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第1話 嫌いな優しい男
嫌いな優しい男
「新谷さん、すみませんっ! 大和製薬さんとの契約駄目になりました……!」
後輩の日浦が泣きそうな顔で頭を下げる。新谷朝陽は、はあとため息をついた。
「なんで?」
「そ、その、うちよりもっと安いところが見つかったからって」
「変に安いところに頼んで情報漏洩でもしたらどうするんだ? 安全を考えるなら堅実なうちと契約した方がいいって話したか?」
淡々と言葉を紡ぐ。きっとこの後輩のことだ。相手に押し負けたのだろう。せっかく朝陽が取ってきた契約だったのに、引き継いだ途端それをあっさり駄目にするなんて。
──なんでいつまで経っても成長しないんだ? こいつ。オレがどれだけ努力していい顔作って、契約にこぎつけたと思ってるんだ。
「話せませんでした……すみません……! その、相手も金銭面で困ってて」
「……日浦、営業来て何年だっけ」
「二年です……」
「二年の間で切られそうになった時の言い回しくらい自分で考えなかったのか? そんなものいくらでも経験してきたんだから、事前に予想できただろ」
「っ……」
結局、この後輩は努力を怠ったのだ。朝陽が嫌いな人種である。
「もういいよ。努力しないやつに何言っても無駄だ」
──ああ、本当苛つく。
デスクに向き合って、新しく売り込めるような会社を探す。朝陽の会社はクライアントひとつひとつに合わせた顧客管理アプリを開発して企業に提供をしている。
朝陽は設立年数が古そうなリストアップしていた会社から候補をひとつに絞る。最近開発されたばかりの、既にあるアナログデータを瞬時にデジタルデータへ移行するアプリはこういった企業によく売れる。さっそく会社の概要から経営理念まで、できうる限りの情報を仕入れて営業メールを一本打った。
──これくらいのこと、普通にしろよ。日浦のやつ、下調べが甘いから失敗するんだ。
努力とは、こういうことだ。できる限りのことを考えて先手を打って、結果を出す。それくらい、凡人であろうと誰でもできることだ。それなのに大多数の人間は努力をしない。朝陽はそれが許せなかった。人間は努力するべきだ。それが当たり前のことで、疑う余地などなかった。
「お疲れ様です~。差し入れを更におすそ分けに来ました~」
呑気な声が辺りに響く。朝陽と同じ年に入社した津島一郎だ。彼はアプリのデザイン面を担当しているデザイン部の人間だ。何があっても怒ることのない優しい性格から、『菩薩』と呼ばれている。
「津島さん~! すみませんいつも!」
「わ、これ『パラディ』じゃないですか! 嬉しい~!」
女性社員がきゃあきゃあと言いながら津島を取り囲む。
──うるさいだけの給料泥棒。何か食べるなら仕事中はやめろよ。
口に出したら悪口になるので決して言わずに、心の中で呟いた。
「あれ? 日浦くん元気ない?」
「あ……すみませんっ、なんでもなくて……!」
先程朝陽が切り捨てた後輩の落ち込んでいる様子に気づいた津島が、菓子を二個後輩に差し出す。
「はい、甘いもの食べてリラックスしな? お菓子好きって言ってたよね?」
「あ……ありがとうございます……!」
後輩は嬉し涙を浮かべながら菓子を受け取る。どこまでも甘い男だ。
──だらだらしてるくせに仕事はしっかりしてるから、余計腹立つ……!
「津島さん優しい……! 日浦君ちょっと落ち込んでたんですよ。契約切られちゃって」
「そっかあ、大変だったね。切られるの辛かっただろ」
「はい……相手も資金不足で泣く泣くって感じだったので……」
「いつまで無駄話してるんだよ」
朝陽の冷静な声が辺りに響く。しいんと静かになった空気を打ち破ったのは津島だった。
「ごめん、新谷も息抜きに菓子食べない?」
「いらない。休憩時間以外に休憩したくない」
「そっか。じゃあ家に帰ったら食べてよ。邪魔してごめんね」
そう言って津島はデスクに個包装の菓子を置いて去っていった。
朝陽は津島が嫌いだった。津島にはデザインができるだけのセンスがある。センスだけは努力でどうにかなるものはない。彼はその天賦の才で、同時期入社メンバーの中で一番仕事をこなしていた。
努力しかできない朝陽とは、比べ物にならない。天才との差を見せつけられて、朝陽は劣等感でいっぱいだった。その上、いつも余裕があって優しくて。どうして同じ人間なのにこんなにも違うのだろう。
──嫌いだ、嫌いだ、嫌いだ、嫌いだ。あんな男、一生関わりたくない。
朝陽は苛立ちを込めて、エンターキーを押した。
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