚さんは今後常連になるわけでもないですし、本当に今回だけですから」
今回だけ。
言われてみれば、確かにその通りだ。
そういうことならばとナギサの言葉に甘えることにして、佐塚は適当に夕飯の買い物を済ませる。明日の朝のパンと冷凍パスタと切り干し大根の煮物とポテトサラダのパウチ。あとは適当なアイスとプリンをぽいぽいとかごにぶち込み、さっさと会計を済ませると珈琲を二つもったナギサと合流して歩き出した。
当たり前のように自分で買ったホットコーヒーを差し出してくれるナギサに、さすがに佐塚は苦笑いを返す。
「……セラピストの食べ物も客持ちじゃないの? 立場が逆になってるじゃない」
「いいんです、今回だけですから。それにまだカウント始まってないんで、佐塚さんと僕はただ同じ方向に用事があるだけの他人です」
「言い訳がうまいの、なんか、いいね、ずるくて可愛い」
「…………ずるいのってかわいいんですか?」
「可愛いよ。言い訳ばっかりの人はさすがにうざったいけどね、普段はちゃんとしてるのにちょっとだけ言い訳がましい子供っぽさが出ちゃう人とか、可愛くない?」
「あー……ギャップ萌え、みたいな?」
「そうそう。すらっとしてシャキッとしている好青年が、ちょっとくらいバレませんってしれっとズルするのは可愛いなぁ、って思うよおれは」
「………………佐塚さん、あの、えっと、なんか今日なんでそんなにぐいぐい来るんですか……」
「え? あ、ごめん、そんなつもりは微塵もなかったけど。ナギサくんこそ今日はなんだか控えめだね」
「だってまだ、仕事前だからー……」
つまり素の自分だから、ということだろうか。ベッドの上であんなに佐塚を翻弄した青年は、今はただの二十五歳で、甘い言葉を吐くサービスはまだ始まっていないのだろう。
別に揶揄ったつもりはない。毛頭ない。
ただ思った事をさらさらと口に出しただけだが、そういえば自分は宇宙人と呼ばれる変人だったとふと思い出す。何が他人の機嫌を損ねるかわからないのだ。
ごめんねとさくっと謝って、あとは適当な仕事の話に切り替える。コンビニから佐塚のアパートまでは五分程度で、特に盛り上がるような時間もなく、すぐに着いてしまった。
「人をお招きするようなところじゃないんだけど……」
これは本心から言った言葉だ。
佐塚の部屋は決して散らかっているわけではない。むしろきれいな方だろう。ただ、そのきれいさは『物がしっかりと整理されている』というわけでも、『お洒落でセンスがある』というわけでもない。
シンプルに『物がない』のだ。
さすがにパソコン周りは少々ごちゃっとしているが、それ以外の目立った家具がほとんどない。敷きっぱなしのマットレスと布団以外は、折り畳みのローテーブルがあるのみで、テレビも本棚もない。
かろうじておいてあるモノトーンのカラーボックスには、仕事で使う資料とDVDが突っ込まれているだけだ。
何か言いたげに口を開いたナギサはしかし、一度言葉を飲み込んでから苦笑した。
「…………なんかこう、佐塚さんの部屋、って感じがしますね」
「いいよ、別に気を使わなくても。たまに泊まりにくる同僚なんか、毎回新鮮にどん引いてくれるよ、『人の住む部屋かよ』って」
「あはは。確かにちょっと、生活感が無さ過ぎて怖いっちゃ怖いですけど……でもやっぱり佐塚さんの部屋って感じする。僕は結構好きです。単純に汚い部屋より、きれいな部屋の方がありがたいですし」
「あー……ね、うん」
普段若い女性とそれなりにやりとりする佐塚だからこそ、ナギサの苦笑の意味もなんとなく理解できる。女性だからと言って、全員が綺麗好きなわけでもないし、毎日風呂に入るわけでもないのだ。
「佐塚さんのカウンセリングは前回とほとんど変わらないと思いますけど、どうしましょうか。とりあえず何か食べます?」
「食ったら寝そう」
「……じゃあご飯は後まわしにしましょう。大丈夫? おなか減りませんか?」
「夕方にメロンパン突っ込んだよ。なんもない部屋だけど、さすがに冷蔵庫の中には食うものくらいあるから」
「おなかすいたら、いつでも言ってくださいね。じゃあ、さっそく始めちゃいますか?」
「そうだね。あ、でも今回はちょっと、お願いしたいことがあるんだけど」
一緒に、お風呂に入ってもらえませんか?
佐塚が真正面から見上げてそう言った時、何故かナギサは少しだけ気まずそうに目を細めたが、すぐに表情を緩めて『いいですよ』と柔らかく笑った。
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