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フェティッシュの施術は、まずはカウンセリングから開始する。
事前に記入してもらったオーダーシートを参照しながら、NG行為や希望のプレイの打ち合わせを行う。
女性向け風俗店に置いて、この確認作業はとても重要だ。
こちらは男、客は女性である。『嫌だと言ったのに押し切られた』『抵抗したのに聞いてもらえなかった』等のクレームがあった場合、最悪警察沙汰になりかねない。
「あー。わかる。ウチも女優さんには結構気を遣うし、事前の打ち合わせもきっちり書面でやるもの」
タブレットに表示されたオーダーシートを覗き込んだ男性は、汀が零した裏話に軽い調子で同調する。佐塚の声は、なんだか妙になだらかで心地いい。
「気配りが必要な世の中ですからね。その方が良いんでしょうけど、正直ちょっとだけ面倒臭い時もあります」
「そりゃこんだけ確認事項あったら、面倒だ」
「佐塚さんのご希望は『普通の女性に対するような一般的な接客』とのことですが――」
AVの取材の為に、風俗店の接客を受けたい。
佐塚からの要望はそれだけで、あとは基本的にお任せでいいと言う。
オーナーからこの話を聞いた時は、正直耳を疑った。女性向け風俗店は男性の利用をお断りしている。あくまでも『女性専用』の店なのだ。
フェティッシュはオプションにかなり幅があり、お客様が希望するのならば三人でのプレイも可能だ。女性が望むのならば、セラピスト同士でキスくらいはしてみせるが、『男性の客』に対して接客したことは今まで一度もない。
満子とオーナーが心配いらないと太鼓判を押している上に、実際に対峙した佐塚という男性は、想像していたよりも身ぎれいできちんとしている。
女性らしさは一切ない。どこをどう見ても普通の成人男性だ。
ただ、髭が濃いわけでもなく、男臭いわけでもない。ガチムチのおじさんが来たらどうしようかなぁと思っていた汀にとって、佐塚の小奇麗な身なりは正直なところありがたかった。
ゲイに対しての偏見はない――と思う。
けれど仕事としていつもどおりのプレイができるかどうかと言われると、不安がないとは言えない。
この仕事を初めてやっと一年と少し。漸くどんなお客様が来ても笑顔を絶やさずに対応できる、と言える程度にはなってきたものの、汀は自分の事をプロだとか有能だとは微塵も思っていない。ただ、我慢が得意なだけだ。
昔から、諦めることには慣れている。あまり幸福とは言い難い環境で育ち、現在も些細な苦悩から逃れられない毎日だ。
辛抱強く話を聞き、言われたい言葉を察し、とにかく精一杯愛しているふりをする。言うほど簡単な仕事ではないが、汀にとっては比較的楽な作業だった。――幸せなふりをすることも、昔から、慣れている。
佐塚は特にNGもなく、何処を触ってもらっても平気だしキスも平気だと言う。
「――取材が目的でしたら、何も実際にプレイしなくても、僕がわかることであればお話しますが……」
「あー、いやー、おれあんまり理解力が飛びぬけてる方じゃないっていうか、言葉で言ってもらっても納得しないと全然身にならないっていうか、とにかく体験したほうが早そうだと思うから。ナギサくんが嫌じゃなければちょっとだけ我慢して、うん、二十五歳OLだと思ってもらえたらと――」
「笑っちゃうからやめてください。そのネタ気に入っちゃったんですか?」
「いやぁ、こう見えて結構緊張しちゃってて。テンパってるときって、どうしてくだらない事を口走っちゃうんだろうね」
「……佐塚さん、緊張してるんです?」
「え、してるよ。だっておれ、こういうとこ来たの初めてだし、普通の男用のデリとか風呂も経験ないから」
「……………」
意外だ。
というのは職業差別だろうか。
迂闊なことは口にしない癖がついている汀がとっさに黙ると、察しのいい佐塚は口の端を少しだけ吊り上げて目を細める。
意外だ……この一見朴訥とした男性は、割合よく喋るし、笑うと少し色気が増す。
「AV作ってる野郎なんかエロエロ絶倫男だろ、って思ってた?」
「……ええとー……はい、実は、ちょっとだけ」
「そういう人もいるけどね、おれは別にそうでもないよ。別に、エロが嫌いってわけでもないけど、特別好きって感じでもないかなぁ。ナギサくんだって、女の人大好きエロエロマンってわけじゃないでしょ?」
