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第1話

「やだ〜遥希くんって意外と力持ちなのね」 「ほんとほんと、線が細くても男の子なのね〜惚れ直しちゃうっ」 「遥希く〜ん、こっちも手伝ってくれない?」 次々に飛び交うマダム達の黄色い声。 伊藤遥希(いとうはるき) 28歳。 極めて平凡な容姿で、極めて平凡な人生を送ってきたが ここ数ヶ月で人生初のモテ期を迎えたようだ。 「ちょ、ちょっと待ってくださいね、これが済んだら向かいますので!」 「頼もしいわねえ〜」 「ちょっと!都合よく使うのはやめなさいよ!」 ショッピングモールの一角に設けられたクッキングスタジオ。 消防法か何かの都合で建物の一番端に位置している為、人通りが少なく ガラス張りの構造でも外からジロジロ見られることは無い。 レッスンは90分制で、俺は毎週火曜日の18時に参加している。 その日の参加人数によって異なるが、 3人〜5人ずつのグループに分かれて共同作業を行う仕組みだ。 このスタジオは99%が女性で、若い男が珍しいせいか、俺はアイドル的人気を誇っている。 マダム達が毎週俺を取り合い、グループ分けで時間をロスしてしまう為 最近は公平性を期す為にあみだくじで決めるようになった。 初めは戸惑うばかりだったが、通い始めて3ヶ月にもなれば、この扱いにもすっかり慣れっこである。 今日のメニューは『本格四川麻婆豆腐』。 香辛料を組み合わせて本格的な味を学ぼう、というのが本来のテーマだったが 中華鍋を振るう段階で挫折するグループが続出。 参加するマダム達はそれぞれ職業は異なるものの、全員子育て経験があり、 鍋の扱いは慣れっこではあるが、中華鍋となると話は別らしい。 「年をとると腕が上がらないのよ〜」と言い訳を聞きながら 全グループから招集がかかり、俺は計4回も鍋を振るうことになった。 「はぁ、流石にしんどいです」 「遥希くんありがと❤️かっこよかったわ〜」 「ほんと助かったわ!後片付けは私たちに任せてちょうだい!」 「え!いいんですか!頑張った甲斐があるなぁ」 都合よく使われただけな気もするが 母親が急に増えたような感覚で、何だかんだ楽しく過ごしている。 「遥希くんお疲れ様、段々職人に見えてきたわよ」 「お褒めに預かり光栄です」 爽やかな笑顔で労ってくれたのは、講師を務める友永アカリ先生。 元々栄養士として働いていたが結婚を機に引退し、 今はこのクッキングスタジオで働いているそうだ。 美人で人当たりもよく、マダム達からの評価も高い。 「さぁみなさん!盛り付け完了したらいただきましょう!」 「は〜い!いただきま〜す!」 ハキハキとしたアカリ先生の指示の下、 皆が一斉に挨拶し、出来上がった料理を実食する。 この瞬間がたまらなく幸せなのだ。 「うんま!やっぱ中華鍋で作るとこんな美味しいんだ!」 「そうね、一気に熱が伝わるから。でも普通のフライパンで作っても、今回と同じ味付けにしたら十分美味しく仕上がるのよ」 「へぇ、試してみよっと」 「遥希くん、勉強熱心で偉いわね」 「ほんとほんと、うちの嫁に欲しいわ〜」 「何言ってるんですか、俺は男ですよ」 アカリ先生のアドバイスを貰いながら マダム達の冗談を受け流していると、あっという間にレッスン終了時間を迎えた。 「ではまた来週、お疲れ様でした」 「「「ありがとうございました」」」 楽しい時間はあっという間。 家族が待つ家に帰宅する人もいれば、子供の塾の送り迎えに向かう人もいる。 さっきまで過ごした仲間達が、一斉に現実世界へ戻って行く瞬間だ。 それぞれ別の人生を歩んでるんだなと、何だか少し寂しさを感じながら帰路につく。
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