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第119話 美しい領土

 黒い闇のトンネルを抜けると、草原が広がっていた。  外界より瘴気は濃いが、同じように晴れて綺麗な景色だ。   「これより先が大蛇の領土となります。地上には民家や八俣様が住まう屋敷があり、地下で食用の人間の管理を行っています。地上に流れる瘴気で人間はあっけなく死にますので、地下で保管しているんですよ」 「食用の……」  大蛇は人を喰うのだし、人間を飼育している噂もあった。  だから、そういう場所があって当然なのだが、改めて聞くと気分が悪くなる。 「今回は視察とのお話ですので、地上から地下をぐるりと見ていただこうと思っておりますが」  呵々がちらりと蒼愛に視線を向けた。 「地下まで見せてもらえるのか?」  紅優の懐疑的な声に、呵々が頷いた。 「巷では、大蛇の一族が人間を飼育繁殖していると噂がありましょう? この国の決まり事に反していない様子をしっかりとご確認いただきたく思いますので。そのあとに八俣様とお会いいただければ、お話も弾みましょうから」  呵々が笑んで頷いた。 「しかし、蒼愛様は地下に行かれない方がよろしいのでは? 元は人間と伺っております。喰われる同胞を目の当たりにするのは、お辛いでしょうから」  蒼愛の肩を紅優が抱き寄せた。 「行くよ。僕も行く。ちゃんと見に行く」  紅優が聞く前に、蒼愛は答えた。  そんな蒼愛の顔を見詰めて、紅優が小さく頷いた。 「わかった。一緒に行こう」  紅優と蒼愛のやり取りを聞いて、呵々が歩き出した。 「では、ご案内いたします。こちらへどうぞ」  呵々が案内してくれた地上は広く、草原の奥に民家があった。  集落らしきものがいくつかあって、それぞれに暮らしている様子だ。 「大蛇も最近では番を作るものが多くあります。我等は卵で繁殖する種族ですので、家族というものがあるにはありますが、産まれるとすぐに自立しますので、家族というコミュニティで生きる場合は少ないです。番で暮らしている場合が多いでしょうか」  呵々の説明は、何となく人間の蒼愛に寄せてくれているように聞こえた。 「番を作っても、人を喰うんですか?」  蛇々は番がいるのに人を喰うと、芯が話していた。  呵々が蒼愛を振り返った。 「ええ、喰いますよ。先ほども申し上げました通り、嬲って喰うのは大蛇の本能です。無理に抑えると、厄介な状態になる者もいましてねぇ。独り者より頻度は減りますが、食事は欠かせません」  それでは番を作る意味が半減する気がする。  クイナは人喰を失くすために番という制度を作ったはずだ。 「厄介な状態って?」 「同族喰いです。気が狂ったように何でもいいから喰ってしまうんですよ。だったら人を喰ってくれた方がいいですから」  ドクン、と心臓が下がった。  つまり、同じ大蛇を見境なく喰ってしまう、ということだ。  目の前にいたら番を喰ってしまう場合もあるのかもしれない。  そう思ったら、怖くなった。 「その生態は、初めて知ったな」  紅優が静かに呟いた。 「そうでしょうね。一族としては、恥ずべき行為ですので、あまり外に漏らしたい話ではありません。何故、こうも喰う必要があるのかと、私も時々には思いますが。これも大蛇の一族が背負った業なのでしょうねぇ」  何でもないような話し方をする呵々だが、その言葉だけは、悲しく響いた。  しばらく歩くと、民家の向こうに森林があった。その手前に泉が見えた。 「あれは癒しの湖から引いている水場です。水路の技術は河童の協力を得て作っております」  呵々の説明に、紅優の顔が険しくなった。 「領土内に水場があるのか? ならば何故、癒しの湖で白狼と揉めた? 湖に瘴気を混ぜるような真似をした?」  紅優の後ろで、真白の気が尖る。  その様を、呵々が冷静に見詰めた。 「あの水場だけですべてが賄えるわけではございませんので、癒しの湖に水を汲みに行く者もいるにはいます。ただ、白狼の一件に関しましては、私ではなく八俣様とお話しくださいませ」  深々と頭を下げられて、紅優が言葉を飲んだ。  呵々の態度は、これ以上は話せない、と語っていた。  どう聞いても含みを感じる話に、蒼愛はモヤモヤした。  恐らく紅優も、それ以上に真白が、この場で呵々に詰問したい思いだろう。  真白の気は尖っているが、口を引き結んで黙っていた。  またしばらく歩いて、小さな林を抜けたあたりで呵々が足を止めた。  林の向こう側を指さした。 「この先には、大蛇以外の人喰の妖怪が住んでおります。人を喰うが狩りが苦手な種族が多いですね。最近の現世は人を狩り辛くなりましたので、力の弱い妖怪では人を狩れません。そういう妖怪たちが共に暮らしています」  紅優が絶句していた。 「それも初めて聞く話だ」 「そうでしょうねぇ。土ノ神だったスゼリ様は大蛇を嫌悪しておりましたから、領土はおろか、大蛇の事情など知ろうともしなかった。我等を散々利用しておきながら、図々しい性分です。だから土ノ神を降ろされてしまったのでしょうけどね」  相変わらず何でもないような語り口で、呵々が言い流す。  蒼愛の中に小さな怒りが湧き上がった。 「スゼリは……」 「利用したのは貴方方も同じでしょう。スゼリだけを責められるのですか?」  蒼愛の言葉を掻き消すように、井光が呵々に言葉を投げた。 「責めているつもりはございませんよ。只の事実です。