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4.アルベルタの微笑

 青年の名前を呼べば、これ以上年齢の変わらない美しい彼が振り向いて、困ったようにハの字に眉を下げて近づいてくる。  皺と染みばかりの手で彼の頬に触れると、彼は猫か犬のように心地よさそうに目を細める。 「今さら、謝るんですか」  ふと漏れてしまった呟きに、青年は耳聡く反応した。  触れる枯木を自身の腕で包み込みながら、貴方は後悔しているんですか、と尋ねられた。  考えるように視線がすっと青年から外れる。しかし、それも少しですぐに元の彼の顔へ視線が定まった。 「ふふ、やっぱり。私も同じです」  夜の化け物なんて、おかしな名称ですよね。  そんな風に茶化して言った対象は、常人よりも少し体温の低い彼そのものを示すものだ。  不老不死。夜でも昼と同じように動くことが出来る。それどころか、食事も睡眠も必要ない。  生きる場所は、空でも海でも関係なかった。生きるという点において、この生き物程強く永いものはいない。  そして、希う背信者によって造られた、神を冒涜する存在だった。 「確かに、死んだと思ったらこれですから、驚きましたけど」  喉の奥で笑う。鳶色は、光を反射してころころ表情を変えた。霞んだ視界に映る愛しいそれは、夜の化け物に相応しいようで、人間臭い。 「ああ、そうだ。それよりも私は聞きたいことがあるんです」  ワインレッドが揺れる。ふっと暗くなって彼が傍へやってきたことを知った。光を遮る位置に覆いかぶさるように、死神ですら追い返してしまうほど手離せない青年が現れる。 「ヒューゴ様、貴方はいつになったら――――」   ◆◆  夢を見た。はっきりとした感覚を伴う、可笑しな夢を。  あれが、最後のピースだ。そう感覚で理解した。深く深く容易に取り出せないところへ仕舞いこまれた、過去の記憶。  葛城ヒューゴである前の、ヒューゴ・シワードであったころのもの。  彼は、どこかの貴族でありながら、偏屈な人間であったようだ。気難しすぎる性格は、彼を孤独にするには十分だろう。そして、偶然拾った少年を愛するには十分な孤独だったのだろう。  そして、その愛情は、死んだはずの少年を化け物へ変えるような、誰からも理解されないものだったのだろう。それほど、茨に覆われて歪んだ情だった。禁忌に手を出して、それでもなお、後悔しないほどに。  自身が何をしたのか、何を思ったのか。それを理解した。しかし、葛城ヒューゴは、今、幸福な家庭の環境下にいる。普通という枠の中で育った彼にとって、その考えは逸脱していると恐怖した。  時代が違えば考えも変わるもの。知っているのに、どうやら過去のヒューゴは、わかっていなかったらしい。仕方ない、今も昔もひとつのことばかり考えてしまう性質なのだ。他の考えは、まったく思いつかない。そして、思い込んだまま突き進む。  止められない衝動というのは、きっとあれのことを言うのだろう。  そう考えれば、あの老いた彼から今に続く何かを手繰り寄せることができたような気がした。 「アル」  腕の中の低い体温へ呼びかける。主人に合わせて目を閉じているだけなのだろうが、穏やかな呼吸音は、ただ眠っている人間のように思われる。あの夜の赤がなければ、気付くことはなかったかもしれない。 「俺は、最期に約束をしたと思う。いや、したんだ。アルにとっては何百年も前だ。忘れてたって不思議じゃない。でも、俺にとっては昨日の事のように思える」  夢に蘇った過去は、それこそ鮮烈な輝きでもってヒューゴに刻みつけられた。だからこそ、今伝えておきたかった。強く強く思い出すことができる今だからこそ。 「待たせて悪かった。俺は、これから――――」  過去、伝えることの出来なかったあの言葉を、震える肩をしっかり抱き寄せて囁くことにした。  老いた私は、きっと君と同じになることができない。それなら、私は次の私と君を結びたい。そして、出会ったら、私はきっと私を思い出す。そうしたら。そうしたら、きっと君と同じになるだろう。 Fin

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