44 / 65

第144話 英雄の実態

 闇人名無が去った後を、皆が呆然と眺めていた。 「淤加美様……、淤加美様ぁ!」  淤加美の体を抱きしめて、縷々が声を上げた。  周囲を見渡した紅優が、縷々の肩に手を掛けた。 「神々の体を安静に横にして。今まで通り、魂を維持する布でくるんで。癒しの神力を絶やさないように治療を続けてください」  紅優が縷々を見詰める。  涙で濡れる瞳を拭って、縷々が頷いた。 「夜刀、手伝ってちょうだい。淤加美様と日美子様に、他の神々と同じ処置を」 「わかった」  震える声で毅然と立ち上がった縷々に、同じように震える声で返事しながら、夜刀が立ちあがる。 「今、神力を維持できるのは、神々の神力を受け取っている側仕の皆さんだけです。皆さんで、何とか維持を……」 「もう一人、神がおるぞ、紅優」  癒しの間の扉が開き、吟呼が日照を連れて入ってきた。 「吟呼、日照……。そうか、そうだね。日照は日の神子だ」  紅優が屈んで日照に目線を合わせた。  日照の目が、力なく横たわる日美子に向いていた。 「大きな怨霊が、飛んで行った。日美子の核を奪ったのは、アイツ?」 「うん、そうだよ。他の神様の核も奪われた。俺たちがこれから、取り返しに行くんだ」  日照の体の奥の神力が高まって、吹き出した。 「許さない。大好きな日美子を傷付けた奴、絶対に、許さない」  日照から吹き出す神力に、側仕たちが息を飲む。  紅優が日照の手を握った。 「日美子様の核は、俺が持って帰ってくる。それまで日照は、日美子様や他の神様を守ってくれないか?」  日照が俯いていた顔を上げた。 「日照が? 守るの? 日照は、壊すしかできないのに?」 「出来るよ。日照なら守れる。日照にしかできない」  紅優が、握った手から自分の神力を日照に流し込んだ。 「この部屋に日照の神力を満たして、閉じるんだ。吟呼や側仕の皆が手伝ってくれる。出来るね?」  紅優に優しく問われて、日照がその顔を見詰めた。 「日照が頑張ったら、日美子は起きる? また一緒に遊べる?」 「遊べるよ。日照が頑張ってくれたら、きっと起きる。俺と蒼愛が核を持って帰ってくるまで、頑張ってくれる?」  日照が力強く頷いた。 「わかった。頑張る」 「ありがとう。日照が居てくれて、助かるよ」  紅優が日照の額に口付けた。日照が嬉しそうに微笑んだ。  日照の髪を撫でて、紅優の目が吟呼を見上げた。 「日照のサポート、頼める?」 「心得た」  短い会話の応酬で、吟呼は紅優の意図を汲んだようだ。  同族として付き合いの長い二人は、言葉は必要ないのだろうと感じた。 「エナもここに置いて良いか」  吟呼の後ろに隠れていたエナが、半分だけ顔を出した。 「構わないけど、今のエナは普通の人間と同じで神力がないから、辛くないかな」 「平気だろう。神の御力は人を壊す力ではない」  吟呼がエナの頭を優しく撫でる。  エナが不安そうに吟呼を見上げた。 「一人にはせぬから、案ずるな」  吟呼の言葉に、エナがその足に縋り付く。  短い時間ですっかり吟呼に懐いたらしい。 「辛くなければ、一緒に居てあげて。何かあれば報せを飛ばして」  頷く吟呼が、縋り付くエナの肩を抱いていた。  戸口に立った紅優が癒しの間に目を向けた。 「俺と蒼愛が必ず神々の核と志那津様の体を持って帰ってきます。それまで、この場所を守ってください」  側仕の面々が紅優に向かって平伏した。  その様を眺めて、蒼愛は圧倒された。 (慌てて動揺していた皆を落ち着かせて、元に戻した。やるべきことをはっきり伝えたら、皆の顔が引き締まった)  怒りや不安や焦りや、それぞれが色んな感情に飲まれていたあの場で、紅優だけが冷静だった。  