後半は私個人の心象です。気に障ったのであれば、謝罪いたしましょう。失礼いたしました。しかしながら、スゼリ様が我等にとり役立たずの神であったのも、また事実ですので。その点はご理解くださいませ」  呵々の言葉には反論できなかった。  もしスゼリが土ノ神の時に大蛇の生態や領土について把握してくれていたら、何かが違ったかもしれない。  ほんの少し、領土内を視察しただけの今の時点ですら、そう感じてしまう。 「さて、地上にはこれ以上、面白き場所もございませんので、地下に降りましょうか」  少し戻って、さっき通り越した林の中に入った。 「地下に降りる道は地上に数か所、点在しています。そのうちの一つがこの林です。大蛇は穴に潜って移動ができますが、出来ない者のための階段があります。最も大きい昇降口です」  呵々が土に降れて場所を確認している。 「そうそう、周辺に大蛇用の穴がありますので、落ちないようにご注意ください」  思わず自分の足元を確認する。  前後をくるくる探しているうちに、足が土にハマった。 「え? ぅ、わぁ!」  土に埋まった足首に何かが捲き付いて、土の中に引っ張り込まれた。 「蒼愛!」  紅優が手を伸ばしてくれたが、指先が触れただけで離れた。 「蒼愛様! 掴まれ!」  体を低くして滑り込んだ真白が蒼愛の腕をがっつりと掴んだ。  飲み込まれる蒼愛の体と一緒に、土の中にずるりと埋まった。 「おや、飲まれましたね」  やけに冷静な呵々の声が聞こえて、蒼愛は掴んでくれている真白と土の中に雪崩れ込んだ。 〇●〇●〇  土に呑み込まれた蒼愛と真白を追いかけるように、紅優は土を掻いた。   「心配ございませんよ。地下に降りれば合流できます」  呵々が土の上を探しながら声だけで応えた。 「落ちたというより、飲み込まれたように見えた。何かに引っ張り込まれた様子だった。本当に安全なのか?」  焦燥と怒りを含んだ声に、呵々が顔を上げた。 「土に潜る時、木の根が手伝ってくれるのですよ。道が長いですから、自力で潜るのも一苦労です。ですので、蒼愛様や真白様でも窒息など致しませんので、ご安心ください」  呵々が捜していた場所の土をノックする。  大きな扉が開いて、階段が現れた。 「ほとんど使う機会のない階段ですので、探すのに手間取りました。その間に落ちてしまうなんて、蒼愛様は引きが強い方でいらしゃる」  呵々がクックと笑う。  その顔と声が余計に気に障った。 「わざと落としたわけではないだろうな。蒼愛に何かあれば、大蛇の一族と領土の安全は保障しかねるぞ」 「紅優様、発言が露骨すぎます」  紅優の怒りが籠った言葉に、井光が耳元で強く注意した。 「只の偶然ですよ。引きが強くて面白いと思ったのは私個人の心象です。失礼いたしました。しかし、だからこそ、色彩の宝石足り得るお方なのでしょうねぇ。あぁ、面白い」  呵々が至極楽しそうにクックと笑う。  総てどうでもいいような話し方をする割に、人の癪に障るような言葉を使ったり、言い回しをする。  呵々の話し方は、全く慣れないし、最初から気に入らない。  だから余計に腹が立つ。 (大蛇の一族は俺たちと友好な話し合いをする気が本当にあるのか?)  呵々が考えあぐねる紅優をグリンと振り返った。 「この視察で紅優様と蒼愛様の身に危険が及べば、損をするのは我等大蛇の一族です。確実にお守り申し上げます。その程度の知能は持ち合わせておりますよ」  その程度の知能、という言葉にカチンときた。  呵々は充分に知能も知性も高い大蛇だ。そんなのは会話をすればわかる。  散々、苦労してきた蛇々だって、ずる賢くて狡猾な大蛇だった。  大蛇の一族は馬鹿ではない。大昔から、よくよく認識させられている。 「だとすれば落ちた先で蒼愛を保護してくれているんだろうな。地下は人間の保管庫なんだろう。間違って喰ってしまう低能な大蛇がいないことを願うが」  睨み据える紅優を呵々が張り付いた笑みで眺めた。 「大蛇の残虐性は個性でもありますので、個々に性格が異なります。人間の管理を行っている大蛇は比較的穏やかで残虐性の低い個体に任せています。本能が強い者に任せると本能に任せて喰ってしまうので、食糧不足に陥りますからね」  井光がこっそり紅優を突いた。  落ち着けというサインだと、わかった。 「ふっ、ふふ。紅優様は蒼愛様が絡むと酷く感情的になられますね。自分から弱点を晒すような行動はお控えになるべきかと存じますよ。色彩の宝石を殺さずに利用する手段など、いくらでもあるのだから。勿論、我等はやりませんがね。この視察では、ね」  呵々の目が暗い光を灯した。 「蒼愛はお前たちに利用されるほど弱くない。蒼愛を見縊るな」  煽っているとわかっていながら、紅優は怒りに任せて声を凄めた。  井光が後ろから紅優を強く突いている。 「そうでしょうとも。ですから、もっと信じて差し上げてはいかがでしょうかと、申し上げているのですよ。あの蛇々を焼き殺した術者です。そう易々と死にはしないでしょう」  呵々の目から笑みが消えた。  先ほどまでの張り付いた笑みとあまりにギャップがある冷えた瞳に、紅優は息を飲んだ。 「差し出がましい意見を申し上げました。さぁ、参りましょうか。早くお迎えに行きたいでしょう?」  呵々の目に作り物の笑みが戻った。  井光に促されて、紅優は呵々に続いて階段を降りた。

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