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第118話 大蛇の領土へ

 土の加護を得て完璧な色彩の宝石になった蒼愛は、ついに大蛇の領土への視察へと赴いた。  人間の暴動を抑え、エナと名無と遭遇したあの日から、既に七日が経過していた。  大蛇の側から催促は一向になく、紅優の方から具体的な日時の報せを飛ばすと、実にあっさりした返事が返ってきた。あっさりではあったが、否定的ではなく、かといって歓迎するような返答でもなかった。 「時の回廊で会ったのが八俣じゃなくて名無だったなら、返事があっさりめでも仕方ないのかな」 「そうだね。大蛇からしたら、瑞穂ノ神が突然、視察に行くとか言い出したって思ったろうからね。嫌がられなかったのが不思議なくらいだよね」  蒼愛の問いかけに、紅優が苦笑いした。 「寧々や野々が人間の暴動の鎮圧に加わってくれていたくらいだし、会いたいとは思ってくれているんだろうけど。あの二人の話の感じだと、気分屋っぽいから、今のうちに会っておきたいよね」  紅優の言葉には蒼愛も同意だ。  この機会を逃したら、いつ会えるかわからないなと思った。 (皆の噂話とか、時の回廊の感じとかで、自分勝手な怖いおじさんをイメージしてたけど、もっと違う感じかもしれないな)  どんな相手であろうと、大蛇の領土が危険であるには違いない。  蒼愛は気を引き締めた。  「真白、こちらに来なさい」 「またですか、井光さん」  井光が厳しい顔で真白による。  真白が面倒そうに井光の前に立った。  今日は真白が珍しく人型で和装している。  最近まで現世で生活していた真白は人型になると洋服を着ていることが多い。  慣れない着物のせいですぐに着崩れる真白の袷を、井光が直してあげていた。 「いいですか、真白。貴方が一ノ側仕なのですよ。瑞穂ノ神紅優様と色彩の宝石蒼愛様が直にお選びになった特別な神使あり、御二人を守るべき神獣なのです。自覚を持って堂々となさい」  井光の手元を眺めながら、真白が困った顔をした。 「一ノ側仕は井光さんの方が適任だと思うけどなぁ。俺は何番目でも蒼愛様と紅優様を守るよ。二人とも恩人だし大好きだからな。瑞穂国の内部事情とか、俺は蒼愛様バリに知らねぇし、今日みたいな時は役に立たねぇよ」  真白が目線を向けた先を、蒼愛も眺めた。  真っ黒な闇が大蛇の領土全体を覆っている。  暗がりの平野と風の森の間辺りに、蒼愛たちは立っていた。 「内部事情を知らない真白だから、視えるモノもあると思うよ。まぁ、順番は確かに、こだわる必要はないのかもしれないけど」 「いいえ、大切です。真白の側仕としての自覚を育てるためにも、譲れません」  紅優の、のんびりした意見を、井光がぴしゃりと切り捨てた。 「今回の視察は真白にとっても学びになります。一ノ側仕として、尽力なさい。この視察の経験を今後に繋げるためにも、生きて帰りますよ」  何気に物騒な発言が飛び出したなと思った。  真白が諦めた顔で小さな息を吐いた。 「俺は大蛇に遺恨もあるからさ。巧くやれる自信がねぇよ。噛み殺しちまいそうで」 「出来ない部分はフォローします。個人的な因縁は今日は飲み込んで、まずはしゃんとしなさい」  井光に背中を叩かれて、真白が背筋を伸ばしている。  三か月前、蒼愛たちは大蛇の暴力から白狼の里を救った。あの時、白狼の長は大蛇に殺されている。  真白からしたら、飲み込めない恨みがあるに違いない。  そんなやり取りをしているうちに、黒い闇が動いた。 「瑞穂ノ神様、色彩の宝石様、側仕の皆様でお間違いございませんでしょうか」  歪んだ闇の中から声がする。 「瑞穂ノ神紅優、色彩の宝石蒼愛、側仕真白、井光が来訪した。長の八俣殿とお会いしたい」  紅優が毅然と返事する。  闇の中から、一人の男が顔を出した。  ぬるん、とぬめり気のある音がしそうな仕草で、闇の中から抜き出る。 「ようこそいらっしゃいました。お待ち申し上げておりました、瑞穂ノ神様」  男が細い目を見開く。  笑んだような顔が更に笑みを深めた。 「私、案内役の、呵々(かか)と申します。この度は一族以外にとり未開の地である我が領地へご足労いただき、恐縮にございます。本来であれば我が長の方から瑞穂ノ宮へ出向くべきところを、この国の最たる神御自ら足をお運びいただけるなど、大蛇の民一同、身を震わせるほどの感動で……」 「お気持ちは充分賜りましたので、案内をお願いいたします」  呵々の長い話を、井光がさくっと切った。  