紅優の言葉が、堂々と構えた姿が、側仕の皆に安心を与えた。 (瑞穂ノ神の言葉には、それだけ重みがある。皆の心を支える存在なんだ)  蒼愛の胸が紅優への思いで膨らむ。  紅優が蒼愛に手を伸ばした。 「俺たちも行こう、蒼愛」 「うん!」  伸ばされた手を蒼愛は強く握り返した。  治療を終えて回復した真白は、少し休んで元気を取り戻していた。  本当はもう少し休ませてやりたいが、他に動ける者もない。 「ここでじっとしてろって言われるほうが辛いよ。一緒に行くからな」  事情を話すと、そう言って真白が蒼愛に抱き付いた。  真白に乗って、蒼愛と紅優は地上へ向かった。 「あの怨霊は、どこに行ったのかな」  足りないものを取ってくると言って、名無は姿を消した。 「多分だけど、羽々の所だと思うよ。剣を取りに行ったんだと思う」  天叢雲剣があれば死ななかったと、怨霊も確かに話していた。  蒼愛は理研で読んだ日本の神話を反芻した。 (日本武尊は確か、奥さんのミヤズ姫の所に剣を置いて行っちゃって、伊吹山の神様に会ったけど神使と勘違いして倒さなかったら、悪い気に蝕まれて病気を患って死んじゃった、んだっけ)  父王の命で各地の妖怪や神様を殺して回った日本武尊は、神話の中では英雄のように描かれる。  しかし蒼愛は、何回読んでも日本武尊が英雄には思えなかった。 「自分が死んだ原因だから、剣には未練があるのかな」    剣の霊験がなかったが故に、日本武尊は瘴気を祓えず病に罹る。  英雄に思えない日本武尊だが、怨霊になるなら納得できる。  兄を殺して父に疎まれ恐れられた小碓命は、父王の命で西は九州、東は関東まで平定の旅をさせられる。戻りたかった故郷に帰れぬまま、旅の途中で病で死んでしまう。  自分自身も恨みを抱えていたろうし、色んな相手に恨まれもしただろう。 「未練もあるだろうし、彼にとっては象徴(シンボル)だからね。魂が求めるんじゃないかな」  確かに紅優の言う通り、日本武尊といえば草薙剣、天叢雲剣だ。  天叢雲剣が草薙剣と呼ばれる由縁も、三種の神器になった由縁も、日本武尊絡みだ。 「蒼愛は日本の神話を読んでいるから、日本武尊の伝説って、知ってるよね?」 「うん。簡単になら、一通りは知ってるよ」  紅優に問われて、蒼愛は頷いた。 「日本武尊ってさ、実在しないんだよ。そういう人間も神様も、本当は居ないんだ」 「えぇ⁉ そうなの? じゃぁ、さっきのあの怨霊は……」  驚き過ぎて、背筋が伸びた。 「モデルになった人物は居るんだよ。それが小碓命って大王……、今でいう天皇の息子なんだけど。蒼愛が知ってるような伝説になる程の偉業を全部、成し遂げたわけじゃない。伝説の中のいくつかは彼自身の手柄だけど、かなり盛られてるしね」  ビックリしすぎて口を開けて呆けてしまった。  蒼愛の頬を、紅優が指で突っつく。 「色んな時代の色んな場所で起こった武勇伝を組み合わせて作り上げたのが日本武尊という英雄なんだ。だから虚像であり偶像なんだよね」 「偶像……」  そういえばさっき、本人が偶像がどうとか話していた。  それは最早、物語の主人公というフィクションと変わりない。 「じゃぁ、あの怨霊は小碓命って男の人、なの?」  蒼愛の問いかけに、紅優が首を捻った。 「小碓がメインの自我になっているんだろうと思う。そこに色んな怨霊が交じり合っているんじゃないかな。それこそ、日本武尊の伝説に使われた人物の霊とかね。歴史上で偶像化された人物の荒人神にありがちな現象なんだよ」  紅優の説明を聞いたら、蒼愛の中で痞えていた何かがすとんと落ちた気がした。 (闇人は、何にもなれなかった、不完全な生き物の総称。