「はぁ。そうですね、確かに……こういう仕事してると、逆に性欲と冷静に向きあえるようになる、みたいなところあります」
「そう、それ。毎日見てるとさ、案外ただの風景になっちゃうよね、裸体とか」
非常にわかる。大変共感できる。
とはいえ汀は今、接客中である。風俗業界あるあるで盛り上がりたい気持ちをぐっとこらえ、施術開始のタイマーをセットした。
今回の佐塚の予約は百五十分コースだ。
まずは交代でシャワーを浴び、きちんと身体を清めてから施術を開始する。
きちんと下着を着用してバスルームを出た汀は、ベッドの端で壁を見つめている佐塚と目が合い思わず笑ってしまった。……どうやらこのAV監督は、本当に心から緊張しているらしい。
「……そりゃ緊張しますよ。人前で服脱いだのも何年ぶりかわかんないんだから」
「こんな言い方はアレなんですけど、男同士なんでリラックスしてください。まずは全身のアロママッサージから始めますね。これは性感マッサージじゃないんで、本当に楽にしててください。ええと……ちょっと甘めの雰囲気の方がいいんですよね?」
「はぁ、うん、そうしてもらえると大変参考になる」
「了解しました。それじゃあ、口説きながらやりますね」
普段はこんな確認をしたりはしない。流れでなんとなく雰囲気を探るが、佐塚に関しては例外すぎていまだに流れがつかめない。
二十五歳OLだと思って、というのはさすがに無茶だ。もう仕方ないので、普通に性感マッサージを受けに来た客だと思い込む他ない。
下半身にタオルを巻いてもらったまま、ベッドにうつぶせになってもらう。手のひらで暖めたオイルを足に延ばし、つま先から心臓に向けてゆっくりと指圧を始めた。
当たり前だが女性よりも硬い。けれど佐塚の足の筋肉は心地よく、女性の足よりも安心して指圧できる。
「結構むくんでますねー……くるぶしのとこ、気持ちいい?」
「…………うん。ちょっとぞくっとするなぁ」
「骨、ゴリゴリすると、敏感な人はもう感じてくれますよ。あ、ほら、力入れないで、リラックスしてください……痛くないですか?」
「痛く、は、ない、けど、恥ずかしい……」
「え。まだ何もしてませんよ。踝ゴリゴリしてるだけです」
「そうなんだけどー……なんだろうこれ、声? かな……ナギサくんの声、デロデロに甘くてよくないね……これは確かに女の人はメロメロに――っ、んっ……、!?」
「……ここ、リンパが溜まりやすいところなんですよ。つけねのところ。結構つまってますね……痛くない?」
「痛く、ない、けども……っ、ナギサくん、最初は普通のマッサージだ、って言ってなかった……!?」
「普通のマッサージですよ。太ももの付け根と膝のうらはこうやって軽くこりこりすると、リンパが流れやすくなるんです。エロくもなんともないマッサージです。……佐塚さん、もしかして、すごい感じやすい人?」
「え、わっかんない……おれあんまりマッサージとかも行かない、待っ、駄目、ほんと待って一回仕切り直そう、駄目って言っ、……っ」
「…………どこ押しても気持ち良いんですね。え、かわいい……」
「かわいか、ない、よ、おれ百七十センチ超えてる……」
「かわいくてエロいです。なんか、ぐっとくる……首も駄目? 耳もくすぐったい?」
「……………ッ、!?」
触れるか触れないかの軽さで、熱を持った耳に指を這わせる。うつぶせの状態から身体を起こそうとしていた佐塚は、ビクッと震えると、そのままベッドに沈み込んでしまった。
まずい、と思う。
まずい、かわいい、楽しい、えろい、悪くないどころかたまらない。
低めの男性の声が裏返る瞬間の吐息が官能的だ。彼の押し殺した息の余韻が甘く耳を掠り、すっかり忘れていた欲情を思い出させる。
背中から佐塚に寄り添うように覆いかぶさり、足を絡めて熱い耳に軽く歯を立てる。尾てい骨をぐっと親指で押すと、それだけで背中が震えるのがわかった。
どこもかしこも、驚くほどに感じやすい様子だ。
「ナギサく……普通の、マッサージはどこに行っちゃったの……」
「んー……予定変更です。お客様のご要望によっては、アロママッサージを短縮したり飛ばしたりすることも可能ですから」
「おれはべつに、要望とか、言ってない……」
「……本当? だって佐塚さん、勃ってるじゃないですか」
「………わぁー…………」
心底恥ずかしい。といった様子で佐塚は両手で顔を覆ってしまう。
