4 / 5
第4話
◆
そんな状態が数日続き、心配した課長から連絡をもらった。課長はなぜか悲しそうな声で俺に謝っていた。
「そんなになるほど大切な人なんだったら、探して会いにいくしかないんじゃないか」
そう言われて、目が覚めた。俺はハルを探すことにした。
それから、何度も脇坂様のもとへ頭を下げにいった。自分が何か彼を困らせるようなことをしたのであれば、謝罪したいと申し出た。それでも、会わせてもらうことは出来なかった。
「すまないね。どうしても、今は遥に会わせることが出来ないんだ。そして、あの子が君に理由を説明していないのなら、私からそれを話すことも出来ない。でも、これだけは言っておきたいんだ。君は何も悪くない。遥からはそれを伝えておいてくれと言われているよ。ただ、あの子は大きな問題を抱えている。それが燻ってるだけだと思うから」
脇坂様はそう言うと、なぜか俺に頭を下げた。ハルが姿を消したのは、俺のせいではないと言い切っている。しかも、仕事上俺に頭を下げるなどあり得ない関係性であるはずなのに、躊躇いなく深々と頭を下げられた。
それはつまり、ハルが抱えているものがそれだけ大きな問題だと言うことだろう。そして、脇坂様はそれほどにハルを大切に思われているのだろう。
その二つに納得がいった俺は、ようやく落ち着きを取り戻した。そして、ハルからの連絡を待つことにした。
「わかりました。俺が待っても問題ないのでしたら、待ちます。ハルにもそうお伝えください」
その言葉と、これ以上ないと言うほどの思いを込めて頭を下げた。
「きみ、今遥のことをハルと呼んだよね?」
ぴょんと飛び跳ねるように近づいてきた脇坂様が、俺のジャケットのラペルを掴んで引き下げてくる。思わぬ行動に首が折れそうになった。
「あ、はい。説明が難しいのですが、実はプライベートで付き合いがありまして……」
脇坂様は俺の話を聞きながら、ちらりと俺のジャケットのポケットから見えているビリジアングリーンの天冠を目に入れた。珍しいカラーリングの中でも、この天冠の色は特に意味があるのだとハルは言っていた。俺はまだその意味を聞いていないけれど、もしかしたら脇坂様はご存じなのだろうか。
「渕上くん、君はその万年筆をどこで買ったんだい?」
「あの、これは遥さんから三十歳の誕生日にプレゼントとしていただきました。珍しいカラーリングだし、名前入りのものを作ってもらったので、すごく気に入っていて……。それに、会ったこともない私のためにとこれを準備してくれたその気持ちが嬉しかったもので、常に持ち歩いています」
この万年筆をくれた時、ハルは半分はお詫びだと言っていた。顔が見たいと言い張る俺に応えられないからと言って、せめて大切な存在だと思っていると伝えたかったと言ってくれたのを覚えている。
「そうだね。それは確かに遥がオーダーしたものだ。その天冠の色がなぜビリジアングリーンなのかは聞いたかい?」
「いえ、まだ聞けていません。でも、それはハルの口から聞いた方がいいと思っておりますので……」
ハルはこの色に拘っていた、それだけは俺にもわかっている。それ以上のことを言おうとしなかったのは、おそらく大切な意味が込められているからだろう。
もしそうなのだとしたら、それを他の人から聞いてはいけないような気がした。そう思って固辞する俺に、脇坂様は優しい笑顔を浮かべて一つのカードを差し出した。
「ハルは今、ここで療養しているよ。あの子の抱えていることは、きっと言葉でどうこう言ってもどうしようもないことなんだ。私はずっとあの子を支えられるようにと思ってやってきた。でもね、どうしても先にいなくなってしまうんだよ。君があの子を支えられるのであれば、任せたい。どうか行って話を聞いてあげてくれないか」
そう言って差し出されたカードには、四つの数字が記されていた。それ以外の記載は何もない。
「そこはね、遥が中学生くらいからお世話になっている病院なんだ」
「病院? ハル、どこか悪いんですか?」
海辺の病院のものだというそのカードは、ホテルのもののようにしっかりした素材と作りのものだった。勝手な想像だけれど、こういう作りのものが使われているということは、長期間の療養が必要なものか、終末期を迎えるためのものでは無いかと思い、俺は焦った。
「いや、そうじゃないよ。悪くはないんだ。だからこそ苦しむこともあるんだよ。あー、あのね、あまり私からは詳細には触れたく無いんだが……。君、遥から何かお願いをされなかったかい?」
「え? お願いですか?」
——三つお願いを聞いてくれるなら、狼になってもいいよ。
そう言ったハルのあの艶のある笑顔が頭に浮かんだ。思わず赤面すると、脇坂様も隣で慌てた様子を見せている。
「あー、されたんだね」
「はい……。でも、あれが病院とどう繋がるのかがわかりません」