日本武尊という伝説の一部でありながら、日本武尊になれなかった者たちの霊の集合体)  そういう者がこの国で闇人になって、くっ付いて一体になったり分裂したりしているのなら、納得できる。 「紅優は、詳しいの? 前にもそういう存在に、会ったこと、あるの?」  怨霊が現れてからの紅優はずっと冷静で、神様の核が盗まれても志那津の体が奪われても、慌てている様子がなかった。 「現世に戻った頃にね、退治するのを手伝ったんだ。だから何となく、対処法は知ってるよ」  紅優が現世に戻った頃なら、佐久夜を喰ってしまった後だろう。  数百年は現世に居たはずだが、かなり大昔なはずだ。 「怨霊は生身の体を欲しがる傾向が強くてね。この国だと神様は実体があるけど、現世では霊体に近いから、怨霊が欲しがる体は人間の場合が多いんだけどね」 「実態があるから、神様の志那津が狙われたんだね」  現世と同じように神様が霊体に近かったら、狙われたのは志那津ではなく蒼愛だったかもしれない。  いっそ、自分を狙ってくれたら良かったとさえ思う。 「あのまま、志那津が怨霊に飲まれちゃったり、しないよね。ちゃんと取り返せるよね?」  蒼愛の不安な声に、紅優がはっきりと頷いた。 「奪われたのが普通の妖怪や人間だったら、魂ごと飲まれちゃうかもしれないけど、小碓程度の怨霊に志那津様は飲み込めないよ」  小碓程度、という紅優の言葉に、蒼愛は胸を撫で下ろした。 「厄介なのは、神様の核を種に封じたってコトだね。あの種が闇人名無の本体なんだろうと思う」 「だから、志那津の種だけあんなに育っていたんだね」  志那津の中の種は他の神々と明らかに違っていた。  エナが核を奪った時に、名無は自分という種を志那津に植えこんだのだろう。 (利荔さんたちを襲ったのは、志那津の体に寄生した小碓だったんだ。許せない)  小碓に対する怒りが、じりじりと蒼愛の胸を焼く。 「種だけ浄化して、志那津様の体も核も傷付けずに取り戻す方法を考えないと。俺も奪われないように気を付けないとね」  紅優が考える仕草をする。  その目が、ちらりと蒼愛を眺めた。 「蒼愛の色彩の宝石を一つ、俺にくれる?」  蒼愛は頷いて、懐に仕舞っておいた巾着から色彩の宝石を取り出した。  手渡すと、紅優が舌にのせて口に含んだ。 「え? 飲むの?」  思わず聞いてしまった。 「うん、御守り」  紅優が蒼愛に向かって微笑む。  飲み下した色彩の宝石が、喉を伝って胸に留まった。  自分の胸を確認して、紅優が蒼愛を後ろから抱きしめた。 「大丈夫、俺たちは小碓に負けないし、核も志那津様の体も取り返せる。誰も傷付けず、失わずに、解決しよう」 「もう誰かが傷付くのは嫌だよ。たとえ振りでも、紅優が死んじゃうのは、絶対に嫌だよ」  胸に剣を刺されて生気のない顔をした紅優なんか、二度と見たくない。  あんな思いは二度としたくない。 「蒼愛は怒ると怖いってわかったから、なるべく怒らせたくないし、何より悲しませたくないから、死なないように気を付けるね」  冗談めかした紅優の言葉に、ぐっと言葉に詰まる。  エナの怯えようからして、怒った蒼愛は本当に怖かったんだろう。   (そこまで怖くはないと思うんだけどな。ちゃんと冷静に話もしてたのに)  空を走っていた真白が、突然止まった。 「風の森の中、激しくやり合ってるっぽいぜ。羽々さんと井光さんの気配だ」  真白の気が尖っている。 「上空から近付こう。下降しないで、このまま走って」 「わかった」  紅優の指示通り、真白が気配に近付いていく。  禍々しい気が濃くなるにつれ、蒼愛の気も尖った。 【補足説明:荒人神(あらひとがみ)=怨霊】  色々な意味合いがありますが、この物語では主に「怨霊」の意で使用しています。

ともだちにシェアしよう!