ニタリと笑んで、呵々が井光を見詰めた。 「これはこれは、誰かと思えば大猫殿ではありませぬか。側仕筆頭を隠居されたと聞きましたが、瑞穂ノ神の側仕に収まるとは、何とも誉高い復帰でございますな」 「身に余る光栄と感じていますよ。それで、貴方方は我々を領内に案内するつもりがあるのですか、ないのですか」  呵々と井光の張り付いた笑顔の応酬に、真白が一歩引いている。 「勿論、ございますよ。神々の中で、大蛇の領地の視察がしたいなど申されましたのは、瑞穂ノ神様が初めてでございますので、私も感動いたしまして、つい長く話してしまいました」  呵々が紅優と蒼愛に向き直った。 「御来訪いただき、ありがとうございます」 「こちらこそ、よろしくお願いいたします」  蒼愛は呵々に向かってぺこりと頭を下げた。  頭を上げると、呵々が興味深そうに蒼愛を眺めていた。 「死の瘴気は薄まりましたか? 僕ら、ちょっと早く来ちゃったから、まだ時間がかかるなら、ここで呵々さんとお話してても大丈夫です」  蒼愛の言葉に、呵々の張り付いた笑みが引き攣った。 「あ、でも、僕と紅優は神力で自分で浄化できるし、真白と井光さんにも僕らの神力を流しているから、程々に薄まれば入れます。死んじゃったりしないので、心配しないでください」  呵々が感心した顔で呆けた。 「よく気が付かれましたね。我が領土の死の瘴気は妖怪をも殺す瘴気です。お体に触ってはと配慮いたしましたが、必要なさそうでございますね」  呵々が腰低く、蒼愛に礼をした。 「初めから、そう話していただけたら理解も早かったのですが」  井光の苦言に、呵々が笑んだ。 「我が領地の死の瘴気が薄まったと知れば、命に関わる悪戯をしに入り込む輩もおりますので。あまり大声でできる話でもございません」  そういえば前に夜刀が、瘴気が濃すぎて奥まで探れなかったと話していた。  大蛇からすれば、外敵を弾くための結界のようなものなのかもしれない。 「ごめんなさい、呵々さん。話さない方が良かったですね。余計なこと、言っちゃいました」  口を覆って蒼愛は謝罪した。  呵々が首を振った。 「問題ございません。瑞穂ノ神様と色彩の宝石様が滞在している場所にわざわざ喧嘩を売る輩もいないでしょう。居たとしても、大義名分を使って応戦できますので、むしろ願ったりです」  後半の言葉は、具体的な相手を想定しているように聞こえた。  呵々が興味津々な顔で蒼愛を覗き込んだ。 「それにしても、蒼愛様は素直な質の御様子。可愛らしいですが、心配になりますねぇ。利用されて使い倒されないよう、お気を付けください」  ぬるっと頬を撫でられて、ドキリとした。  側にいた真白が咄嗟に蒼愛の肩を引いた。 「アンタらみたいな大蛇が一番、危ないんじゃないのか? 蒼愛様を利用しそうな顔してるぜ」  真白の殺気に、呵々が嬉しそうに笑んだ。 「それはもう、騙して貶めて喰い倒したいですねぇ。それが我等大蛇の本能ですから。そういう意味で、好きになれそうですよ」  呵々に目線を送られて、蒼愛は思わず真白にしがみ付いた。  冗談や脅しではなく、純粋な本気の言葉に感じられたから、怖かった。 「僕は普通に仲良くお話したいです」 「私たちの普通は、嬲り殺しです。普通という概念は、種族や生き物によって異なるモノですよ。充分注意してご利用ください」  紅優が前に出て、蒼愛と呵々の間に入った。 「蒼愛を喰えば、一族の末路がどうなるか、理解できないわけではないだろう。初めからそのつもりなら、視察自体を取りやめるが」  紅優が呵々に向かって凄んだ。  呵々がまたも腰低く頭を下げた。 「とんでもございません。我等は瑞穂ノ神様と色彩の宝石様を歓迎いたします。今のは大蛇の一般的な生態を語ったにすぎません。現世の人の文化を模倣した真似事の国では、理解され難い類の生き物ですので、伝えるのも難しいですね」  顔を上げた呵々がニタリと笑う。  紅優が何とも言えない顔で押し黙っている。  呵々が後ろを振り向いて、闇の壁に手を当てた。   「瘴気も程々に薄まりました。これなら、神である皆様は問題なく入れましょう。長話しを失礼いたしました。それでは改めまして、大蛇の領土へようこそ、新しき最上の神様と御一行様」  呵々の後ろの闇の壁が大きく歪んで、穴が開いた。  開いた入り口を呵々が先導して入る。  紅優と蒼愛は顔を見合って頷くと、その後ろを付いていった。

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