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第137話 水飛沫と憂鬱

 俺は冷た過ぎない水の中を飛沫を飛ばしながら泳いでいた。運動全般が好きな俺は習っていたわけでは無いけれど、水泳は結構好きだ。水泳は無駄な動きが無くなれば無くなるほどスピードが上がるので、ちょっと山伏の修行に発想が似てるんだ。  往復レーンを戻ってくると、茂人さんがニヤリと笑って言った。 「岳くんの泳いでる姿を見るのは楽しいね。無心で泳いでる感じがまさに水に親しむって体現してるみたいで。ビキニの方が良かったかもしれないけど…。ちょっと他の人に岳くんのセクシーな姿を見せたくなかったんだ。」  セクシー?何を言ってるのかな、この人は。俺は差し出された灰原さんの手を取って水の中から引っ張りあげてもらうと、サーフパンツの灰原さんを見つめて肩をすくめた。 「セクシーの権化の様な灰原さんに言われてもちょっとね。それこそ灰原さんだってビキニが似合いそうなのに。」  するとクスクス笑いながら、灰原さんは俺の耳元で囁いた。 「褒めてくれるの?…私がビキニにしなかったのは、さっきの岳くんみたいになったらどうしようも無いと思ったからだよ。流石に水着から、はみ出させる訳にいかないだろう?」  俺はハッとして灰原さんを見た。灰原さんはウィンクして、サブンと水に沈むと壁を蹴って泳ぎ出した。まるで飛沫の少ないその泳ぎは選手の様なそれで、俺は灰原さんがこちらの壁に戻って来るまでその美しい泳ぎに見惚れていた。  サブリと水の中から顔を出した灰原さんが濡れた髪をかきあげると、俺は心臓がドキドキと震えるのを感じた。…俺はこのアルファを欲しがっている気がする。それはオメガの本能なのか、俺は自分の中の分別の無い醜悪さを感じて顔を背けた。  本当に厄介な性だ、Ωというのは。桂木先生があれだけ心配するのがよく分かる。普通のΩでさえ厄介極まりないのに、俺は何だっけ、ラビ、ラビットケース?そう、そんな変なやつだし。アルファのハーレム形成するとかビッチか。  俺がそんな事を考えながらプールの揺れる水面を眺めていたせいで、心配そうに灰原さんが俺の頭をタオルで拭いながら尋ねた。 「どうした?岳くん。疲れちゃったか?」  俺は首を振って、目の前の誰もが見惚れる灰原さんを見上げて言った。 「…何でもないです。あれ、あのジャグジー行きましょ。」  そう言って先に立って歩き出した。今は少しでも自分の特殊なΩ性を忘れたかった。そんな俺に何も言わずに、灰原さんはそっと俺の肩を抱えて、優しい声で言った。 「色々考えずに、リゾートを楽しもう。ね、岳くん。」  その声に釣られて灰原さんを見上げると、そこには邪気のない笑顔の灰原さんがいた。俺は伝染する様に口元を緩めると自分でも思いの外楽しそうな声で答えていた。 「そうですね。こんな豪華なリゾートホテル経験出来るの滅多にないですもんね、灰原さんの奢りだし?ふふ。」

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