「え、待って待って、顔見せてください、かわいい」
「三十三歳……三十三歳だよ……ただのマッサージで勃起する救いようのない三十三歳独身男性がかわいいわけがない……」
「すごい三十三歳って言いますね、でもかわいいのは本当ですから撤回しませんよ。気持ちよくなってもらって嬉しいです。それが僕のお仕事ですから。……ね、ほら、腰の骨も弱いんですね。――もっと気持ちいいところ触ったら、どうなっちゃうんですか?」
「っ、ナギサ、くん、そんな……清楚王子みたいなツラしておきながら言葉責め機能搭載してるんだねぇ……本職すごい……」
「佐塚さんは、恥ずかしくなっちゃうと現実に無理やり戻ろうとしますよね。駄目ですよ――えっちなことしてるときは、馬鹿になっちゃわないと駄目です。ね、ほら、ここ」
「……っ、」
「触っていいですか?」
鼠径部を中指で撫でる。その先にある性器を嬲る許可を求め、汀は佐塚のうなじに何度も口づけた。
ベッドの上では馬鹿になるべきだ。現実など置き去りにして、ただ熱に溺れてもらう。それが汀の仕事だ。そのためには多少卑猥な言葉を吹き込む必要もある。
許可を求めるのは単純に嫌なことはしないというポリシーと、羞恥を煽る目的もある。触っていいか、舐めていいか、弄っていいか――これを許可することによって、羞恥心と快楽はより高まることだろう。許可をするということは、その行為を求めているということだ。
汀の懇願に、佐塚はしばらく躊躇した後に頷く。
許可を得た汀の手は、滑らかに滑り落ちて佐塚の芯を持ち始めたものを軽く撫でた。
「ん、っ……」
「佐塚さんの、あっついですね……結構でかい……もっとちゃんと触ってもいい?」
「……その、全部口に出しちゃうのって、そういうマニュアルがあるの……?」
「秘密です。でも、もし不快なら止めます」
「…………不快じゃない、です。あー……もう、なんだこれ……年下の男の子に攻められてチンコおったててるなんてー……」
「僕は、僕の手で佐塚さんがエロくなってくれてるの、嬉しいですよ。どこ触ってもいい反応返してくれるから、楽しいです。こことか、ゆっくり撫でられると、ぞくぞくしません?」
性器の裏筋を緩やかに撫で上げると、佐塚の身体が強張る。本当に感じやすい人だ。
「……っ、……」
「声、出しても良いですよ。ほら、だんだんぬるぬるしてきました。見えますか? 先っぽ、好き?」
「ふ……っ、…………」
「……何? ちゃんと言って?」
「…………もっと、扱いてほしい、です……ぁ、握って、そう、ぁ、待って、駄目、待っ――ん、ふ、」
言わせたい事だけを言わせた後、汀はその口をキスで塞ぐ。佐塚の唇と舌は想像よりも十分に柔らかく、その上存分に上手い。
短い息継ぎを与えながらも、一切容赦なく舌を絡めて息を貪る。勿論性器を扱く手も止めることはない。どんどん溢れる体液で手の滑りはよくなり、次第に濡れた音が混じり始めた。
かわいい。気持ちいい。たまらない――汀が現実を手放しキスに没頭しそうになる手前で、ついに佐塚は降参するように体の力を抜き緩やかに果てた。
ゆっくりとキスを終えて、息を整える。
べたつく他人の精液をティッシュでふき取り、大丈夫ですかと声をかけようとしてやっと、その人の異変に気が付いた。
「…………佐塚さん? え、うそ」
反応がない。恥ずかしがっているとか、呆然としているとかそういう雰囲気ではない。ぐったりとベッドに身を沈める男性は、死んだように目を閉じたまま――明らかに眠りに落ちていた。
寝た。この人、出張風俗を呼んでプレイ途中に射精してそのまま寝た。
「…………えええ……」
今まで、とんでもない客にぶち当たる経験はそれなりにあった。マッサージ途中に寝てしまう女性もいた。けれど性感プレイ中に寝る人間はさすがに初めてだ。
起こして良いものか。起こすべきなのだろうが、しかし。
健やかに寝息を立てる佐塚をよく観察してみれば、絶妙に顔色が悪い。そういえば事前のカウンセリングで寝不足と疲れがひどいと言っていた。……単に働きすぎなのではないかと思うのだが、そんな人をたたき起こしてもいいのだろうか。
「あー……どうしよ、これ……」
途方に暮れる。
その感覚を久しぶりに味わった汀は、しばらく、佐塚の寝顔をただ茫然と見つめていた。
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