お客さん相手に何の話をしているのだろうと思いながらも、ハルのことを知りたくて仕方がなかった俺は、もう腹を括ってこの話を聞いてしまおうと思っていた。
どうしてかはわからないけれど、これは先延ばしにしてはいけない問題だろうと思えて仕方がなかった。例えそれが俺に理解できないようなことであったとしても、その時はただ受け入れるという選択をすればいい。
「君は、遥の体の前面を見ないように言われたんじゃ無いのかい? 私からはそれだけ言っておくよ。病院に着くまでに、その意味を考えてあげてくれ。そして、遥に会うことが難しいと判断したら、私の方に連絡をくれないか。無闇にあの子を傷つけたく無いんだ」
——後ろからしか見ないこと。
確かにそう言われた。そして、それを言った時の声は、とても悲しそうに震えていた。
それは、容姿に自信がないということなのだろうか。でも、薄闇の中で見えていたあの体は、そんなに気に病むほどのものではなかったし、俺にはむしろ美しささえ備えていたように見えていた。
しかし、おそらくこれはそんなに軽い話では無いんだろう。それはなんとなく分かった。そして、それがどれほど大きな問題であっても、一緒に抱える覚悟をしようと決意した。
「わかりました。考えます。考えて、これからハルを大切に出来るように、その先をまた考えます」
「うん、頼んだよ」
そう言うと、脇坂様は俺の背中をポンと叩いて激励して下さった。
◆
「そうですか、わかりました。じゃあ、今日が最後になってもいいように、たくさん心構えをしておきます。叔父様、ありがとうございました」
俺は心配性の叔父からかかってきた電話を切ると、迫り来る決断の時を迎えるために、テラスへと歩いた。
祐輔はもうすぐこちらへ着くはずだ。その時までに、俺の言った意味がわかるだろうか。
「あいつがゲイじゃなかったら、どうなってただろう」
そんなあり得ないことすら考えてしまう。
せめて祐輔がバイだったら良かったのにと思いながら、そうであった場合、自分は耐えられたのだろうかと考えてみた。
でも、そうなると行き着く答えはいつも同じだ。きっと俺は死を選ぶだろう。
「ここに来れば、受け入れてくれるということになる。でも、気持ちだけじゃどうにもならないことだってあるから……」
そう独言て、ベッドへ身を沈めた。
無音の空間で、天井を見上げる。クリーム色の天井に、金色の光がいくつも反射してキラキラと美しい。その光の柔らかさは、本来心のささくれをとってくれるものなんだろう。でも、今はその優しさすらも辛い。
自然と溢れる涙を拭いながら、祐輔の声を思い出していた。あの優しい声を聞きたい。耳から流れ込む刺激に、喜びで体を震わせたい。出来ることなら、抱かれたい。その気持ちが止まらなくなっていた。
「ハル、入るよ」
泣いていたからだろうか、ノックの音が聞こえたと思った時には、もう祐輔は目の前にいた。泣きすぎて腫れた目を覗かれてしまい、その瞳が悲しみに揺れるのが見えた。
「泣いてたのか」
「いや、ごめん。大丈夫だから。それよりも、急にいなくなってごめんな。ちょっと精神的に前を向けなくなってしまってさ」
祐輔が来てくれた。それはつまり、俺の秘密を受け入れる気になったということなんだろう。嬉しくて、胸が躍った。でも、問題はここから先だ。
「だから泣いてたんだろう? それなら大丈夫じゃ無いじゃないか」
祐輔はそう言って、俺の頬に手を触れた。その温もりを感じてしまうと、涙は止まるどころか、さらに勢いを増していく。
「ハル……」
愛されたい。この手の温もりを、この男の愛を手放したくない。そう思っているのに、自分の存在がそれを叶えてくれないかもしれない。それがどうしても辛かった。
祐輔の決意を信じたい。でも、実際にコレを目にした時にどうなるのかが分からない。
——怖い、すごく怖い。
でも、本当に幸せになりたいのならば、これは越えなくてはならない壁だ。
「祐輔、俺の話を聞いてくれるか?」
頬に触れる手を握りしめてそう訊いた。縋り付くようにして、強く握りしめた。祐輔はその上から優しくキスをする。そして、微笑んでくれた。
「聞くよ。だから、見せてくれないか。そうしないと、俺たち先に進めないと思うんだ」
まっすぐな目で、そう訊いてくる。だから、俺も素直に頷いた。
「……分かった」
俺は祐輔の助けを借りて体を起こし、着ているルームウエアのボタンに手をかけた。その一つを外すたびに、呼吸が荒く、苦しくなっていく。血縁者以外にこの秘密を明かすのは、これが初めてだ。酷く緊張してしまう。
「大丈夫か?」
そう問いかけながら、祐輔は俺の背中を摩ってくれた。その優しさに、また涙が溢れる。
「大丈夫じゃ無いけど……。お前には、もう隠したくない」
ボタンを全て外した勢いで、そのまま服を脱ぎ押すてた。そして、胸に残る大きな傷跡が見えるようにと、祐輔と真正面から向き合えるように座り直した。
ともだちにシェアしよう!

