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浴衣の君と編 12 春から夏へ、それから秋へ

 一緒にいたい、って思う瞬間がどんどん増えてく。  朝の「おはよう」の挨拶を交わす瞬間。  夜の「またね」の挨拶の後、扉が閉まる瞬間。  ふとした「次」に会うことを思った時に、もっと一緒にいたいなって思う。  きっと前の俺だったら、その瞬間がいくつか増えていったら、同棲とか言ってたんじゃないかな。  けど、今の俺は、今じゃないって思ってる。  ちゃんとしたいんだ。  ちゃんと、丁寧に。ゆっくり。 「夕食のお刺身すごかったね」 「俺、絶対に太った」 「翠伊くんは大丈夫、腹筋すごいから。心配なのは僕の……」 「お腹、柔らか」 「これはっ!」 「あはは」 「ひゃはっ、待っ、ストップ、脇腹弱いからっ」  くすぐったがりな桜介さんがパシャパシャと、足湯の湯の中で足をバタつかせて、暴れてる。 「あ、ほら、この写真、すごいっ」 「ほんとだー。桜介さん鮫に食べられちゃうじゃん」 「でもこっちの翠伊くんは風で本当に飛んで行っちゃいそう」 「っぷは、桜介さん、巨人」 「ふふっ」  今度はトリックアートの写真。スマホで撮りまくったお互いの健闘ぶりを眺めて笑ってる。俺のスマホには桜介さんの写真。桜介さんのスマホには俺の写真がずらっと。めちゃくちゃ絵の中に入り込んでいるように見えるものもあれば、ただの絵の前で必死な顔してるだけのも。 「ここの海鮮丼すごかったね。ほら、桜介さんの顔より山盛りじゃない?」 「翠伊くん、頬張ってる」 「……それは消去して欲しいんだけど」 「だめっ、これは貴重な一枚」 「えぇ……ブスじゃん」 「そんなことないよ。いつでもかっこいい」 「それも?」 「これもっ」  どう見てもブス顔なんだけど。鼻の穴めっちゃ広がってるし。 「あ、これ、電車に乗る時のだ」 「? ぇっ、これいつ撮ったの?」 「電車に乗る時。シュークリームのクリームがああって、慌ててるから気が付かなかった?」 「ちょっ、この顔は変すぎるのでっ、消去を」 「えー、やだ」 「えええっ」 「じゃあ、さっきの俺のブス顔も消去を」 「それはダメです。かっこいいので」  そもそも変じゃないよ。表情豊かで可愛いじゃん。  電車がまだ来なくて、じゃあ、時間まで行きで入った足湯にでも浸かりながら待ってようって話になった。で、足湯に浸かりながら、この二日間で撮った写真の思い出を早速見返してた。  朝食もすごかったよ。干物がめちゃくちゃ美味しくて、おかわりしたかったくらい。お土産に買ってきちゃったし。明日の夕方うちに届くように発送しちゃった。伊倉さんにも送っておいた。あと――。 「すっごい枚数撮った」 「僕も。あ、それ」  隙間障子の職人さんにも。 「そ。部屋の」  最後、部屋を出る時に一枚撮ったんだ。隙間障子の鳥の木彫りを。  もう朝食も食べ終わって、チェックアウト直前になった頃には日差しはその鳥の木彫りを照らしてなかったけど。でも、あの朝の数分は本当にすごく綺麗に朝日が当たってたから。 「朝、素敵だったね」  俺のスマホを覗きんだ桜介さんが思い出しているのか、そっと穏やかにそう言った。 「ね。翠伊くん」  あ、ほら。 「……そうだね。桜介さん」  また、一緒にもっといたいなって思う瞬間がまた一つ、俺の胸の内に溜まっていった。  いつか。  いつか、貴方とちゃんと支え合える大人になったら。 「楽しかった。翠伊くんと旅行できて」  九月になったけど、日差しは全然暑くて、一番陽の高い時間帯は外に出るのが億劫になるほど暑いけど、でも少しずつ風に秋の気配が混じり始めてる。  お足湯に浸かりながら、ふとそよぐ風は確かに涼しくて、心地いい。 「信じられない。翠伊くんと旅行だなんて」 「桜介さん?」 「だって、あの翠伊くんとだよ? 本当に、楽しかったぁ」  桜介さんはお盆もほとんど休みなくて、大型連休なんて言ってるとこの三分の一しか休みなくて。それでなくても毎日忙しいし。逆に俺は休みが長すぎてさ。  なんか申し訳ないなぁって思うくらいに長くてさ。  ――どこも混んでるし、ちょうどよかったよ。最近、部屋の掃除もあまりちゃんとできてなかったから。  だから、そう言ってた桜介さんに遠慮した。忙しそうにしてる人に、時間が溢れるくらいに有り余ってる俺がどこか行きたいとか言えるわけないじゃん。  だから、我慢はちょっとしてた。  夏休み、たったの三日しかない桜介さんに、三十日以上余裕で休みが続く俺は。 「また来ようね」 「!」  我慢してたけど。  ――でも、どんだけ混んでても楽しかったっす。  我慢しなくてもいいのかもしれない。  ――渋滞半端なかったし。海水浴場も芋洗い状態でしたけど。  だって、ほら。  ――けど、やっぱ楽しかったっすよ。 「うん! 旅行行きたい!」  こんなに嬉しそうにしてくれてるから。 「って、あー、俺、桜介さんの浴衣姿撮り忘れた!」 「あ! 僕もっ」  こんなに楽しかったから。  また行こう。どっか、一緒に。混んでても、きっと貴方となら、どこだって、楽しいから。 「どうだったかな? 温泉は、って、すごいな」 「さすがに百は書かなかったですけど、でも、がっつり書きました! レポート」  テーマは、伝統文化の継承と活用。  しっかり書かないとでしょ。旅行行かせてもらったんだから。 「じゃあ、これはしっかり、後で、読んでおくことにしよう」 「お願いします」 「来週から大学始まるんだっけ。じゃあ、とりあえず、この今もらったレポートを届けてもらおうかな」 「へ?」 「きっと喜ばれるよ」  もちろん、隙間障子ゴリ押しのレポート。 「今日はそのまま直帰で構わないから」 「!」 「お疲れ様」 「ありがとうございます!」  だって、あの朝、二人で布団くっつけて、頭もくっつけて見上げた隙間障子から差し込んだ朝日はやたらと綺麗だったから。日本の伝統文化最高って思ったんだ。それを、あの瞬間の幸福感を、必要? って思った、隙間障子がくれた、あの時間のことを、レポートに詰め込んだ。  ありがとうって気持ちも一緒に。 「さてと」  ――今日は、ちょっと早く帰れそう。一緒に夕飯作りたい。材料買っとく。  また一つ、一緒にいたいな、の気持ちを膨らませながら、一歩、駅へと踏み出した。  外は、まだまだ夕日も暑くて、アスファルトも暑いけど。 「ふぅ」  吹いてくる風は少しだけ落ち着き出した九月。  冬になったら鍋、また食べたいな。  クリスマスはどっか行きたいかも。  あーでも、貯金もしとかないとだよね。でも、クリスマスだよ? 盛大にさ。  大掃除も一緒にやって。そんで、新年迎えて。  いつか、一緒に住みたいねって、抱負と一緒にお参りとかして。  ――ピコン。 「休憩中? かな」  ――僕は残業にならないように頑張ります! 「あは」  そして、頭上には秋の気配がちょっとだけ、ほんのちょっとだけ感じられる風が吹いていた。

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